16.父は悪魔嫌い

 朗らかで陽気な日差しを受けながら一、二時間ほど馬車に揺られていると、次第に建物の影がちらほらと見え始めた。


 どうやら、目的の街に着いたらしい。


 立ち並ぶ建物の構造は中世風で、石や木が剥き出しの壁が目立つ。外壁塗装がなされているわけでもなければ、屋根に瓦なんてものが敷かれているわけでもない。補強など二の次と言わんばかりの、とても簡易的な造りだ。


 それらが知希の目に物足りなく感じられたのは仕方のないことだが、それでも街は活気で満たされていて、子供達の元気な声が飛び交い、笑顔が街を賑やかしている。


「さぁ、着いたわ」


 自然よりも建物の数が目立つようになってきたところで車が止まった。


 ここが街の中心部。イーアの屋敷が、知希の視界に飛び込んでくる。


 両の目だけでは写しきれぬほどに、それは巨大だった。高さは三階建て。壁の材質を見るからに周りの建造物とはまるで造りが違う。この世界の最新技術で建てられたのであろう屋敷は、堅固そうでいてなお優雅さを纏っている。歪みひとつ見当たらない外観が、正確な設計によるものであることは一目瞭然だ。


 大豪邸。なんなら、知希が住んでいたボロアパートよりも趣のある造りをしている。


「ようこそ、私のお屋敷へ」イーアがにこりと笑う。「まぁでも旅人のあなたなら、もう既にご存知かしらね」


 確かにこれだけの建造物ならここでは有名かもしれないが、もちろんご存知なわけはない。


 知希は呆気に取られていた。このような建物なら、元の世界でも十分に通用する。それに加えて、屋敷周辺に広がる庭園は彩り豊かで、それは知希の想像を遥かに超えた豪華さだった。日本の大正時代に見られたという洋風の館にそっくりだ。


「中に入って、お茶でもいかがかしら」


 微笑む彼女は言うが先か、建物の入り口へと歩んで行く。無言で降りた父とリリィにならって、知希も箱を降りた。


 虎のカロンは、イーアの手櫛に喉をゴロゴロと鳴らしている。利口な虎だな、と知希は思った。手綱があるわけでもなく、自らの意志で屋敷までの道のりを歩んできたのだ。”普通の動物”には、到底出来る芸当ではない。


 イーアが玄関に手を伸ばすや否や、扉が内側から開かれた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 中から顔を出したのは、一人の男性。シワひとつ無い黒のスーツを着こなした、四十代くらいの偉丈夫。オールバックの髪型が黒く艶やかに光る。身体のラインが分かるほどに筋骨隆々だが、それでいて、流れるような一挙一動はしなやかで美しい。


「やぁ、ハンサムさん。私の留守中は問題無かったかね?」


 おどけた様子でイーアが男に問いかける。


 格好を見れば彼が執事のような存在であることには間違いないだろう。これだけ広い屋敷だ。お手伝いの何人かは居ないと、手が回らないのかもしれない。


「やぁ、じゃないよ、イーアちゃん。また勝手に抜けだしちゃって。いい加減、後を任される俺の身にもなってよ、ね?」


 男の口調は、一言目とは正反対に妙に軽々しくなった。そのギャップは、とても同一人物とは思えないほどだ。直立していた身体はくだけ、降りてきた前髪をかきあげる仕草は、すこしキザっぽい。


「あら。私だって、ただ遊びで出て行ったわけじゃなくてよ? 屋敷に篭りっぱなしじゃ、良いアイデアなんて浮かばないんだから」


「はいはい」男はイーアの発言を軽くあしらう。「で、賢者様とパーティでも企ててる?」


「失礼ねぇ、もう」


 イーアが頬を膨らました。


「相変わらず厳しいな、ウォルは」


 父がそう言いながら、男に手を差し出した。


「誰もお嬢様を止める役が居ないんでね。お久しぶりです、賢者様」その手を、ウォルと呼ばれた執事の男は両手で握り返した。「リリィ様も、変わらずお美しゅうございますね」


 リリィに対するお辞儀も、やはり形式ばった堅い挨拶ながら、その完璧な動作は見る者を感嘆させるほどの誠実さが見えてくる。


「あなたもね」リリィが答える。「歳を取っても、その美貌は変わらない」


「これは、これは。お褒め頂き、光栄でございますよ。常日頃の努力の賜物かな?」そう言ったウォルは、視線を知希の姿へと流す。「そして、えぇと……お初にお目にかかりますね?」


「あ、はい。トモキと申します。……旅人です」


 ここは父がそうしたように、賢者の息子という身分を隠して旅人だと答える。


「元よ、元!」


 イーアが特に悪びれる様子もなく、ウォルに耳打ちする。声量には隠す様子もない。


 さすがに知希も赤面した顔を俯かざるを得ない。


「へぇ、じゃあ職無しじゃないか」


 ウォルは珍しいものでも見るかのように、目を丸くする。


「いいえ。うちの仕事を手伝ってもらうことにしたの」


 イーアが間に立つ。


「紡ぎ屋の?」


「そうよ」


「ほぉ」


 そんな会話の後、ウォルは腕組みをして知希の姿をじっと見つめる。まるで、知希の中の何かを見定めるかのように。


 一、二分ほど見つめらた後のことだ。ウォルが顎に手を添えて唸った。


「あんまりイケてないな」


 ぼそりとそう言い放つのである。


 外見のことを言っているのだろうか。お洒落などとは無縁の生活を送ってきたのだから、そんなことは知希自身言われるまでもなく理解はしている。


「でも?」


 イーアはにこにことして、ウォルのしかめ面を覗き込んだ。


「そうだな。仕立て上げましょうかね」


 ウォルが不敵な笑みを浮かべたのも束の間、言葉の意味を理解する前に、イーアが知希の腕に手を回した。寄り添うようにイーアが見上げると、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「えっ?」


 再びの急接近に困惑を隠せないまま、知希はウォルの先導に従い、イーアの思う先へと連れていかれるのであった。




 三人が屋敷の中へと消えた後、ジェイはその後を憤怒の形相で追いかけていった。


 取り残された信明は、やれやれとばかりにため息をひとつ吐く。


「相変わらずね、彼らも」


 リリィがどこを見るでもなく、呟いた。無表情の彼女だが、長いこと付き合っている信明にはそこに感情がないわけではないことを理解している。


 いまリリィが抱いている感情は、罪悪感だ。


「そんなことは、どうでも良い」


 信明の声は未だに怒気を孕んでいる。


 根本の問題を直視せず、目の前の他愛無い話題へと話を逸らそうとするのはリリィの悪い癖だ。彼女はその罪悪感から、信明と視線を合わせることを恐れている。


「……」


「あいつは本物か」


 不思議なことだ。自分の息子だからだろうか、なんとなくそうだろうと感じているところはある。いままでの”作り物”とは何かが違うのだ。だからもう一度確認して、確証を得たい。


「本人よ」ようやく、リリィが視線を合わせる。「貴方も感じているのでしょう」


「何故止められなかったんだ。お前も居たんだろう」


 静かな怒りは彼女の目線を再び落としてしまった。


「言ったでしょう。止まらなかった。知希があなたへの道を自ら探し当てたのよ。それに、私に止めるだけの力は無い」


「俺に繋がる情報は全て消してきたはずだ。家も、俺の住民登録も、小説も。頼んでおいただろうが」


「……」


 まさか。


 黙り込んだ彼女の返答に、信明は全てを理解した。


 悪魔め。そう心中で毒づき、舌打ちをひとつ吐き出してしまう。


 彼女は所謂お目付役だ。彼女自身、上の決定には従わなければならない。そんな彼女を責めたところで何も解決はしないのだろうが、このやるせ無い気持ちをどこにぶつけて良いものか分からなかった。長生きして、感情のコントロールも上手くなった気でいたが、どうやらまだまだ未熟な人間のままであるようだ。


「フェレスはどこだ」


 悪の元凶はいまこうしている間にも、信明の苦悩を楽しんでいる。隠れてこそこそと暗躍している卑怯者のことを思うと、怒りではらわたが煮えたぎるようだった。


「私には分からない。彼は自由な人だから」


「呼び出せば良い」


「そんなに簡単じゃないわ。あの人は、自分の都合でしか姿を見せない」


 そんなことは言われるまでもなく分かりきっている。だが、奴を一発でも殴らなければ、この気持ちが落ち着くことは永遠に無い。


 何のために契約を結び、この世界に囚われているのか。悪魔と関わりを持ったことがそもそもの間違いだったのか。あの時の選択をするべきではなかったのか。


 何もかもが、後の祭りだ。いまはこうして悪魔の手の平の上で、永くに渡り転がされ続けている。


「クソ野郎だよ、お前達は」


 信明はたまらず、リリィから視線を逸らした。


「私は……」


 何か言いかけた彼女の顔は、やはり表情を欠いたままであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る