第5話 プレスティッシモ、それは彼方より襲来する流線形の凶星

 どうやら僕はいつの間にか気を失っていたようだ。

 目覚めて視界に映ったのは真っ暗な——いや、黒の向こう側から仄かに光が差し込んでくる世界だった。

 目隠しをされているだけで無い。腕と脚はきつく縛られ、顔以外の体全体に密着する何かを感じる。そして響いてくる呻き声が他にも人がいることを示している。

 どういう訳か揺れが酷かった。絶えず続く、緩やかで大きな揺れが体に襲い掛かってきて、若干の気持ち悪さを覚えている。


 ——目隠しされて、縛られて、揺れは酷い……一体どこに連れて行かれてるんだ……?


 今この腕も脚も動かせない状況で、僕はただ解放される時を不安と共に待ち続けた。


 一体どのくらいの時間が経ったのだろう。二時間か、三時間か、或いはもっとか……体に括り付けられた紐を引っ張っているのか、体が誰にも触れられていないのに、僕の体は床を滑るように何者かに運ばれていた。

 これでようやく解放されるのだろう——或いは、地獄のどん底に突き落とされるのかもしれないが。

 扉の開く音が聞こえ、俺は多分何かの外に出された——


「——!?」


 聞こえたのは、荒れ狂う波の音だった。そこで理解する——先程からずっと感じていた揺れは波によるもので、今俺は海の上、船の上にいるのだと。


 僕を縛っていた縄が解かれ、手には何か棒状のものを持たされ、そして立たされて目隠しが解かれた。


「ようこそ、諸君——オレ達の戦場、大海原へ!」


 屈強な男がその見た目に相応しい豪快な咆哮を轟かせた。


「お、お前は……!」


 ……えーと、何て言ったっけ……? 飯田飯店に現れて、僕達を拉致していった、残虐何とか……?

 晴天の霹靂の如き出来事だったので、細かいところまでは覚えていなかった。が、あの時現れた作務衣の男の片方であることは間違いない。尤も、今は船の上なのもあって作務衣では無く漁師の服——カッパを着ているのだが。


 ——待て、と言うことはアレか? 漁をさせられるのか? マグロ漁船送り……ってコト!?


 咄嗟に手に握られたものを掲げ——


「——は?」


 銛。

 網とか釣竿とかでは無く、銛である。

 使用経験が無くても、その使い方は分かる——こいつでブスリと魚を貫くのだ。


「は? え?」


 持たされたものに僕だけでなく他の拉致された人達も困惑し、荒波の音に僕達のざわめきが混ざった。

 そして持たされたものを見る為に自分の腕を掲げたことで、全身を覆う感覚の正体が分かった——ウェットスーツだ。某無人島生活で某氏が、まさに魚を銛で獲る時に着ているあの服である。


 困惑せずにはいられなかった。だってこれじゃ、まるで「今からここで潜って魚を獲ってきて貰います」って言わんばかりで——


「そこの貴様! 『だってこれじゃ、まるで「今からここで潜って魚を獲ってきて貰います」って言わんばかりで』って思ったな!?」


 豪快な男はこちらを指さして叫んだ。

 コピペ思考読みへの突っ込みを躊躇ってしまう豪快な咆哮に思わず萎縮し、「え、あ、ハイッ!」とこまけぇこたぁ気にするなの精神を捩じ込まれた声を上げてしまった。


「ならば語らねばなるまい……オレは先日ある光景を目にした——それは、海に潜り、銛だけでマグロを獲る瞬間だった!」


 突然男は熱く語り始めた。その内容には嫌な予感しかしない。

 というか、その光景僕も知っている気がする。だとしたら使うべき銛は厳密にはこの銛じゃないし。


「だからオレは気になった——人類のマグロに対する力、その極限を! 海に潜り、マグロを——あの彼方より襲来する流線型の凶星を、その身一つで討ち取ることができるのか!」


 そう言って男は僕に括り付けられていた紐を引っ張って彼の方に寄せてきた。


「えちょちょ、え!?」

「そういう訳で——名付けて、『ド根性マグロ漁! 人は銛でマグロを獲ることができるのか!?』、貴様らにはその犠牲者になってもらう!」

「……あの、絶対影響受けてますよね、デイヴ——」

「うるせ————————ッッッ!!!」

「ギャァ————————ッッッ!!!」


 権利的な問題か、言い切る前に海に突き落とされた。


「あっぷあっぷッッッ!!! この海ッ、深いッッッ!!!」


 ボボボボボ言っている僕を助けようとせず、男は豪快に笑いながらこちらを見ていた。


「ガハハハハ! 皆まで言わせんぞ! 作者が某魚を獲って寿司にするゲームで、銛だけでマグロを獲ったことから着想を得たことはな!」

「それ全部言ってるッボボボボボッッッ!!!」


 まずい、この海、深いからッ、深いからッッッ、このままだと溺れ死んでしまう。じたばたと手足を動かしてもどうにもならない。

 船に向かおうとしても波が荒くて思うように進まず、ただ男の豪快な笑い声が響いてくるだけだった。


 ——誰か、助け——


「滅びろ! 残虐悪徳料理店!!」


 その刹那ッ! 銛を携えた全裸の男が海中から跳躍ッ! そして男目掛けて銛を投擲したッ!


「ヌウッ!?」


 銛は豪快な男の屈強な肩をも貫いたッ!

 全裸はそのまま船に着地し、豪快な男に相対するッ!


「……って、僕は?」


 二人の男はこちらに見向きもしないッ!


「ちょ、ちょっと、助け——」


 僕は為す術も無く、そのまま海の深淵へと沈んでいったッ!






「飯田真ッ……! 貴様、何故ここに……!」


 屈強な肉体、漁師の誇り——それを持つ男が、驚きに満ちた瞳で問い掛けてきたッ!

 何故ここにいるかッ……そんなの、単純だッ!


「泳いできたのさッ!」

「ヌゥッ! それは真か……!?」


 愕然とする男に、笑みを浮かべた顔を下げて肯定したッ!

 飯田飯店では魚料理も扱うッ! ならば当然、どんな荒波の中でも泳ぐことができるッ!

 それに、この荒波の向こうでミーちゃんが待っているのだからッ!


「……ッ!? おいッ、何笑っているッ……!?」


 突然男はクククと笑い出し——次の瞬間には豪快な笑い声となったッ! 否ッ! それは最早獣の雄叫びであるッ!


「貴様らなど最早不要ッ!」


 そう言うと男は拉致した人達を次々と海へ放り投げたッ!


「あーッ! おいッお前ッ!」

「グハハ……いるじゃねぇか……オレの悲願を叶えてくれる奴がよォ……!」


 男は肩に突き刺さった銛を血飛沫と共に引き抜き、海へと投げ捨てたッ!


「我、阿修羅水産社長、皇浩二ッ! 貴様に決闘を申し込むッ! オレが勝ったら貴様はオレの専属ド根性マグロ漁奴隷だッ!」


 長年の漁で鍛え上げられたであろう太く逞しい指がこちらに向けられたッ!

 だがッ——


「ピーッ! ハイー決闘罪ッ! 決闘罪でーすッ! 決闘は犯罪でーすッ! お前の負けでーすッ!」

「ヌゥッ!?」


 日本には決闘罪というものが存在するッ! つまり決闘を申し込んだ時点で相手の負けが確定したッ!

 皇は頭を抱えてその場で蹲り、獣のような唸り声を上げたッ!


「ヌゥ……な、ならばッ!」


 皇はがばっと立ち上がり、再びこちらに指を向けてきたッ!


「おままごとだッ! 貴様におままごとを申し込むッ!」

「なッ、何ーッ!?」


 決闘ではなくおままごと——即ち言葉の綾ッ!

 奴はおままごとと言い換えることで決闘罪を無効にしたッ!


「クソッ! 法の穴を突きやがったな、皇ーッ!」

「ガハハハハ! 法とは如何にして破るかが肝要なのだッ! 貴様には我が社に来て貰うッ!」


 豪快に笑いながら皇がそう言うと船は旋回し、日本の大陸の方へと戻っていったッ!


「まだまだ着くまで時間は掛かる! 精々オレの作っておいた寿司を食うんだな! ガハハハハハハハ!」

「くゥッ!」


 敵に情けを掛けられるとはッ……でも俺は寿司が好きだッ! ありがとう、皇ーッ!

 皇と共に寿司を喰らい、酒を呑み、あれやこれやと談笑し——そうしているうちにいつの間にか船着場に着いていたッ!

 皇の運転で阿修羅水産の本社へと向かい——阿修羅と毘沙門天の戦いが今始まるッ!

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個人経営定食屋店主飯田真の血闘 ~店の客全員持っていかれたので残虐悪徳料理店を殲滅しに征く~ 粟沿曼珠 @ManjuAwazoi

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