『Good Morning Blues』が心に響く時

榊琉那@The Last One

再び『飛翔』するために

 2023年の七夕。自分が最も敬愛しているアーチストであるPANTAが亡くなった。初めにその情報を聞いた時、「嘘だろ?」としか思えなかった。確か1か月ぐらい前にライブに参加したはずだ。そこから急に容態が悪くなったのか?

 サイトの情報を見た時は冗談かと思ったが、複数のサイトで記事になっていることから、事実だと認めざるを得なかった。

 そこから暫くの間、自分の時間が止まった……。


 確かに半年ぐらい前、危篤だという話はあった。長年の付き合いがありながらも、頭脳警察としては一度も対バンがなかったシーナ&ロケッツとのジョイントライブ。PANTAの容態の関係で何度も延期となり、さあ今度こそというタイミングで、まさかのシーナ&ロケッツの鮎川誠さんが死去。この人も日本のロックの屋台骨を支えてきたアーチストだっただけに自分としてもショックだった。PANTAとしても余程のショックだったのだろう。本来ならジョイントライブになるはずだったものが、鮎川さんの追悼公演の形になろうとしていた。

 しかしながらライブ直前に、まるで導かれるようにPANTAも危篤状態となりライブは中止に。その時は生死の境を彷徨ったというが、何とか一命を取り留めたのだった。


 思えば、PANTAが病気の治療のために活動を休止すると発表があった時、自分としても、ある程度の覚悟はしていた。活動を休止する位だ。恐らく重い病気であろうとは思えていた。PANTAは、その時点でもう70代の年齢になっていたのだ。残された時間は長くはなかったはずだ。


 自分は嘗てはPANTAの追っかけに近い事をしていた。ライブを見る為に、何度となく遠距離まで遠征していったものだ。遠くは仙台にまで遠征をしたのはいい思い出だ。(その時は滅多に会えないネットの友人との交流の目的もあったのだが)

 マンスリーで週1回ライブを行う企画があった時など、ライブ当日は仕事を休み、ライブが終わった後は、もう新幹線もなく、最終電車の鈍行に乗って帰り、朝帰りでそのまま仕事に直行なんて無茶をしたものだ。若かったなぁ。


 しかしながら生活環境も変わり、趣味に無茶な金額も出せなくなっていった。ここ十数年、ライブを見に行く余裕もなかったし、CDも買う事もなくなっていた。

 更にコロナ過の影響で、自分は完全にライブとは無縁の生活になっていた。だから大好きなアーチストではあったが、音楽とは無縁の生活が続いていたので、その時期の情報には詳しくない。病気で活動休止の報を知ってから、再びオフィシャルサイト等をチェックするようになった。Youtubeのチャンネルもチェックし、時折投稿される動画を楽しんだりした。

 2023年初頭には元気に新年の挨拶をする動画も上がっていたのに。その時には半年ちょっと先には永遠のお別れが来ようとは、誰が思ったのだろうか?


 一度、生死の境を彷徨った男なら体調が戻るまで大人しくしているのだろうが、

PANTAというアーチストは、生粋の『ロック屋』だった。危篤から数か月後、数曲の演奏ながらもライブに出演したのは執念だろうか。もしかしたらこの時点でもう長くないかもしれないと、自覚していたのかもしれない。

 細く長く生きるよりも、ライブや作品を残す事を優先したアーチスト。馬鹿だと言われるかもしれないが、これが『ロック屋』としての生き方だったんだろう。


 PANTAは、死の3週間前、結果これが最後となるライブに出演した。

 ライブの直前、アーチスト側から曲順の変更が申し出されたと、後にマネージャーは公表している。もしかしたら最後のライブになるかもしれないと直感したマネージャーは、悔いを残さないような演奏をしてほしいと願ったという。バンドとしての最後の演奏となった曲は、『あばよ東京』。70年代の頭脳警察の最後のアルバムの最後に収録されている曲。最初のテイクが凄まじい演奏で、そのままOKとなった逸話がある。そんなPANTAにとって特別な思い入れのある曲であった。

 覚悟があったのだろう。もう命が燃え尽きそうな者とは思えない、エネルギッシュな演奏だった。

(注:後日、その時の演奏は、20分弱程度の収録時間ながら『東京三部作』として作品として発表されました。出来れば映像とセットにして発売してほしかったのですが。いくら生前最後のバンド演奏とはいえ、殆どシングルぐらいの収録時間なのに、定価3300円はファンながらもボッタクリ過ぎと思ってみたり)


https://www.youtube.com/watch?v=RUbhwNRibaE



 そしてアンコールに再び姿を見せ、偶然見つけたヘルマン・ヘッセの詩に感銘を受け、思わず曲をつけたという、ずっと昔から歌い続けていた代表曲の一つである『さようなら世界夫人よ』を熱唱した。キーボードでサポートをしたのは盟友の一人であるミッキー吉野さん。生前最後の演奏は、まるで生命エネルギーを絞り出すような、そんな気持ちの込められた演奏でした。


https://www.youtube.com/watch?v=sI5IkLM-DIc



 アーチストの死去が報じられてからの数日間は、自分にとっては、まるで抜け殻のような日々だった。こんな虚無の気分になったのは、飼い猫を亡くして以来だろうか。よく無事に仕事が出来ていたなと思うくらいだった。


 暫くしてから、PANTAのお別れの会が企画されているとの報を聞いた。まだ詳細は決まっていないが、『ロック屋』らしいものにしたいとの事。これは参加しなければと思ってはいた。公式サイトをチェックし続け、『ロック葬』の詳細が決まった時、絶対に休みをもらいたいと職場に直訴したが、返事は無情なものだった。慢性的な人不足のうえ、月初めの金曜日、更に悪い事に、同僚の人間ドックの指定日と重なっていたため、絶対無理だと。予定では翌土曜日も自分も出勤になっていたからまぁ最初から無理だったんだろうと。事情はわかるだけに諦めるしかなかった。

(せめて献花だけでもしたかったのに)


 『ライブ葬』のチケットは完売。それでもライブだけでも見たいとの声が多数集まり、急遽、ライブ配信が決定した。有料配信で僅か3日間のみ視聴可能となっている。自分としては、当然すぐに申し込んだ。しかしながら大昔、ライブ中継の配信を申し込んだが、カクカクで見れたものじゃなかった経験があり、不安な部分もあった。それ以降はライブ配信は遠慮してきたが、今の技術なら大丈夫だと信じたかった。これはファンとしては見るしかないと思っていた。だから気合で見るべきだと訳の分からない事を思っていたなぁ。


 そして『ライブ葬』当日、仕事が終わってから配信をじっくりと見る事にした。気になっていた映像の状況に関しては、全く問題はなかった。パソコンだけでなく、スマホからでも問題なく試聴出来たので、技術の進歩に感謝するのみだった。

 当日は、パソコンから映像を堪能する事にした。ドキドキが止まらないのはいつのライブを見て以来だろうか?



 調整に時間がかかったようで、開演時間をかなり過ぎてからまずマネージャーが登場し、亡くなるまでの経緯を話し始めた。

 すでに2年前の段階で胸に大きな影があり、肺癌のステージ4。余命1年と言われていた。残された時間は長くはない。そしてPANTAが選んだ道は……、


『生きたい。生きて歌っていたい。音楽がやりたい』


 PANTAは細く長く生きる道を選ばず、音楽と共に短く太く生きる道を選んだ。そしてマネージャーも出来る限り協力し、無理をしない程度にスケジュールを埋めていった。数か月に1度くらいのライブのゲスト参加という感じだろうか。

 アーチストが危篤状態になった時も、本人の希望で状態が良くなってからライブの予定を入れ、実際に演奏してきたという。流石に余命1年の事はファンには伝えられなかったとマネージャーは、その事について謝罪した。


 別れの挨拶は、最後まで一緒にアルバムを制作していたムーンライダースの鈴木慶一さんが行った。PANTAとはPANTA&HALのアルバム『マラッカ』のプロデュース以来の付き合いだ。

(余談ですが、『マラッカ』のプロデュースの候補に鈴木慶一さんと一緒に上がっていたのがまだ売れる前の坂本龍一さんだったといいます。アルバムのコンセプトに異議をとなえて話が立ち消えになったという事ですが)

鈴木さんは、最初は仲良くなれないと思っていたのが、5秒でわかりあえたとか、長年の付き合いの思い出話を少々話します。

 そして『年老いたミュージシャンは、夢を持たないもの。だから新しい海へ船を出せる』と最後まで挑戦し続けたPANTAについて語ったのでした。危篤状態になっても、自分の中に描いているアルバムの歌詞を伝えようと連絡を頼んだというエピソードも話していて、『まだPANTAの歌入れが終わってないよ』と無念そうに語るのでした。


 別れの挨拶が終わって、バンドのメンバーが集合してくる。

 結成してから50年を過ぎているので、オリジナルメンバーは2人のみ。中心人物であったPANTAが亡くなっているのだから厳密にはトシ一人か。それ以外は若いアーチストが参加している。

 以前から若く才能のあるアーチストを大切にしていてバンドのメンバーに入れてきたのは、如何にも彼らしい事だ。


 演奏の準備が出来、メンバー紹介がされ、今まさに演奏が始まろうとしている。

 そしてステージ中央のスクリーンに亡くなったPANTAの姿が映し出される。スクリーンに映るPANTAはギターをかき鳴らしボーカルはシャウトしている。バンドのメンバーは、それに合わせて演奏する。

 『宴会みたいな集まりは嫌だ』というPANTAの言葉を尊重した形になったのが、収録されたPANTAの演奏にバンドが生演奏を重ねるという、最後のバンドの共演による『ライブ葬』だった。


 PANTAの演奏自体は、コロナ過でライブ活動が出来ない時期に無観客で収録されたライブが元になっている。

 後に語られた裏話であるが、マネージャーは万が一の事を考えていて、『ライブ葬』のアイデアはその頃から企画されていたそうです。だから独自の角度からのカメラを入れて撮影したのだと語っていました。

 PANTAにバレて『何やってんだよ』と言われたのも、今となってはいい思い出という事か。


 その時はアコースティックライブだったけれど、今回はバンド形式になる。PANTAの歌声に他のバンドのメンバーが音を重ねていく。アコースティックの時も非常にいい演奏をしていたが、これが最後の共演となるという事で、バンドのメンバーも気合の入った素晴らしい演奏をしたのだった。

 嘗て発売中止となったアルバムに収録されている、過激な初期の曲から始まり、晩年の曲までバラエティに富んだ選曲だった。そして元々の演奏も、近年では最高クラスの演奏だったのが、(『会心の背信』というタイトルで発売済み)バンドの分厚い音が重ねられ、更に素晴らしい演奏へと昇華していく。あっという間に時間が経過していく、そんな濃い内容の素晴らしいライブだった。

 最後の曲が演奏される頃には、自分の眼に涙が満ちてくるのを感じた。

最後の最後で素晴らしい演奏を届けてくれたバンドに感謝したい。



 ライブが終了してから、もう一人のオリジナルメンバーであるトシが挨拶をする。元々喋るのが苦手な人なので、たどたどしい言葉であったが、感謝の気持ちをしっかりと伝えてくれた。製作途中だったアルバムは、アーチストの誕生日だった日までに完成させると。

(注:アルバムは、PANTAの誕生日である2月5日に『東京オオカミ』として無事に発売されました。しかしながら本来収録されるはずだった、香港のロックバンドであるBEYONDの『快闊天空 遥かなる夢に』という曲のカバーは、著作権関連がクリア出来ずに収録を見送られました。いつの日か公開されればと)

 そしてスクリーンにPANTAの笑顔が映っている中、会場の片隅に鎮座していたPANTAの遺骨の入った白い箱をマネージャーが持ち帰ってライブの配信は終了したのでした。これぞ正に『ロック葬』と言えるもの。これが『ロック屋』の意地というものだろうか。


 配信されている期間中、何度となく再生したのは当然の事だろう。今後、『ライブ葬』の映像が商品化されるかはわからないので、しっかりと記憶しておきたかったのだ。

(注:2024年7月7日のPANTAの一周忌にDVDが発売されました。形として残るのは嬉しいものです)



 この配信のライブを観て、自分のもやもやした気持ちにようやくケリをつけたんだと思えた。今後は鈴木慶一さんとのユニットであるPKOの、亡くなる寸前まで録音していたものの発売も期待したいし、それ以外にも未発表のライブも沢山あるだろう。他のアーチストに提供予定だった曲もストックが沢山あるはずだ。色々なアイテムが発売されるだろうが、トコトン付き合ってやろうじゃないか。PANTAにはノートに残された未発表、未完成の作品が沢山あるといいます。少しでも世に出る事を期待しましょう。




 ある日、唐突にPANTAの曲が頭に浮かんだ。

 長年連れ添ったパートナーとの別れの曲。理由があって別れなければならなかったのか、あるいはもう会えない場所へと旅立ったのかはわからない。ただ喧嘩別れではないのは、感謝の言葉を述べている点からもわかる。


 何でこの曲が浮かんだのだろう?


『俺がいなくてもしっかりやれよ』っていう

PANTAからのメッセージだと思っていくことにした。

 多分、もう大丈夫だろう。



『Good Morning Blues』

https://www.youtube.com/watch?v=1cU8s1J2NDk









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