お前今日から筋トレスタートな

海堂 岬

第1話 ここはとある便利屋の事務所

「何やってんですか、社長」

事務所の扉を開けた瞬間、目の前に現れたものに、一馬は叫んだ。

「見てわからんか」

剛という名前に恥じないだけの頑強な肉体の持ち主には、一馬の抗議は全く堪えていない。


 しがない便利屋の事務所の床に広がっているのは、本来ならダンボールの箱に収まっているはずのものだ。

「それ、うちの事務所の備蓄っすよねぇ。なんで散らかしてんですか」

「そりゃま、お前確認のためよ。ほれ、これなんか見てみろ、あと半年で賞味期限じゃねぇか。食うぞ」

剛の言葉通り、一馬の目の前に付きつけられたレトルトパウチは保存食としての意味を失いつつある。

「あ、こっち過ぎてるじゃねぇか。こっちが先だな」

「え、賞味期限切れてるものを」

「お前と俺だぞ? 賞味期限だよな。消費じゃねぇ。少々過ぎたくらいでどうこうなるか。保存食だぞ。それに過ぎてるって昨日切れたところだろうが。今日の昼飯はこれな」

剛がのっそりと床から立ち上がった。


「何で突然事務所の備蓄ひっくり返して。それより社長が被災地に行ったほうが」

「意味がない」

剛は一馬に最後まで言わせなかった。


「だって、地震ですよ。あっちこっち被害でて、道路寸断とか水がって、こんなもん確認してる暇があったら、社長なら運べるでしょう! 」

一馬の叫びに剛の口から吐息が漏れた。


「お前、山を知ってるのか」

重々しい剛の口調に、一馬は勢いを削がれた。

「山って」

「山を登ったことはあるか。それも雪山だ」

「ないです」

「防寒具着て、テントも食料も水も全部背負って山登ったことあるか」

「ないです」

「冬の日本海側だ。土地勘もない、あっても道が寸断されてるところに装備なしで乗り込んでみろ。遭難するだけだ。邪魔だ。甘っちょろいこと言ってるんじゃねぇ。お前は常識も想像力もないのか」

身も蓋もない剛の言葉に、一馬は拳を握りしめた。


「でも、うちに軽トラあるじゃないですか」

「お前な、軽トラでどんだけ運べるんだ。あ? 積載重量忘れたか? TVみたかネットでも良い。10tトラックの間に軽トラなんかうろちょろしてみろ、邪魔だろうが」

「でも」

「あの軽はノーマルタイヤだ。雪国で走れるわけないだろうが。そんなこともわかんねぇならお前、免許返納してこい」

「でも」

「でももだってもねぇ。俺たちに今できるのは、邪魔しない、それだけだ。あ?お前ここはどこだ? 日本だろ、忘れたか? 活断層がこの近辺にないとでも思ってんのか、だったらお前義務教育やり直してこい。あっちが揺れて、こっちが揺れねぇわけがどこにある」


 腕組みして見下ろす剛を、タカは意地で睨み返した。

「それは、そうですけど」

「けどじゃねぇ。今俺たちに出きるのは、邪魔しないことくらいだ。俺たち自身が救助される側に回らないことだ。あの山間部とちがって、こっちは町中だからな。一応このビルは耐震だ。がけ崩れで塞がるような道もない。そもそも崖もないしな。だから万が一のとき、ここで地震がおこったとき、俺たちが自力で持ちこたえたら、あっちの被災地をちゃんと救助出来るだろうが。だから、備蓄の確認だ」

「はい」

一馬も剛の言うことがただしいとわかってはいる。ただ、完全に納得しようにも、居ても立っても居られないような焦燥感が、一馬の胸の奥に会った。


「あ、買い占めはしないからな。いつぞやのトイレットペーパーやマスクじゃねぇんだ。あんな節操のないことはしないぞ」

「はい」

強面だが常識人の剛が社長だから、一馬はこの便利屋の仕事を続けている。


 一馬の返事に微笑んだ剛が、机の上に何かを置いた。

「それ」

「貯金箱だな」

マンガでしか見たことがないような豚の貯金箱だ。

「何で貯金箱」

「やったつもり貯金だ」

剛が千円札を貯金箱に押し込んだ。

「被災地の映像みてるだろ。消防車いたよな。救急車もあちこちから行ってるよな。ってことはこの辺からも被災地に行ったよな。だったらお前、この辺にいるのは留守番だろうが。いつもより手が足りてねぇんだよ。そんなときに、お前、火事だの事故だの酔っ払って階段から落ちただので、留守番の仕事増やさないのも被災地への強力だ」


 剛が腕を組んだ。

「今おれは、タバコを買ったつもりだ。寝タバコで火事を出すわけにはいかん」

「なるほど」

剛の言わんとする所を悟った一馬は500円玉を入れた。

「じゃ、おれは、今晩の缶ビールを買ったつもりです。酔っ払って救急車呼ぶわけにはいきませんからね」

剛がニヤリと笑った。

「で、これは今日の昼飯にラーメンを食ったつもりだ」

「俺の分も入れますね。3日分くらいはいけますねぇ」

「しかしまぁ、知らない間に期限切れるとはな」


 剛が伸びをした。

「これは日本赤十字に募金な。後はあれだ、仕事だ。なんとか儲けを出してスタットレスタイヤ買うぞ。いいか俺たち素人は、行けるときにばっちり行けるように今から準備だ」

「はい」

なんだかんだと結局は行くつもりの剛に、一馬は笑った。


「それでだ。一馬」

一馬の薄い肩に剛の分厚い手がのった。

「お前、今日から筋トレスタートな」

「えぇぇぇ! 」

一馬の悲鳴が、狭い事務所に響き渡った。

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