第3話 歓迎ムード


「ところで弟子というのはその……僕には少し荷が重いような気が……」


「話は後よ。ここは危険だし、一度屋敷に帰りましょう。このまま私の後をついてきて」


 突如告げられた弟子入りに一抹の不安を覚えるも、ノエルの整然とした語調に気圧され、僕は首を縦に振ることしかできなかった。

 そうして手を引かれたまま、歩き出したノエルの背を追う。


「初めてだし、少し困惑するかもしれないけれど……迷わないように私の背中だけを見ていなさい」


「は、はい……」


 散々走り回った挙句、今から徒歩で屋敷まで向かうのだろうか……と気が滅入りかけたが、歩いている内に少しずつ周囲の景色が変化していることに気付く。

 相変わらず森の中である事は確かなのだが、ここは今までよりも更に深くて薄暗い。


「これは……」


転移魔法テレポートの簡単な応用よ。少々辺鄙へんぴな場所で暮らしているから、どこからでも接続できるようにしているの」


「へぇ、すごい技術ですね……! 魔法ってそんなことまで出来るんだ」


「使い方次第ではね。あなたの世界には魔法が存在しないらしいけど、長距離移動の際はどうしていたの? 馬車とか?」


「あー、イメージは馬車のもう一個上ですね。とはいえ瞬間移動テレポートまではいかないですけど……車っていう高速で動く鉄の塊があって、それに乗ってる人が多いです」


「高速で動く……鉄……? 上手く想像ができないのだけど……魔法、ではないのよね?」


「魔法ではないですね。僕自身も原理はよく分かってないんですけど、多分みんなもよく理解してないまま利用してるんで」


「……それで大丈夫なの?」


 次第に辺りは少しずつ明るくなってきて、そろそろ目的地が近いことが伺えた。

 光の方へ目を凝らすと、広大な庭園と、その中心に聳える西洋風の大きな屋敷が見えてきた。

 ……随分と立派な邸宅だが、本当にノエルはどういった人物なのだろう。こうして森の奥にひっそりと居を構えているのにも何か理由があるのだろうか?


「……あ、言い遅れてしまったんですけど、また怪我を治してくれてありがとうございました」


 背中をガン見しながら言う台詞ではないような気もするが、本日二度目の感謝を伝える。


「律儀な人ね……別に気にしなくていいわ。失うものがある訳でもないし」


「すみません、くどかったでしょうか」


「いえ、むしろその真面目さは美点よ。私の従者も、きっとあなたのことをすぐに気に入ると思うわ」


「あはは、そうだと嬉しい────んですが……」


 楽観を口走りながら森を抜けた瞬間。

 屋敷の方向から僕の頭を目掛けて飛んできた何かが、ズドドド、と目と鼻の先の空白に勢いよく突き刺さった。

 鮮烈な赤を帯びたそれをよく見れば、どうやら何かしらの花弁のようだ。なんだかいやに硬質で、先がやたらと尖ってはいるが。


 そんな明確な殺意を感じるおもてなしは、ノエルが瞬時に展開した見えない壁によって危機一髪のところで防がれたらしい……今日だけで一体何度この人に命を救われているのだろう。


「……カトレイン、彼は客人よ」


 呆れたような口調でそうたしなめるノエルの視線の先には、執事服を纏った背の高い女性の姿があった。


「……これは大変失礼致しました。不意に覚えのない気配がしたものですから」


 カトレインと呼ばれたその女性は怪訝そうな目で僕を一瞥してから、恭しく頭を下げた。


 憂いを帯びた八の字眉と、長めの前髪によって影が落ちたレモンイエローの鋭い瞳が特徴的な美人だ。上背があってスタイルも良い為、一見マニッシュな黒い燕尾服もスラックスも、女性らしい美しさを感じさせながら見事に着こなしている。

 気品のあるリボンで束ねられたすみれ色の長髪は丁寧に編み込まれ、肩の前に垂らされている。確かルーズサイドテール、と言うんだったか。


「……! ノエル様、もしかして……」


「心配無用よ。まだ余裕はあるわ……それよりも、彼が暮らす為の部屋を一つ用意して頂戴。この子には今日から私の弟子として、この屋敷で過ごしてもらうことになったから」


「弟子……異界人を、ですか?」


 一層勾配がきつくなった気がする八の字眉が不意にこちらに向けられた。


「はっ初めまして! 松山 悠里です!」


「……カトレイン・ゼイルストラと申します。この屋敷の執事として全般の日常業務を、ノエル様の秘書として一部職務の補佐を任ぜられております」


 礼儀正しい自己紹介の後、淑やかに歩み寄ってきた彼女は突然僕の首元へ鼻を近づけ、すん、と匂いを嗅いだ。


「っ……!?」


「ノエル様の審美眼を疑う訳ではありませんが……危険分子と判断すれば、即刻私が排除致しますので……そのおつもりで」


 囁くような小声でそう呟いて、カトレインは今一度屋敷へと戻っていった。

 怖すぎて言葉を失う僕の後ろで、ノエルは大きく溜息をついた。


「はぁ……脅しすぎね。彼女も普段は穏やかで聡明な人なのだけど……」


「……あの、異界人ってここの世界の人からしたら体臭とか気になったりします?」


「そんなことないから安心しなさい。彼女は魔族だから、人よりも嗅覚が鋭いの。私達人間が視覚から仔細な情報を得るのと同じように、彼女はあなたの匂いからある程度の人柄を測ろうとしただけよ」


「“魔族”……」


 とりあえず体臭が原因ではないことにホッとしつつ、それとなく促されるままに屋敷の玄関口へと向かう。

 両開きの大きな扉へと続く庭園の道傍には色とりどりの花々が咲い乱れ、絵画のように美しく幻想的な景色が広がっていた。


 その光景に暫し目を奪われていると、少し先を行くノエルが口を開いた。


「……彼女は昔、人類を滅ぼす為に魔王が統率していた魔族の精鋭部隊の内の一人だったの」


「“魔王”……!?」


 魔族も魔王も、ファンタジーに登場する都合の良い悪役だとばかり思っていたが……まさか本当に実在するとは。

 もしかして現実世界のファンタジーにおける世界観も、この世界からの逆輸入だったりするのだろうか。


「勿論今はそういう組織に属している訳じゃないわ……むしろ彼女は争いや無益な殺生を嫌った為に魔王と対立して、その部隊どころか魔王軍からも追放されてしまったの」


「……良識のある方なんですね。魔族、と聞くとなんだか人類の敵みたいなイメージがありますけど、決して一枚岩という訳でもないですもんね」


 僕がそう言うと彼女は少し驚いたように振り返り、優しげに微笑んだ。


「ええ。い人なのよ、凄く。とはいえ人間に長い間捕えられていた過去もあるから、その、人間に対してはまだ少し警戒心が強いというか……ああいう対応になってしまったのはそれが理由よ。彼女に代わって謝らせて頂戴。不快な思いをさせてしまったわね」


「いえいえ! そんな過去があれば僕を警戒するのも仕方ない事だと思いますし……少しずつでも仲良くなれたらって思ってます」


「……ありがとう。きっと、あなたなら分かってくれると思っていたわ」


 大理石の階段を上がり、玄関に到着する。

 ノエルが扉を開けると、目の前に大きなエントランスが広がった。


 規則正しく並んだ柱と、それに支えられた余りにも高い天井。

 煌びやかなシャンデリアに照らされた、絢爛ながら決して過度に主張しない上品さに満ちた装飾や調度品の数々。

 向かって正面、吹き抜けの先には二階へ続く大きな階段があり、幾つかの部屋や廊下に繋がっているようだ。


「えぇ……広、すご……」


「こっちよ」


 思い描くことはあれど実際見た事はない景色に圧倒されながらも、ノエルに導かれとぼとぼと着いていく。


「部屋の支度はもう少し掛かるでしょうし……これからの事についてと……お互いの事についても少し話しておきたいわ」


(これから……これから?)


 ふと自身の姿を見下ろす。見窄らしく汚れた安っぽいパーカーと、着古した部屋着のスウェット。

 泥まみれのスニーカー越しに、質の良い絨毯の感触が伝わってくる。


(……あまりにも場違いだ)


 ────途端に、この状況が少しだけ恐ろしく思えてきた。


 カトレインともいつか仲良くなれたら、とか威勢よく言ったは良いものの、そもそもノエルが僕を弟子に迎え入れた理由さえよく分かっていないのだ。

 僕は一体何の為にこの屋敷に招かれたのだろう。これから先の“生き方”など皆目見当もつかない。


 殺される危険性は少ないのかもしれないが、もしいつかノエル達の期待や信頼を裏切るような行動をしてしまったら、僕はどうなってしまうのだろうか。


「そこに座って。好きにくつろいでくれて良いわ」


「し、失礼します」


 通された客間の大きなソファに座る。

 向かいに座ったノエルは、何やら少し考える素振りをした後にもう一度立ち上がった。


「少し待っていて。お茶を用意してくるわ」


「そんな! わざわざお気遣いなく……」


 慌てて立ち上がると、ノエルは困ったように笑った。


「あなたこそ、少し気を遣いすぎよ。もう少し肩の力を抜いても大丈夫だから……あぁそう、ついでに紹介も済ませておきなさい」


 そう言って部屋を出る背を呆然と眺めつつ、一人きりになってしんと静まり返った部屋を見渡す。


「……紹介?」


 そう呟いた瞬間。視界の端で、何かの影を捉えた気がした。


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アルトゥリストと殄滅の魔女 〜異世界転移しても最強にはなれなかったしむしろ厳しい現実が待ち受けていましたが、天才魔術師に愛されすぎてなんとかやっていけそうです〜 化皮上着 a.k.a NuBRa @NuBRa

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