終わるのはおよそ、これから七十年後

石衣くもん

🔚

 スタートダッシュで逃げ切るか、ラストスパートで追い上げるか。人生において、どちらの方が幸福度は高いのだろう。


 久しぶりに会った友人に言われた「人生100年時代」という、三十路の時点でいっぱいいっぱいな自分に絶望しか与えないフレーズから、ふと、そんなことを考えた。


 一番古い記憶では、母から洗濯を干す手伝いがうまくできていないことを叱られて泣いているし、全くスタートダッシュは決められていない気がする。

 また、徐々に状況が良くなってきているとも思えない。


 夢なし、恋人なし、秀でた才能やスキルもなし。

 お金だって、同世代のキラキラインフルエンサー女子やら、仕事が恋人なバリキャリウーマンに比べたら、ないに等しい貯金額である。

 何より、情熱を燃やしたい対象が、一切ないのだ。


「100年も生きたくないとかじゃなくて、到底生きられそうにないんだけど」

「 なんでよ、今を楽しんでいけばいいじゃない!」


 ちなみに、能天気な笑顔でそう言ってきた彼女くらいしか、友人もいない。


 彼女は中学からの友達で、社会人になってからも会うくらいの仲であった。最近になって、今を楽しむべき教を布教し始めたのだが、旦那は高給取りで自身も独身時代に蓄えた資産も多い。そもそも実家が太い。私とはスタートが違う。そりゃあ、今を楽しめて当たり前だろう。


 そう不満を返せば、本気でムッとした顔をして


「あのねぇ、私だって実家には感謝はしてるよ? でもその反面、厳しくて我慢しないといけなかったことも多かったし、だからこそ、今を楽しみたいと思ってるんだから! そう考えたら、そっちの方が中学の時から門限も緩かったし、自由に遊べてたじゃん!」


と言われた。

 その我慢とやらは、


「こんな惨めな思いをさせるくらいなら産むな」


と、私に思わせたり、


「あんたはいっつも辛気臭い顔して、産むんじゃなかったわ」


と、母から思われたり、というか言われたりする関係性より辛いものだったのかしら。体験していないことは、推測の域を出ない。

 少なくとも、私は門限を気にしなくて良いことよりも、また同じ服着てると思われる心配がないくらい私服を持っている彼女が羨ましかった。私はなかなか私服を買ってもらえず、別に気に入っているわけでもない制服を着て、いつも私服の彼女と遊んでいた。


 ないものねだりとはよく言ったもので、彼女は貧困でも自由が欲しかったと本気で思っているし、私は不自由でも裕福でありたかったと本気で思っている。

 そして、彼女は自由も手に入れたのだ。私は未だ、富を得ていないが。


「いいじゃん、人生100年時代、私はワクワクしてるよ! だって親の扶養内では叶わなかったことが、自分で叶えていける、その期間が長くなったわけじゃない」

「やりたいことがある人にはね。私みたいに叶えたいこともない人間にはジリ貧の未来しか見えないわ」


 彼女の夢見がちな理想論は、私をムシャクシャさせる。

 けれど、同時に擬似体験させてくれるのだ。

 彼女が嬉しそうに、小さい時に親に禁止されて集められなかった可愛い文房具のコレクションを見せてきたり、親展の手紙すら勝手に開けられて検閲されるからと諦めていた同人誌を買えた、それに留まらず自分でも描いてみたという話を聞いたりすることが、未来は明るいものであるように錯覚させるのだ。あの時手に入れられなかったものを、いつか私も手に入れられるのではないかという錯覚を。


 それは一時的な効果しかないから、彼女と別れてすぐ、あの時手に入らなくて、今も欲しているものが何も思い付かない自分のさもしい人生に絶望する時間が訪れる。


「そう思うなら、自分を変えていかなきゃ! 今日を、そのスタートの日にしたらいいじゃない!」


 彼女を見ていると、最初だけ幸せなスタートダッシュの人生より、後から幸せになっていくようにラストスパートをかけていく方が幸せな気がする。


 そんなことをぼんやり思いながら、屈託のない笑顔を見つめながら、頷いた気持ちに嘘偽りはなかった。けれど、今日もこの後、彼女と別れたら、すぐにその気持ちは消滅して、いつもの絶望だけが残るのだろう。


 私に新しいスタートの日なんて、訪れない。

 そして、悲しいことに、終わりもまだまだ先のようなのだった。

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