第2話 出会い


「……ん、気が付いたかしら」


 聞き覚えのない女性の声で目を覚ます。

 起き抜けのぼやけた視界が、徐々にこちらを見下ろす少女にピントを合わせていく。


「あ、あなたは……ってあれ!? 僕どうなった!? 殴られて……その後……」


「安心して。私がさっき治療したわ」


「ち、治療……あなたが……?」


「ええ。発見があと少しでも遅れていたら、きっと間に合わなかったでしょうね」


 慌てて飛び起きた僕とは対照的に、少女は淡々とした口調でそう述べた。


 背丈は168cmの自分より少し小さいくらいで、輝くプラチナブロンドの髪が腰まで伸びている。

 思わず息を呑むほど整った顔立ちに、凛とした瑠璃色の明眸めいぼうを湛えた、どこか幽玄な雰囲気を漂わせる美少女だ。

 ケープ、コート、手袋等、身に付けているもののほぼ全てが黒を基調としたもので統一されており、控えめに露出した彼女の白い肌を優美に際立たせている。


(見た目からして魔法使いっぽい……けど杖とかは持ってないみたいだ)


 魔法使いといえば先程の冒険者の内の一人もそのような格好をしていたが、少女の装備品は比較的デザインが瀟洒しょうしゃというか、全体的に上品で豪華な印象を受ける。もしかしたら、実力的にも身分的にも割と上流階級の魔法使いなのかもしれない。


「その服装、黒い髪……やっぱり、異界人いかいじんね」


 ……なんて考えながらぼーっと眺めている間、同じく彼女も僕のことを観察しているようだった。


「異界人……?」


「あなたのような人達をここではそう呼ぶのよ。大抵こういった森の中に一人で佇んでいて、変わった風貌をしているのが特徴ね」


 彼女の口ぶりからして、自分のような転移者はこの世界においてそう珍しいものでもないのかもしれない。

 ふと嫌な予感がして、僕はパーカーのポケットに手を突っ込んだ。


「……スマホがない。財布も……」


「そう、“異界人狩り”に逢ったのね……あなた達の持ち物は高く売れるから、転移してきた異界人を殺して持ち物を奪っていく冒険者も多いの」


「……そ、そんな……あっ、というか!」


 平然と会話していたが、そういえばこの少女は命の恩人なのだ。彼女が助けてくれなかったら、今頃早すぎる2デス目を迎えていた所だろう。


「助けて頂いてありがとうございました! 生憎あいにくお返しできるものとか何も持ち合わせてないんですけど、本当に──」


「……いえ、別に助けたつもりはないわ」


 頭を下げて捲し立てるも、少女がすぐにそれを制する。

 その言葉は謙遜などではなく、本当に心からそう思っているような口ぶりで、彼女は表情一つ変えずに続けた。


「単純にあなたが魔物に殺されたら困るのよ。異界人は魔法を使えないけど、どういう訳か膨大な魔力を持っているから」


「“魔力”……? 僕が殺されると、どうなってしまうんですか?」


「魔物があなたの魔力を奪い、余りにも強大な力を得てしまうわ。そうなれば、近隣の村や集落に甚大な被害が出る可能性があるのよ……まあ、今回は冒険者に襲われたようだけど」


 手頃な倒木に腰掛けて、彼女は溜息を吐いた。何も知らない僕を相手に色々説明させられているので、だいぶ面倒くさくなってきたのだろう。何から何まで本当に申し訳ない。

 それでも途中で投げ出さない辺り親切というか、根本的にお人好しな人なんだろうな、と勝手に思う。


 閑話休題。話を整理すると、

 ・異界人は魔法を使えない

 ・その癖、膨大な魔力を持つ

 ・“異界人狩り”という文化が浸透するほど、この世界における我々の命は軽い

 ・魔物に殺されたらソイツが強化され、現地人に迷惑をかけてしまう


 といったところか。

 恐らく彼女の言う“魔力”はゲームで言うところの経験値のようなものを指すのだろう。

 となると、冒険者達にとって僕達転移者はさしずめ弱い上に換金アイテムを落とすは◯れメタルみたいなもの、という訳だ……狩られるのも無理からぬことだろう。


「なるほど……じ、じゃあその、異界人は今後どう生きていくのが無難なんでしょうか?」


「そう……ね。正直、長く生き残った前例をあまり知らないからなんとも言い難いのだけれど……」


「ふえぇ……」


 ついに心が折れ、へなへなとその場にくずおれる。治してもらったはずの頭が痛んで、情けない声と共に変な呼気が漏れ出た。


 もう無理だ。絶望してしまわないように今まで強がっていたが、流石にキツすぎる。

 平気で頭をかち割ってくる人間なんて正気じゃない。差別感情があるにしても、そもそも“異界人狩り”なんて文化が浸透している時点で治安が悪すぎる。あとシンプルにスマホをパクられたのがじわじわ効いてきてつらい。立ち直れない。帰りたい。


 ハッキリ言って、僕は現状を打破できるようなガッツもメンタルも備えていない。命を救ってもらった手前こんな事を言うのもアレだが、普通にあの時死んでいた方がマシだったのかもしれない。


「……大丈夫?」


「全然大丈夫です……色々教えて頂いてありがとうございました」


 空元気を振り絞って立ち上がる。

 深々と頭を下げ、その姿勢からほぼ変わっていないぐらい俯きながら立ち去ろうとすると、背後から少女の待って、という声が届いた。


「……そのまま進んだ先に、小さな農村があったはずよ。快適な生活とまではいかないでしょうけど、労働力としての価値をきちんと証明できれば……きっと、生きていけるから」


 相変わらずのポーカーフェイスだが、助言には彼女なりの確かな思いやりがこもっているような気がして。

 感謝を伝えようとするも間に合わず、それじゃあね、と少女は森の奥へ歩き去ってしまった。


「……」


 その言葉で、今にも暴れ出しそうだった負の感情が徐々に萎んでいくのが分かる。

 彼女の小さな気遣いは、疲弊しきった僕の溜飲を下げるには十分な理由だった。


 異界人は軽んじられるのが当然の世界で、彼女は僕を一人の人間として扱い、誠実に向き合ってくれたのだ。“優しい人もいる”という至極当たり前の事実が、生きる理由を失った僕の即席の希望となっていた。


(……もう少し頑張ってみよう)


 深呼吸をしてから、彼女の言う農村を目指して歩き出す。太陽は丁度中天を過ぎた頃だった。


 実際、自分のような存在に労働力としての価値が宿るのだろうか、という不安は拭えない。ただでさえ元の世界でも無価値な人間だったのだから。


 ──それでも、彼女が救ってくれた命には少しでも報いたい。


(名前、聞いとけばよかったな)


 獣道を進む最中、ふと彼女について何も知ることができなかったのに気付く。

 これではいつか恩返しをしようにも……と一瞬考えて、現状では全て絵に描いた餅だ、と思い直す。

 結局今できる事なんて、精々魔物と冒険者に殺されないよう気を付けることだけ────


「おっと」


 反射的に岩場の陰に隠れ、慎重に前方を確認する。視界が一瞬捉えたのは、トラウマとして脳裏に焼き付いた真っ白なローブ。

 どうやら、先程僕を襲った冒険者の集団に追いついてしまったようだ。


「……ん、あれ?」


 それからしばらく様子を窺っていたのだが、時折布地が風にそよぐだけで、なにか生命を感じさせるような動きが全く見られない。


 流石に違和感を覚え、身を屈めながら恐る恐る接近していくと────次第に全貌が明らかになるにつれて、ずたずたになった純白のローブを無残に染める、鮮烈な赤が目に飛び込んでくる。


「ッ!」


 ────そこには、血溜まりの中に座り込む女の亡骸があった。


 血の気を失った肌は真っ白で、濁った瞳は虚空を見つめたまま動かない。不敵な笑顔で僕を殴りつけたその人とは到底思えない、凄惨な姿に変わり果ててしまっている。

 肩から腰にかけて、鋭い何かに切り裂かれたような大きな裂傷が刻まれており、もたれかかった背後の木にまで到達していた。


 何か強大な魔物に襲われたであろうことは間違いないだろう。血痕は乾いておらず、まだ近辺にがいるらしいことを静かに告げていた。


「……あ」


 ふと、切り落とされた革製のポーチの隙間から機械的な光沢がちらちらと覗いているのに気付く。

 罰当たりだとは思いつつもすぐさま手を伸ばし、幸いにも無傷だったスマホと財布を取り返すことに成功した……フフ、今日はツイてるわね、なんて。


 ……我ながら、なぜ死体を前にこんな悪趣味なことを冷静に考えていられるのか分からないが……何度か死にかけた所為で、変な耐性がついてしまったのだろうか。


「うわああ!!!」


 その時、大気を裂くような叫び声が突然耳朶を叩いた。

 声の発生源へ目をやると、そこには半狂乱で剣を振り回す男性の姿と……山のような巨躯を有する、黒い魔物の姿があった。


「嫌だッ、誰かたっ、助けてええ!!!!」


 二足歩行をしている為分かりづらいが、どうやらそれは熊のような見た目をしているらしい。

 魔物の足元には既に二つの死体──大柄な男と魔法使い風の女が横たわっていた。

 ただ一人残された戦士はぶんぶんと振り回される魔物の前腕を紙一重の所で躱しているが、もうあまり余裕は無さそうに見える。


「っお、おい! お前!!!」


「!」


 徐々に追い詰められていく中、男はどうやら僕のことを発見したらしく、血走った目でこちらに向かって叫んだ。


「助け


 その一瞬の隙が命取りとなり、魔物の腕が男の頭を直撃する。

 まるで枯草でも手折るかのように容易く彼の頭部は吹き飛ばされ、耳を塞ぎたくなるような音と共に地面で弾けた。


 慌てて木の裏に隠れるも、忍び寄るにはあまりに巨大すぎる足音が背後から少しずつ近付いてくるのが分かる。完全に位置はバレているようだ。

 およそこの世の物とは思えない、恐ろしい唸り声が地鳴りのように腹に響く。


「……最悪すぎる」


 小声で文句を言いながら、パニックに陥った頭の中で打開策を考える。

 なんとなく熊の対処法は知っているが、流石に人を襲った直後の熊の対処までは知らない。そもそもここまで生息地の環境が違ってくると習性もまた変わってくるだろう。付け焼き刃の知識などもはやあてにならない。


(いや、どうせ無理だ。ならせめて──)


 覚悟を決め、大振りな動きで森の奥へと駆け出した。


(あの短時間で二度も人と遭遇したんだ。多分ここらへんは人通りの多い道からそう遠い場所じゃないんだろう)


 全力疾走で来た道を引き返していく。

 その直後、四つ足で地を蹴り付けるような地響きが伝わってくる。幸い距離は開いていた為余裕はあるが、スピードからして恐らくいつか追いつかれてしまうのは分かっていた。


(できるだけ森の奥に逃げろ……そこで……)


 滲み出した視界を走りながら拭う。


「そこで……ッ、死ぬんだ……!」


 ◇◇◇◇◇


「ハァッ、ハァッ……!」


 全身が痛む。森の中を転げ回ったおかげで、至る所に無数の擦り傷や切り傷ができていた。

 これでは折角綺麗だったスマホも無事とはいかないだろう……まぁ、どうせ死ぬので今更気にすることではないのだが。


 どうやらあの魔物はあまりに大きすぎる体のせいで思うように動けないらしく、通り道の木々を薙ぎ倒す分のタイムロスで僕との距離を上手く詰められずにいるらしい。

 しかし、大樹の幹をいとも簡単に抉り倒す様を見るに、やはり元の世界の熊とは比べ物にならない驚異的な膂力を持っているようだ。


「ハァッ……ぐっ……」


 などと考えてる間に、もう既に体力の限界が近い。

 僕もその内ああなるのだ。それまで、少しでも人間の生活圏から遠ざけなければ。


 最後の気力を振り絞り、枝垂れた葉っぱのカーテンを抜けると。




「────……!」


 そこには、先程の少女がいた。


「あなた……まだいたの」


「っ……走って逃げてください!!!」


 すぐに踵を返し、今度は魔物に立ち向かう。正面から見るとやはり悪魔のような恐ろしい形相をしており、射殺すような眼光が真っ直ぐに突き刺さる。

 凶暴な魔物だ。僕があんなのに殺されれば、きっと沢山の人に迷惑がかかってしまうのだろう。


 しかし、どうしてもあの人だけは死なせる訳にはいかない。


(まだ距離はある……ほんの少しぐらいなら時間は稼げるはずだ)


 逃げるな、恐れるな。あの人に報いるんだ。

 大丈夫だ、死ぬ。死ぬ、僕は確実に死ぬ。死にたくない。死にたくない!

 嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!まだ死にたくない!!


「うわああああ!!!!!!」


 …………


 ………


 ……



 目を覚ますと、なんだか見覚えのある少女がこちらを見下ろしているのが見えた。

 視界の端では何やらプスプスと煙が立ち上っており、その根元に目をやれば、無造作に転がされた魔物の姿も確認できる。


「……どうして、私を助けたの? あんな魔物くらい、私ならすぐに倒せたのに」


「……マジすか。またこれかよ……」


 どうやら少女は僕の想像より遥かに強く、僕に助けられるまでもなかったらしい。

 ……また裏目に出てしまった。結局のところ全部余計なお世話、僕が勝手にしゃしゃり出ただけの自己満足。


 恥ずかしくて顔を隠す、その所作でなぜか強烈に胸部が痛んだ。多分僕はあのまま魔物と衝突して弾き飛ばされたのだろう。

 肋骨が何本かイったみたいだが、原型を留めているだけ儲け物だと思うことにする。


「なにやっても裏目に出てばっかりなんです、僕」


 そう言って自嘲気味に笑う。普段なら平気なはずなのに、どういう訳かこれまでの全てが急に情けなくなって、涙が溢れた。


「……なにやってもダメで。他人に迷惑ばっかりかけてみんなに助けられてばっかりなのに、なんにも返せないまま死んじゃって……誰の為にも生きられなくて……」


 嗚咽しながら泣き喚く僕の言葉に、彼女は静かに耳を傾けている。


「……せめて、あなたみたいな優しい人には生きていて欲しかったんです」


「!」


「あなたの為に死ねるなら、僕の命も無駄じゃなかったのかな……なんて思ってたんですけど……ごめんなさい、結局迷惑かけただけで」


「……そう」


 全てがダサすぎる。見知らぬ少女に二度も命を救われた上で、泣きながら自分語りをしている男。情けな。

 どうせこのまま死ぬし遺言でも考えようかと思っていた所、不意に彼女が僕の手を両手で握り込んだ。


「──じゃあ、あなたにもまだ生きてもらわないとね」


 少女の瞳がぱちりと煌めき、僕を中心に淡い光の柱が現れる。

 その瞬間、全身の痛みがスッと消え去った。


「えっ、ええっ!?」


 思わず飛び起きてしまったが、覚悟していたような痛みはやってこない。恐る恐る肋を触って確認するも、何一つの違和感がない。それどころか、全身の小さな傷に至るまで綺麗に完治している。

 気絶していた為分からなかったが、恐らく僕の頭もこの魔法で治癒してくれたのだろう。


 驚きのあまり呆然とする僕に向け、立ち上がった少女はそっと手を差し伸べた。


「……自己紹介が遅れたわね。私はノエル。あなたの名前は?」


 初対面と比べ、幾分柔和な雰囲気を感じさせる少女の手を取り、僕もゆっくりと立ち上がる。


「……ゆっ、悠里です。松山 悠里」


「ユーリ……あなたは私の弟子になりなさい。拒否権は無いわ、良いわね?」


 未だ動揺を隠せないままの僕の手を強く握りしめたまま、彼女は──ノエルは微笑んだ。

 それはあまりに綺麗で美しくて、生きていて良かったな、なんて安易に思わせるほど素敵な笑顔だった。

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