13.感度の再会とは程遠い
「何のつもりだ、これは」
奥底から湧き出る怒りに震えて、父、信明は吐き捨てた。
ガラスの抜けた銀縁眼鏡の奥で光るその両目を、知希は直視できないでいる。腰に下げた真剣のような得物が、父をより物騒に見せたせいでもあった。
感動の再会とはならず、何故開口一番に殴られなければならなかったのか。父の怒りの原因に、思い当たる節などない。
「どういうことかと聞いてるんだ、リリィ」
父の声は揺れていた。
その言葉の先に、いつの間にかあのゴスロリの少女が立っている。この瞬間まで父と二人しかいなかったはずのこの場所に。
「……」
表情を欠いたままの少女は答えない。
風に静かに揺れる草花達の声だけが、さあっと泳いでいく。
沈黙の返答を受けて、父は更に激昂した。少女に詰め寄ると胸ぐらを両手で掴み、凄まじい剣幕で迫る。
「これもあいつの悪趣味なイタズラか」
「違う。彼は本物。自分の意志でここに来た」
詰め寄られても、少女は顔の皺(しわ)ひとつ動かさず、声色さえも変えずに淡々と返した。
そのやりとりを、知希は草むらに座り込んだまま見ていることしか出来ずにいる。
「本物だと? そうやってアイツに何度騙されたと思っている」
父は、十数年ぶりに出会った息子のことを偽物だと思っているようだった。ここがいままで暮らしてきた世界とはまた別次元の場所であるのならば、急に現れた息子の姿に戸惑うのも無理はないのかもしれない。
「契約書にもサインした。嘘だと思うなら、話をしてみると良い」
議会音声さながら、リリィの声が続いた。
そうして二人分の視線を感じた知希は、草むらから立ち上がり、尻についた土と草切れをパタパタと払う。
「あ、あの……」
この状況で、何を言えというのか。言いたいことや聞きたいことが山ほどあったはずなのに、そんなものは父の一撃をもって吹き飛ばされてしまった。散らばったものを拾い集めるにはまだ時間がかかる。
「何を言って証明したって無駄だ。あいつなら、記憶すら完璧な人形を作ることが出来る。それに」父の怒りに、哀しみの吐息が混じった。「あの子が生きているはずがない」
その短くも強烈な一言は、知希の胸に疼きを走らせた。
生きているはずがない? 自分のことを言っているのだろうか。だとしたら、それは一体どういう意味なのか。知希は困惑した。
「前にフェレスが連れてきた人形は、その場で切り捨てた。こいつも同じように捨て置けば、それであいつは満足か?」
そう言った父は剣の柄に手を伸ばし、鞘から引き抜いてみせた。初めて聴く鞘走りの煌めき。陽光に照らされて鈍く光る銀色はとても鋭い。
「彼は不死じゃない。斬れば後悔する」
その手を、リリィの白い手が止めた。
さすがに知希は慌てた。ようやく会えた父に勘違いされ、あげくの果てにその父に斬られるなんて冗談じゃあない。何のために怪しげな契約書まで交わして、ここまで来たのか。知希は怒れる父の迫力に耐えながらも、立ち上がった。
「俺は偽物なんかじゃない……です。あなたに会うために、フェレスという人と契約しました。嘘じゃない」
疑心を抱く父を相手に、本物であるという証拠を探すことは容易ではなさそうだった。ただ、とにかく口を動かすしかない。
「前に来た奴らも、同じことを言った」
父はにべもなく言う。
「母さんと、瑛二と綾の話をしたくて、あなたに会わなければいけないと思って、全てを捨てたつもりで、ここまで来たんです!」
「それ以上喋るな」
リリィの制止を払い除け、剣を光らせながら父が向かってくる。もはや、取り付く島もない。
「そして、二度とその顔で私の前に現れるな」
その怒りが頂点に達していることは、赤く染まった顔を見れば分かる。恐ろしい形相の裏に、父は何を思っているのか。
間近に迫った突然の死に、知希はすくんだ。何のためにここまで来て、こんな思いをしなければならなかったのか。目的をひとつも達せず、知らない土地で倒れるなんて。
そんなの、おかしいだろう。
知希は自らを奮い立たせた。念願の父との再会は、こんなはずじゃない。
「……なんで、俺達を捨ててこんなところに居るんだよ!」
知希は声が裏返るほど叫んだ。口が裂け、喉が壊れるかと思えてしまうほどに、強く。
父の足が止まった。
「母さんが死ぬ気で働いて俺達を育ててくれている間に! 綾が悩みに潰されそうな時に! 大学受験のために瑛二が必死に勉強していた時に!」
これが最後の言葉でも構わないとさえ思った。だから、声が枯れるまで、知希は叫んだ。
「俺が死にたいと思うくらい辛い時に! あんたは一体何をやってたんだよ!」
地平線いっぱいに広がる大草原の上に、知希の声は延々とこだました。
そんな言葉に貫かれてしまったかのように、父は立ち竦んでいた。瞬きも忘れ、開いた口も閉じないまま。
「あの世界に居ることが辛かった……。別の世界でやり直せるなら、それでも良いと思った」
知希の脳裏にこびりついていた地獄の日々が、再びほくそ笑む。耐えがたい侮辱に苛まれ、肉体的にも精神的にも追い込まれたあの日々が。
元の世界は、それほどまでに過酷な場所だったのだ。
父と少女の視線を痛いほどに感じながらも、知希は吐き出すことを止めなかった。
「母さんにも迷惑かけたし、瑛二と綾にも恥ずかしいところを見せた。でも、どう立ち直れば良いのか、どう前向きに進んでいけば良いのか、俺には分からなかったんだ」
「……」
歩みを止めたまま、父は何も喋らない。
「俺だって! 俺だって、あんたの背中を見ながら成長したかったよ!」誰にも言えなかった感情が、止めどなく溢れ出す。「なのに、なんであんたはこんなとこにいるんだよ……」
なおも問いに答えぬ父だったが、知希が力なくその場に崩れ落ちるのを見て、ようやく口を開いた。
「何故止めなかった」
それは答えでも無ければ、知希に向けられたものでもない。
「私は止めた。けど、止まらなかった」
少女が答える。
「止められなかった、の間違いだろう」
剣を鞘に納めながら、父は言った。依然として言葉の端々には火照りを残しているが、先程までの烈火の如き怒りはいつの間にか鎮火しているようだった。
「俺は……」
顔を上げた知希の前で、父は両手で顔を覆い隠し、リリィはその父の姿を黙って見つめている。
「俺は、何のためにここにいるんだ」両手の隙間から、父の唸りが漏れる。「なぁ、答えてくれよ、リリィ……」
知希がした質問を繰り返した父に、少女は無言を貫いた。
ただ、その横顔がどこか哀しげに見えて、知希は初めて彼女の感情を見たような気がした。
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