14.お転婆少女と堅物騎士

「けんじゃさまあ!」


 そうして、また誰かの声が大草原に響いたのは、三人の沈黙が長く続いた後。それでもまだ、ほとぼりも冷めぬうちだった。


 小鳥達の囀(さえず)りが清らかに鳴り連ねる中で、その女性の声は明朗かつ可憐な音色を奏でた。


 地平線からひょこりと頭を出したかと思うと、顔を上げた信明に向かって一直線に走ってくる。


「イーアか」


 そう父が呼んだ少女は、曇りの無い笑顔を顔いっぱいに広げて手を振った。


 見れば綾と同い年くらいの、顔に幼さの残る女性で、外国人女優のような見惚れてしまうほどの美しさを備えている。中世的服装は知希にとってはもの珍しかったが、服の上からでも分かるほどの彼女の女性らしさには目のやりどころに困った。


「お久しぶりですっ!」


 イーアは減速することなく、信明の懐へと飛び込む。


 父は彼女を優しく掴まえると、勢いの反動を流すようにして宙を一周させた後、地面に降ろしてあげた。


「相変わらず元気いっぱいだな、イーア」


「ふふっ」


 イーアの笑顔が弾けると、心無しか沈痛な雰囲気も薄れていく気がした。


「お、お嬢様! お待ちを……」


 また誰かの声がイーアの後を追うようにして登ってくる。


「だから言ったじゃない。そんなもの着てくるから!」


 イーアは口に両手を添えて、登ってくる男性に向かって叫んだ。


「し、しかし、お嬢様。いつ何時、敵が現れるとも限りません。私にはあなたを御守りする使命が……」


 姿を現した男は膝を押さえ、息も絶え絶えに吐き出した。ガシャガシャと騒々しい金属音が混じる。


 彼が疲労を隠せないのも当然であった。何せ、全身を鉄の甲冑で固めていたのだから。爪先から手の指先まで。頭にはフルフェイスの兜を被っていて、素顔は中に隠れている。


 西洋の甲冑だ。そんなものはテレビや展示会でしか見たことが無い。ましてや、それを着て歩く人物など。


「そんな疲れ切った体で何ができるってのよ?」


 イーアは腰に手を当てて、頬を膨らませた。


「な、何があろうとも、私は貴女を御守りいたしますよ……はぁはぁ……」


 さすがに息が苦しくなったのか、兜のバイザーを上げると、男性の顔が露わになる。これまた、驚くほどに端正な顔立ちで、すらりと伸びた鼻筋に澄んだ蒼の瞳。間違いなく、日本人ではない異国の人間だった。煌びやかな金髪からは、汗がぼたぼたと流れ落ちていく。見たところ、知希と年は変わらないだろう。


「あら、こんなところで愛の告白かしら」


  目を細めたイーアが言うと、鎧の男は跳ね上がるようにして姿勢を正した。


「め、めっそうもない! 私がお嬢様なんかと……わ、私は……その……えと……」


 そして、両手を組んでもじもじと何やら呟いている。


「すまないが、二人で勝手に盛り上がらないでくれないか」


 長く続きそうだった二人の掛け合いを、父が止めた。先程までは無かった笑顔を浮かべて。


 おそらく、怒りを捨てたわけではない。その上から、何ごとも無かったかのように笑顔を貼り付けているだけ。知希には、父の背中がまだ恐く見える。


「こんにちは。イーア、ジェイ」


 リリィが、両手を前にしてお辞儀をした。


「リリィ様も、お久しぶりでございますね」


 元気いっぱいだったイーアも、リリィに習ってお淑(しと)やかに礼を返した。明るさの一方で、礼儀作法もしっかりとしている。


 イーアと、ジェイという甲冑の男、そしてリリィが並んでみると、とてもじゃないがここが日本であるとは到底思えなかった。なのに、彼らは流暢に日本語を喋っている。そんなちぐはぐさが、知希にひとつの確証を与えた。


 異国の顔が三人。中世の西洋で見るような衣装は、決してコスプレ用の貸衣装なんかじゃない。


 それに、父の部屋から一瞬。まさに瞬きの間にここへ来た。いや、飛ばされたのか。”フェレスの力”によって。


 そして、行方の知れなかった父に会えた。


 導き出される答え。ここは地球上には存在しない、”異世界”だ。


 そうでなければ、これほどまでに澄んだ景色と、彼らの存在、フェレスの力の説明がつかない。


 父との再会には辛いものがあったが、この世界に対する興奮は逆に知希の鼓動を熱くした。


「それで、今日は何か用だったか」


 父がイーアにたずねた。


「そうね。今日は何かあるなってピンと来たのよね。賢者様のとこに行けば何か面白いことが、って」


「お嬢様は、思いつきで行動しすぎです」


 人差し指を立てて力説するイーアに、ジェイはため息を漏らした。


「何よ。街に居たって面白いことなんて、ひとつもありゃしないんだから」そしてイーアはようやく知希の姿を認めると、その瞳をうるうると輝かせ始めた。「で、貴方はどちら様かしら」


「え……」


 普段は他人との接触を拒んでいた知希のことだ。人との会話は久しく、それも女性との会話は特別に苦手であった。突然の振りには、戸惑う他ない。


 たかが自己紹介。しかし、なんと返して良いものか。口をまごつかせていると、見かねた父が代わりに答える。


「彼は知り合いの旅人だよ。しばらく見なかったが、旅に一区切りついたらしい」


 父は、息子だとは教えなかった。


「旅人さん……ねぇ」イーアは目を細めると、観察するように知希の周りを回り出した。「ふぅん」


「あ、あの」


 自らが話の中心になるのには慣れていない。いつも人が話しているのを影から聞いていただけだから。


「色々と面白いお話を聞けそうじゃない。私はイーア。貴方はなんとお呼びしたら良いかしら」


「と、知希と言います」


「トモキ……? 変わった名前ね。うん、よろしく」


 イーアの細長く色白な、綺麗な手が差し出された。


 その手を掴んで握手をしようとするまでに、随分と時間がかかったような気がした。何せ握手とはいえ、女性と触れ合うことなど、これまでに無かったのだから。


 緊張に汗ばんだ手。父とのやり取りも未だ心の大半を埋め尽くしている。そんな不安定な手を、冷たい金属の手が触れた。


「あれ……」


  思っていた感触との違いに、驚く。


「ご無礼とは承知の上で。お嬢様に何かあってからでは遅いゆえ」


  イーアとの間に滑り込み、代わりに握手をしたのはジェイだったのだ。


「こら、ジェイ!」


 その後頭部。ジェイの兜をイーアが殴った。


「あ痛っ」


「痛くない。邪魔ばっかりするんだから」


「邪魔って……」


 悲しそうな顔を見せるジェイに、イーアは眉尻を尖らせる。


 何故だろうか。ふたりの他愛のないやり取りを見て、知希はふと懐かしい記憶を思い出した。まるで昔の弟と妹を見ているような……。


「ふふっ」


 自然と、笑みがこぼれた。


 本当に微少な、意図してさえいなかったことだったが、皆がそれに気付き、知希を見る。


 父も少し驚いた顔をしていたが、すぐに元の渋顔に戻った。


「賢者様、トモキを私の屋敷にご招待したいのですが、よろしいかしら」


 突然、イーアがそう申し出た。


 これには知希も驚く暇すら無く、ジェイは素っ頓狂な声をあげて飛び跳ねる。父とリリィは、相変わらず表情を変えないが。


「お、お嬢様! なりませんよ」


 ジェイが取り乱すようにして反対した。


 当然の反応だと思い、知希自身も彼女の誘いを辞退する。


「そ、そうですよ。まだお知り合いになったばかりですし……」


「あら、宿はもうお決まりだったのかしら?」


 イーアの言葉に、警戒心というものは皆無らしい。それを上回る好奇心がそうさせるのだろう。


 普通の感性であれば、見ず知らずの人間を家に招くことには躊躇をするものだ。どころか、その考えに至ることも無いだろう。ジェイの反応を見るに、それはこの世界でも同じことらしいのだが。


「いえ、それは……」


 だが、行くあてが無いのも事実だ。


「ならば、良いではないですか。お代は旅のお話ということで、しっかりと頂戴いたしますので」


 周囲の反対も耳に入れず、なかば強制的に話を進めていく彼女に、ジェイは当然良い顔をしなかった。


「お嬢様。しかしどこの者とも存じませんお方を、屋敷にお泊めするのは……」


「ジェイ、失礼な言い方はよしなさい。賢者様のお知り合いですよ」イーアの表情は飄々(ひょうひょう)としている。少しばかり悪戯な笑みを浮かべて。「それに何かあれば、あなたが守ってくれるのでしょう? ならば、何も心配はいらないではないですか」


「し、しかし……」


 ジェイの額を流れる汗が、じわりと増した。


「私とリリィも同伴でお邪魔すれば問題なかろう?」父が言った。「そいつとは久しぶりの再会だから、俺も聞きたいことが山ほどある」


 知希を指差した父の発言にはやはりまだ棘がある。


 知希は痛く、辛い傷を負った気がしてならなかった。


「賢者様が、そう言われるのであれば……」


 ジェイは父の一声に渋々、イーアの提案に了承してくれた。


 何故かふたりに賢者と呼ばれている父は、それなりに発言力があるらしい。一体父はこの世界で、何をしてきたのだろうか。しかも、賢者とはなかなか大それた名前である。


 そんな父が、どうして息子である自分にこうも辛く当たるのか。父を頼りにしていたところもある。何も分からぬまま、右も左も知らぬ土地で、ひとり孤立した知希に、不安は募るばかりだ。


 父の顔を恐る恐る見やると、そこには知希を穴が開くかと思えるほどに見つめる父の視線に当たった。


「万が一のことがあれば、その時は俺とリリィが迷わずコイツを止める。安心すると良い」


 その厳しい眼差しの中に、何が渦巻いているのか、知希には知る由もなかった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る