18.敏腕経営者の眼は鋭い
麗(うらら)かな春の陽射しが、窓からこぼれ落ちている。どこか、冷めた感情を温めてくれるような優しい光だ。目の眩むような白に照らされた外の景色は普遍なく穏やかで、緑溢れる街に生きる人々は、明るい活気で満ちている。家族や愛する人と同じ時を過ごす、誰もが望む理想の風景がそこにあった。
青谷信明はそれをどんな想いで眺めているのか、自分の気持ちですら理解できずにいる。
テナス王国の王都より馬で約一日の場所に位置する町"キャンベルストリート"は、商業が特に盛んな地である。北にある王都をはじめ、東西の主要な都市の中心にあることから、商いの交差点(クロスロード)として永く活用されているのだ。町には各都市から寄せられた色とりどりの野菜や新鮮な肉類、他にも宝飾品や絹織物などの物珍しい特産品が並べられ、あたりはそれらを求めてやってきた客の波で、昼夜を問わずごった返しの状態である。
その立地にいち早く目をつけたのが"キャンベル"なる人物で、すなわち"紡ぎ屋"の創始者であり、現支配人イーアの父でもあった。物流が要になるこの地で、配達業が重視されないわけがない。個人的な軽量の配達にのみならず、商品の大量運搬、果ては重要人物の護衛まで。紡ぎ屋の業務は多岐に渡る。信明が招かれたこの豪華な屋敷も、"紡ぎ屋"の成功を象徴させるもののうちのひとつなのである。
薄ぼんやりとした眼で、いままさに発展を遂げている町の賑わいを流し見ていると、リリィが隣に立って顔を覗き込んでくる。
「ノブ」
名前を呼んでくる。リリィは寡黙な女性だが、彼女の一言にはいつも一言以上の意味が含まれている。
「ああ、分かっている」
素っ気のない返事しか出てこなかった。リリィに非がないことも本当は理解しているが、いまは怒りのぶつけどころが分からない。何を言われても無反応なリリィと話をすると、まるで感情の無いロボットかマネキンと接している気分にもなるから、会話はできるだけ避けたかった。
それ以上はもう何も言わず、信明が目の前の扉を二回ノックすると、中から愛らしい返事が返ってくる。
「どうぞ」
扉を開けると、そこは執務室だ。部屋の壁を埋め尽くす本棚には、本だけではなく帳票の類が隙間無くぎっしりと詰め込まれている。栄えある紡ぎ屋の歴史を物語っているかのようだ。
窓すらも覆い隠してしまっているためか、部屋の中はランタンひとつ分の明るさしかない。部屋の中央には執務用の机。その上には書類の束が天井を突かんとばかりに積み上げられている。
そんな書類の山の間からイーアがひょっこりと顔を出して、来訪者の姿を確認する。
「あら、賢者様」
「相変わらず、忙しそうだな」
彼女は本来お転婆な性格をしているものの、立場上この執務室に篭りっきりになることが多い。好奇心旺盛な年頃でこんなところに缶詰めでは、少々可哀想にも感じる。だから、時として今日のように勝手に外出してしまうこともあるのだろう。ひとり残された経営者とはいえ、まだ幼い少女には厳しい重荷でしかない。
「今日は外に出られたから、気分はまだ良いほうよ」
にこりと輝く彼女の笑顔は、どこか鈍って見えた。
「少し、休んだほうが良いんじゃないか」
無言で近くの本棚を物色し始めたリリィを横目に、信明はイーアの体調を心配する。
「そうね。でも、こうやっていたほうが落ち着くの。仕事を放って休んじゃうと、逆に気になって仕方ないから」
明るい口調でケロリと言ってみせる。父親に似て、よく出来た子だ。ただ、良い子すぎるのも、また問題ではある。
「そうか。でもイーアの代わりはいないんだ。あまり無理はしすぎないようにな。皆、心配しているよ」
「ええ。お心遣い、感謝いたしますわ。いざとなれば、賢者様にもお手伝いいただきますからね」
「もちろん、いつでも力を貸すよ。こんな何も取り柄のないおっさんでよければね」信明は近くの椅子を引き寄せ、腰を下ろす。「ところで、知希のことは本気なのか」
「ええ。つい先程仕事をひとつ任せたところよ」
信明は驚いて、座ったばかりの椅子から少し腰を浮かしてしまった。
なんと手際の良いことか。
「あら、賢者様にも動揺することがあるのね」
悪戯な笑みを浮かべたイーアだったが、視線は書類に落としたまま、仕事を続けている。
「あいつが何者なのかすら、まだ知らないだろうに」
「ふふん。いいえ、私の目に狂いは無いわ。紡ぎ屋に必要な要素をトモキはしっかりと持っている」イーアは手を止めず、続ける。「賢者様こそ、彼のことが随分と気になるようね?」
勘の良いこの子のことだ。信明と知希との間に何かあることを、薄らと感じ取っているのだろう。イーアの洞察力には、いつも脱帽させられる。
「別に気にかけているわけじゃない。ジェイやウォルの手前、イーアに変な虫がつかないようにしないといかんだろう? 俺が最後に見たのは、アイツが五歳の時だから、いまの知希を俺も知らないんだよ」
信明は頭を掻いた。嘘をついているわけではないが、彼女は鋭い女性だ。次に何を聞かれるか分かったものではない。
「ふぅん」
だが、彼女の口から次の質問が来ることはなく、いつの間にかまた仕事に打ち込んでしまっていた。
「それで、最初の仕事はどこに?」
「ローズおじさんのところよ」
信明の頭の中に、温厚な老人の顔が浮かび上がる。今年で九十を迎える独り者の高齢者だ。
「ローズか」
「そ。初めての仕事にはうってつけでしょ?」
イーアは自慢げだ。
「そうだな」そう言って腕組みし、少し考える。「まぁ……でもあそこはちょっと不安だな」
「では、様子を見にいってみてはいかがかしら?」
この子は意地悪な笑顔で笑うのが上手だ。
「遠慮するよ」信明は頭をポリポリと掻いた。「アイツが帰ってくるまで、ゆっくり休ませてもらう」
リリィに目配せで退出を促し、扉に手をかけた。彼女は手にとっていた本を元に戻すと、顔色ひとつ変えずに信明の後をついてくる。
「ねぇ、賢者様」
呼び止める声に振り向くと、イーアは仕事の手を止め、席を立ってこちらをじっと見つめていた。
「どうした」
いつになく不安げな表情を浮かべる彼女に驚かされる。言うか言うまいか、口を開くまでには、しばしの間思考を巡らせていたようだ。
「私、トモキの目を覗き込んだ時ね。そこに確かに紡ぎ屋になるための素質を見たの。それはとても眩しい光だったわ。……でも、その隣に寄り添うように一際暗い影を見つけたの」
「影?」
「そう、何か深い闇を抱えこんでるんじゃないかってくらい」イーアの歯切れは悪い。「まぁ、誰にでも暗い過去はあるんでしょうけど……。言いたくないこととか」
彼女自身、どう言い表していいものか、分からないでいるのだろう。別に超能力者でも無ければ、心のうちが読めるわけでもない。少しばかり勘が良いだけの、普通の少女なのだから。
「だから賢者様は何かご存知ないのかしら、と思って」
心当たりがないことは無い。むしろ原因が信明である可能性も否定はできない。信明が子供達から離れてからの年月は、知希の中に影を落とすには十分すぎる時間だ。
「さあ」信明はうそぶき、再び頭を掻いた。「さっきも言ったが、アイツとはしばらく会っていなかったからな」
「そっか……」
イーアは少し残念そうに、自分の椅子に戻った。よほど知希のことを気にかけているようだ。紡ぎ屋にとって、それほどの人材になり得るとでも考えているのだろうか。
「何かあれば力にはなるよ」
「ええ、頼りにしてますわ」微笑むイーアは、思い出したかのように再び立ち上がった。「ああ、それと」
「うん?」
「賢者様は困ったことがあると、頭を掻く癖があるのですね」
意地の悪い、だけど愛らしい少女の顔。
信明はリリィとふたり目を合わせた。
「まいったな、こりゃ。おじさん、イーアのことが怖くなっちゃったよ」
そうはぐらかしながら、信明は部屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます