夜空ノ列車

朏猫(ミカヅキネコ)

夜空ノ列車

「なぁ、あそこ何か光ってねぇ?」

「え? 何?」

「ほら、あの自販機の隙間」

「ほんとだ」


 帰りの電車をテルオと待っていたら、自動販売機の隙間で何かがキラキラ光っていることに気がついた。何だろうと思いながら近づいてしゃがみ込む。


「あれ、なんだろうな」

「うーん、光ってるってことは指輪とかネックレスとかじゃない?」

「じゃ、落とし物か」

「たぶん」


 落とし物なら拾って駅員に届けよう。そう言ってテルオが隙間に手を突っ込む。


「ん~……あと少しだけど届かない」

「木の枝とかあったら届く?」

「たぶん」

「枝かぁ……あ、定規ならあるよ」


 算数の時間に使った三十センチの定規を鞄から引き抜いてテルオに渡した。


「これで届く?」

「やってみる。……あ、届いたっぽい」


 そう言いながらテルオがくいっと定規を動かした。出てきた葉っぱや紙くずに混じってキラキラ光るものが見える。


「あれ? 指輪じゃないや」

「ほんとだ」

「なぁツキヤ、これって何?」


 テルオの手のひらで光っているのは石だ。もしかしてビー玉かなと思ったけど、丸くはないしビー玉っぽくもない。


「何だろう。光ってるから宝石か何かかなぁ」


 テルオが「ふーん」と言いながら石を見ている。僕も覗き込むように石を見た。

 二人で「落とし物か?」だとか「でも石だよ」だとか話していると、急に石が弾けたように光った。「うわっ」と叫んだテルオの声を聞きながら咄嗟に両目を瞑る。それでも眩しさを遮れないくらいの輝きに、怖くなった僕は慌ててテルオの腕を掴んだ。


 ガタン、ゴトン。


 どこからかそんな音が聞こえてくる。まるで電車に乗っているときに聞こえる音みたいだ。「いつの間に電車に乗ったっけ」とぼんやり考えていたら「ねぇ」という声が聞こえてきた。


「寝てるなんてもったいないよ」


 きっと僕に話しかけているんだ。そう思ってゆっくりと目を開ける。目の前には電車の座席の背もたれ部分があって、その上から男の子が顔を覗かせていた。


(……え?)


 僕は男の子を見て驚いた。だって……。


「ぅわっ。何だよ、その顔!」


 大きな声にびっくりして隣を見ると、驚いたように目を見開いているテルオがいた。


「顔? 何かついてる?」


 そう言った男の子がフサフサの毛に覆われた手で顔をクルクル撫で回し始める。


(喋ってるけど、やっぱり猫だ)


 男の子の顔は猫そのものだった。耳もあるし髭だって生えている。顔を撫でている手も猫ってことは尻尾もあるのかもしれない。服を着ているからわからないけど、顔も手も間違いなく猫にしか見えなかった。

 僕は慌てて周りを見た。いつも乗る電車とは違って、狭い通路を挟んで二人掛けの椅子がずらりと並んでいる。椅子も壁も通路も木でできているような感じがした。そういえば前に旅行で乗った機関車がこんなふうだった気がする。

 でも、あのときとは全然違う。だって、座っている人たちがみんな猫の顔をしているんだ。


「なぁ、何だよこれ」

「聞かれても僕だってわからないよ」


 コソコソと話しながら何度も周りを見たけれど、やっぱり全員猫のように見える。しかも服を着て喋って、僕たちみたいに二本足で歩いてもいた。


(っていうか、いつの間に電車に乗ったんだろう)


 僕とテルオは電車が来るの待っていた。今日の算数は難しかったね、体育は楽しかった、給食のゼリーを二つ食べた、そんな話をしていたけど電車に乗った記憶はない。


「なぁツキヤ、俺たちこんな電車に乗ったっけ?」

「乗ってないと思うけど……わからない」

「俺もわかんないんだよな。電車待ってるとき、何か拾った気がするんだけど……何だったっけ」


 そういえばテルオが何か拾ったような気がする。それを二人で見て、それから……。


「ねぇ、もう卵パンは食べた?」

「え?」


 座席の背もたれから顔を覗かせている猫の男の子が「だから卵パンだよ」と話しかけてきた。


「卵パン?」

「そう、卵パン。この列車の名物だよ。分厚い卵焼きが挟まってておいしいんだ。次の停車駅までまだ時間あるし、売店車両で買ってくるといいよ」


「ほら、あの扉の向こうが売店車両だよ」と言った男の子が、肉球の手で後ろのほうを指さした。振り向くと、やっぱり見たことがないくらい古めかしい扉が見える。


「よくわかんないけど、腹減ったし買いに行こうぜ」

「あ、ちょっとテルオ!」


 さっきまであんなに驚いた顔をしていたのに、さっさと立ち上がったテルオが扉のほうに歩き出した。「待ってよ」と僕も慌てて後をついていく。

 どんなときもテルオは変わらない。知らない場所でも何とも思わないのか、いまもズンズン歩いている。


(それでよく失敗もするけど……ほんとはちょっとだけ羨ましいかな)


 僕はいつでも思ったとおり行動できるテルオに少しだけ憧れていた。そんなテルオは「物知りなツキヤが一緒だから平気なんだよ」と言ってくれる。笑顔でそう言うテルオを見るたびに僕は勇気が湧くような気がした。


(そうだ、いまだってテルオが一緒なんだからきっと大丈夫)


 そう思いながらテルオの後をついていく。


「卵パンってあれじゃないか?」


 テルオが指さした先に“パン”と書かれた旗があった。ショーケースの奥には派手な柄のシャツを着てサングラスをした……猫がいる。口にはタバコみたいなものを咥えていて、ピンと立った耳には小さな輪っかがたくさん付いていた。ちょっと怖い見た目だから何となく話しかけづらい。


「なぁ、せっかくだから何か買おうぜ」

「ちょっと、テルオ」


 テルオは相手がどんな人でもあまり怖がらない。いまだってさっさとショーケースの前に立って中を覗き込んでいる。


「すげぇうまそう」


 ショーケースの中身に夢中なテルオを見てから、そうっと奥にいる怖そうな猫を見た。何も言わないけどサングラスの目が睨んでいるような気がする。


「ねぇ、テルオ」

「いろんなのがあるぞ」

「テルオってば」

「なぁ、どれにする?」


 テルオは食いしん坊だ。サンドイッチに夢中で、奥にいる猫の様子に気づいていない。


(もしかして睨まれてるかもって思ったけど、何も言わないってことは平気なのかな)


 僕はドキドキしながらテルオの横に並んでショーケースを覗き込んだ。

 中にはサンドイッチがずらりと並んでいる。分厚い卵焼きを挟んだ卵パンだけじゃなくチーズとハムを挟んだものやポテトサラダを挟んだもの、それに果物とクリームを挟んだものまであった。

 見ているうちに僕までお腹が空いてきた。どうしようと思っていると、隣で「うーん、悩むなぁ」と言ったテルオがパッと顔を上げた。


「ここって卵パンが有名なんですか?」


 テルオの質問に、猫がサングラスを下にずらしながら僕たちを見た。緑色の目はやっぱり怖そうで、ドキドキしながら静かに見守る。

 ギロッと睨んでいるように見えた緑色の目が、急にニィッと笑った。サングラスを元に戻し、咥えていた棒を指で摘み出してから「おうよ」と返事をする。


「うちの卵焼きは金星産の黄金卵に天王星産の上質なザラメを使ってるんだ。北十字から鷲に蠍にケンタウロス、果てはサザンクロスに至るまで流行っちまって、おかげでボロ儲けってやつだ」


 タバコに見えたのは飴の棒だった。怖そうな猫は棒付き飴をヒラヒラ動かしながら自慢げに話をしている。それを聞いたテルオは「よくわかんないけどすげぇな」と言いながらパンを選び始めた。


「じゃあこの卵パンと、あとハムとチーズのパンを一つずつください」

「ちょっと」


 注文し始めたテルオの腕を慌てて掴んだ。


「何だよ」

「お金持ってるの? 僕、電子マネーしか持ってないよ」


 耳元でそう囁いたら、テルオが「あっ」と声を出した。僕たちは普段、定期券のICカードに親からチャージしてもらった電子マネーで買い物をしている。買い物をするのはもっぱら駅の売店だから、それで十分だった。

 でも、見るからに古そうなこの電車では電子マネーなんて使えないに違いない。そう思ってテルオに話しかけると、テルオが「何か持ってなかったっけ」と言いながらズボンのポケットをゴソゴソし始めた。


「あ、あった」


 そう言って取り出したのはキラキラ光る石だ。それを見た怖そうな猫が「おっ、特別乗車券じゃねぇか」と言いながら、ツルツルした紙にパンを入れ始めた。


「いまどき珍しいな。それ持ってんなら一食分ずつタダになるぜ」

「ほんとに?」

「あぁ。パンと、あとはほら、あっちのコーヒー屋の飲み物もタダだ」


 猫の肉球が指したほうを見ると、お土産物屋っぽい棚の先に“コーヒーあります”という旗が見えた。カウンターのような場所の奥にはやっぱり猫顔の人がいて、今度は白衣を着ている。


「ほらよ。おまけに飴玉つけといてやったからな」

「ありがと!」


 満面の笑みでお礼を言ったテルオは、右手にパンの袋を持ち左手で僕の手を引きながらコーヒー屋に向かった。


「こんにちは」


 テルオの挨拶に、カウンターの奥にいた猫がちらっと僕たちを見た。何か言われるかと思ったけど、眼鏡をかけた猫は何も言わずに新聞に視線を戻した。


「なぁ、何飲む?」

「僕、コーヒーなんて飲まないから名前を見てもわからないよ」

「何だよ、子どもみたいだな」

「子どもみたいって、僕たちまだ子どもじゃないか」

「残念でしたー。俺、子ども用のだけどいっつもコーヒー飲んでるぜ? うちは毎朝父ちゃんが豆を挽いてコーヒー淹れるからな」


 テルオの言葉に「ほう、それはよい習慣だ」と言って白衣の猫が僕たちのほうを見た。


「では、とっておきのコーヒーを淹れてやろう。そちらにはカフェオレはどうかな?」

「あの……」

「ミルクたっぷりのカフェオレならコーヒーが苦手でも楽しめる」

「……はい、それでお願いします」


 勧められたらどうにも断りづらい。僕が頷くと、レンズと鼻掛け部分だけの眼鏡をつけた白衣姿の猫が、天秤を持ち出してコーヒー豆を量りだした。始めは大きなスプーンで二杯、次は小さいスプーンで慎重に少しずつ豆を足している。


「なぁ、何か理科のオオキ先生っぽくないか?」

「それ、僕も思った」

「だよな? 眼鏡といい白衣といい、先生みたいだ」

「そうだね」


 そんなことを囁きながらコーヒーが出来上がるのを待つ。ガリガリ豆を挽く音がしてからしばらくすると、香ばしい匂いが漂い始めた。普段コーヒーを飲まない僕も鼻をクンクンさせてしまうくらい、すごくいい匂いだ。


「さぁできた。こっちが子ども用のジャコウネココーヒーで、こっちはカフェオレだ。カフェオレにはわたしがブレンドした専用豆を、ミルクはコク深い木星産のジャージー乳を使っている。コーヒーが苦手でも十分楽しめるはずだ」

「ありがと」


 テルオは青いカップを、僕は白いカップを受け取った。


「それから、ロックキャンディもつけよう」

「ろっく……?」


 首を傾げるテルオに白衣の猫が眼鏡をクイッと押し上げる。


「コーヒーの味を引き立たせる砂糖の結晶のことだ。これをカップの底に静かに沈め、ゆっくり溶け出すのを味わうといい」

「へぇ、そんな飲み方初めて聞いた」

「この店のオリジナルだ」


 そう答えた白衣の猫が、コーヒーとは別にキラキラ光る塊の入った小さな袋をくれた。それらを持って、最初に座っていた車両のほうへ歩いて行く。


「よくわかんないけど、何か楽しいな」

「うん。でも、この電車どこに向かってるんだろう」

「あ、あそこに窓がある。見てみようぜ」


 テルオに促されて、上半分が閉まっている窓のそばに近づいた。カフェオレをこぼさないように気をつけながら覗き込む。


「え?」

「うわぁ!」


 窓の外には一面の夜空が広がっていた。夜見る星空よりずっと近いところで星がキラキラ瞬いている。


「星? あれって本物?」

「うっはー! すっげぇな! プラネタリウムに行ったことあるけど、それよりすげぇよ!」

「感心してる場合じゃないよ。外が星空なんて、絶対におかしいって」


 僕たちが普段乗っている電車では絶対に見えない景色だ。どういうことかわからなくて混乱する僕とは違い、テルオは「すげぇな!」なんて笑顔で外を見ている。


「テルオってば」

「いいじゃん、楽しそうだし」

「でも、」

「おっ、このパンうまっ! なぁ、ツキヤも食べてみ?」

「ちょ……っ、んぐ、ん……おいしい」


 文句を言おうと開けた口にパンを突っ込まれた。慌てて噛み千切ると、ふわっとしているのにもちっとしたパンにちょっとだけびっくりする。それに甘い卵焼きもふわふわしっとりしていて、パンと一緒に噛むとすごくおいしかった。「パンが少ししょっぱいから甘い卵と合うのかな」なんて考えながらモグモグ噛む。


「あのさ、これってきっと夢なんだよ。夢なら楽しんだほうがいいと思わねぇ?」


 慌ててパンを飲み込んでから「夢って、二人揃って同じ夢を見てるってこと?」と聞き返した。


「うーん、もしかしたらどっちかの夢なのかもしれないし、二人で同じ夢見てるのかもしれないけど」

「そんなことってあるのかなぁ」

「あるんじゃねぇ? きっと帰りの電車で一緒に寝ちゃったんだよ。だから同じ夢見てんのかもしれないだろ?」


 そんなことが本当にあるんだろうか。そんなふうに思いながらも、窓の外の星空を見ているうちに段々と楽しくなってきた。


「そういや今日の国語の時間、こんな感じの話読んだよな」

「ええと、銀河鉄道の夜?」

「そう、それ! だから二人してこんな夢見てんだよ」

「たしかに読んだけど、だからってこんな夢見るかなぁ」


 そもそも、あの物語には猫の顔をした乗客なんて出てこなかった。そう思ったけど、テルオの楽しそうな横顔を見ていたらどうでもよくなってくる。


「なぁ、この電車どこまで行くと思う?」

「銀河鉄道の夜を読んで見てる夢なら、きっと同じくらい遠くまで行くんじゃないかな」

「そっか! やばい、すっげぇワクワクしてきた。なぁなぁ、これって俺たち二人の銀河鉄道の旅が始まったってことじゃねぇ?」

「旅が始まったって、これは夢だよ?」

「夢でも旅は旅じゃんか。こうなったら目が覚めるまでとことん行ってくんねぇかな」

「夢の中でもテルオってテルオなんだね」

「楽しいことはとことん楽しむのが俺だからな! なぁ、席に戻って外見ながら食おうぜ」

「うん」


 窓の外を見ていたテルオが、僕のほうを見てニカッと笑った。見慣れた顔なのにいつもと違って見えるのは、きっと僕もテルオみたいにワクワクしているからだ。


「何だか僕もワクワクしてきた」


 すぐそばにある笑顔にそう話しかける。


「ツキヤと一緒なら、俺はいつだってワクワクするけどな」


 そう言ったテルオがますますニカッと笑った。

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夜空ノ列車 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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