彼女を好きじゃなくなった日

人口雀

彼女を好きじゃなくなった日

 学校終わり。両親は仕事で、僕の家には僕と彼女の二人だけ。

 彼女の家は電車で二十分くらいの少し離れた街にあるため、いつもこの部屋で過ごしている。

 なにせ学生にとっては往復で電車賃の数百円も馬鹿にできない出費なのだ。と、いうのは建前で、実は一度も彼女の部屋に入ったことはない。

 付き合いたての頃に一度行きたいと言ってみたのだが「恥ずかしいからだめ。」と言われ、僕の家が学校から近いこともあり、それ以来機会を失ってしまった。


 彼女が家に通うようになってから毎週の洗濯を欠かさなくなったベッドシーツ。

 その上でへにょーんと伸びていた彼女が、いつの間にか床に敷いたカーペットの上でSNSをチェックしている僕の隣に来ていた。


「ね、好きだよ。」

 隣に座る彼女が微笑む。 

 そういえば久しぶりに聞いたかもしれない台詞。

 昔はよく「俺も大好きだよーちゅっちゅっちゅ。」なんて何も考えずに返事していた事を思い出し、それを無意識になぞろうとして、ふと思い留まる。


 あれ・・・好きってなんだっけ?


 彼女の顔をまじまじと見つめてみる。

 僕から同じ返事が帰ってくると期待している目。触り心地のいい髪の毛。何度かキスしたことがある唇。

 あと、まだ揉んではないけど意識していないフリをしながら腕で数回かすったことのある胸。


 特に好きという感情は湧いてこない。


 かと言って嫌いとか何とも思ってないかと言われれば、そんな訳はない。


 僕は彼女の顔が世界一かわいいと思っているし、家で一人になったらベッドで彼女が横になっていた箇所に顔を埋めて激しく深呼吸を繰り返してるし、暇さえあれば彼女のSNSをチェックして全ての投稿に反応している。


 今言うべき言葉は分かっているが、それを言ってしまうと彼女に嘘を付くことになる。

 親に宿題の事を聞かれた時なんかは少しも悪びれずに口に出せた嘘。

 相手が変わるだけで、嘘というのはこれ程までに難しいものになるのか。


「ん、俺も好きだよ。」


 全力で拒否する声帯を力づくで従わせて彼女に嘘を付く。

 彼女と目を合わせることはできなかった。

 疑われてはいないだろうか。


 その日は嘘がバレる不安と、嘘を付いてしまった罪悪感が重くのしかかっていた。


***


 翌日、学校では好きが溢れていた。

 好きなテレビ番組、好きな有名人、好きな食べ物、好きなアニメ、好きな歌。

 

 おいおいそんな簡単に好きを使っちゃって良いのかい?

 みかんを食べることより優先したければ何でも好きって言っちゃうぞ?


 僕の前の席の男子生徒が登校してきた。

「おはよ。」

「おはよ。唐突なんだけどさ、お前って好きなものある?」

「まじで唐突だな。ちょっと待て考える。」

 そう、突撃取材はいつも唐突なのである。

「・・・バスケと焼肉、あとスタバかな。バスケやってる女子の胸が揺れるのも好きだぞ。」

「脈絡ねえな。」

「まずお前が脈絡ねえよ。」

「言えてる。」

「だろ。」

「で、なんでそんなこと聞いたんだよ。」

「昨日ちょっと疑問に思ってさ。好きって何だっけって。」

「お前は恋愛相談アカウントか!」

「確かにそれっぽいこと言ってるよなあ。」

「もしや彼女に冷めたか?破局の危機なのか?」

「いやいやそれは無い。大好きだし。」

「好きって言ってんじゃねーか。」

「あ、いや、・・・え?何だこれ。」

「知らんし。」


 本当に何だこれ。


***


 授業終わり。前の席の奴は「じゃあ部活行ってくるわ。とりあえず頑張れよ!」と言って一瞬で教室を出ていった。

 僕がのんびり帰り支度をしていると、特に約束もしていない彼女が当然のように僕のクラスにやってくる。教室の入口に近い席の女子生徒と二言三言ふたことみこと、いつもどおりに会話を交わしてから、彼女が僕の前の席に座る。

 この席なら良いけど、彼女が他の男子の席に座ったりするとほんの少しだけモヤモヤする。僕だって彼女に座られたこと無いのに・・・いや椅子と張り合ってどうする。


「今日は荷物多いね。」

「まあ宿題で使うから。」

「私のバッグにいくつか入れる?」

「じゃあ筆箱を頼んだ。」

「ほとんど重さ変わんねー。」


 彼女は僕の筆箱を自分のバッグに詰めながら、そう言ってケラケラと笑う。

 今日一日考えてみたけど、結局「好き」が何なのかは分からなかった。

 彼女とは恋人で居たいし、キスもしたいし、僕の筆箱に彼女の匂いを付けて欲しいし、彼女のバッグに僕の匂いも付けたい。


 そういう、いやらしい僕の下心をまとめて押し込んで「好き」という綺麗な言葉で包んでごまかす。

 ・・・もうそういうことで良いんじゃないかな?


 帰り道、学校を出て駅と僕の家への分かれ道。そこを五歩くらい通り過ぎて、遅ればせながら提案する。

「今日さ、家に行ってもいい?」

「ん、いいよ。」

 まるで自然に、彼女は僕の提案を受け入れた。

 行きたいと思いながらも言い出せずに悩んでいた今までの時間は、一体何だったのだろうか。



「ね、」

 彼女の目を見据えて、言葉を紡ぎ出す。

 ダサい嫉妬心や気持ちの悪い独占欲をありったけ込めて、僕と彼女の時間が永遠に続けばいいという願望と共に、心の底から。

「好きだよ。」

「んー。私も大好きぃ!」


 ひゃっほい。と両手をバンザイする彼女を見て、今日もその世界一かわいい顔を、僕が帰るまでの数時間、じっくり凝視して一人占めしてやろうと思った。



 それと家に着いたら彼女から『バッグに筆箱入れっぱなしだったからシャーペン借りるね^_^』とメッセージがあった。

 ・・・おい、部屋に自分のがあるだろ。

 『明日学校に着いたら教室まで取りに行く』そう返信した僕の足取りは、筆箱のぶんだけ、とても軽やかになっていた。

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彼女を好きじゃなくなった日 人口雀 @suenotouki

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