3 いっせーのせ

 如月は僕のファーストキスを酒臭い口で奪った後、なんと僕を床に押し倒したまま寝た。


 大分後になって大家さんが来てくれなければ、ひと晩中でかい身体に押し潰されたままだったかもしれない。大家さんには感謝だ。


 僕と大家さんは、勝手に如月宅の押入れを開けると布団を敷いた。二人でひいふう言いながら如月の両手両足を持って布団まで運ぶと、ようやく如月宅を後にした。


 大家さんは去り際に、「何も見なかったよ。大丈夫だから」と肩をぽんと叩いていった。いや、余計響くからやめてほしい。


 そして翌朝。


 チャイムが鳴ったので出てみると、酔っ払った勢いで記憶をなくしていてほしかった相手がニコニコしながら立っていた。


 折角の家賃割引だけど、引っ越そうか。悩ましい。


「おはよう拓夢ひろむ!」


 酒は残ってないのか、昨日はボサボサだった前髪を後ろに流した如月はどこからどう見ても好青年にしか見えない。


「如月さ――」

拓夢ひろむには大介って呼んでほしい。恋人じゃないか!」


 と言いながら、如月は入っていいとひと言も言ってないのに僕の家に入ってきて、後手でドアを閉めやがった。大介なんて名前、今初めて聞いたよ。


「おい、一体いつから僕とあんたが恋人になった」

「昨日から。拓夢ひろむを幸せにするって約束したからね」

「は……」


 呆れすぎて口をぽかんと開けて見上げていると、如月が突然の告白を始める。


「……俺、この見た目でしょ? これまで、好かれたくない相手にも男女問わずストーカーレベルで好かれて、一生恋なんてしないで生きていくんだって思って生きてたんだ」

「はあ、そりゃ大変」


 感情の籠もってない声で返したけど、如月は微笑んだまま続けた。昨日の号泣からは想像がつかないメンタルの強さだ。


「社会人になったらがむしゃらに働いてビッグな男になろうって、それだけを志してきたから、倒産を聞いてショックであんなになっちゃった……はは、恥ずかしいよね」

「だね」


 否定はしなかった。というか、靴を脱いで入ってこないでほしい。


拓夢ひろむは、あんな情けない俺の姿を見ても、自分の不幸だった話を赤裸々に話して僕を慰めてくれた」

「だから僕、自分を不幸せだとは思ってな……、」

「しかも、泥酔した俺を、甲斐甲斐しく面倒見てくれて」

「大家さんの存在忘れないであげて」


 如月は、さらっと僕の言葉をスルーした。


「しかも、俺を見ても媚びようとしない人なんて、初めてだった」

「は?」


 如月が、ポッと顔を赤らめながら更に一歩近付いてくる。僕はじりじりと壁に追いやられていった。


「俺、拓夢ひろむにキスしたでしょ? なのに君は俺を襲うことなく、布団まで敷いて寝かせてくれた」


 あれ、覚えてたのか……。キスしたら反対に襲われるって、モテすぎるのも考えものだ。というか、大家さん。大家さんをカウントしてあげて。いたから。


 如月が、端正すぎるアイドル顔で艶やかに微笑んだ。


拓夢ひろむに説教されて、俺は目が醒める思いだった。拓夢ひろむを一生幸せにするには、こんなことでへこたれてなんかいられないよね」

「じゃあ目が醒めたところでそろそろ帰って――」

「……拓夢ひろむ


 とうとう、僕の背中が壁につく。この部屋、大して広くないからな。


 如月が、僕の両肩を掴んだ。またこれか。


「話を聞いて」

「……なに。手短にして」


 とりあえず話を聞いてあげないと落ち着かないかな。溜息を吐きつつ返すと、如月の笑顔が消え、真剣な表情に変わった。


「俺はまだ、拓夢ひろむのことを殆ど何も知らない」

「そりゃそーだ」

「だけどこれから先、一緒に就職活動を始めようと思ってる」

「……うん?」


 だから何だろう? と首を傾げる。言いたいことがよく分からない。


「その……拓夢ひろむは、同じスタートラインに立ちたいんだなって、昨日の話を聞いて思った」

「――!」


 あれ、僕、そこまで話をしたっけ? ……したかもしれない。あまりにも如月が嘆くから、つい赤裸々に語ったかも。


「勿論、同じ日から就職は難しいと思う。だけど恋人としてなら、二人で沢山同じことを一緒に初経験していって、人生の同じ岐路に立つことはできると思うんだ」

「……同じ岐路……」


 突然恋人だなんだと言ってきたから頭がおかしいのかと思ったら、そんな意図があったのか。いや、だからって言ってることは大分おかしいけど。


 如月が、僕の左肩から手を外して、右手を差し出してきた。


「だから拓夢ひろむ。俺の手を取って、一緒に二人で歩むこれからの人生のスタートラインに立って、いっせーのせで一歩を踏み出しませんか」

「如月さん……」

「大介ね」


 そこは譲らないらしい。この人、泣き上戸な癖にかなり強引だな。……ちょっとおかしくなってきた。だってこの人からは緊張が伝わってきて、実は凄く一所懸命なのが分かるから。


「俺は拓夢ひろむに惚れました。拓夢ひろむが俺に惚れてないのは分かってます。だからこれから一緒に手を繋いで俺の頑張りを隣で見て惚れさせるつもりです」

「……自信家だな」


 ちょっとまって僕。なに言っちゃってんの。これじゃまるでイエスって言ってるようなものじゃないか。


 僕は恋なんてしないんだって決めてた筈だ。だから――。


「ちなみに俺は男なので、拓夢ひろむが怖がる女性には該当しないよ?」

「見りゃわかる」


 あ、駄目だ。笑っちゃった。


 如月にも、ようやく小さな笑みが浮かぶ。


拓夢ひろむが俺に惚れたと認めるまでは、キス以上は手を出さないって約束するから」

「キスはするのかよ」

「そこは許して? 恋人だって思えるものがひとつはほしいじゃないか」


 まあ確かに、友達ならキスはしないけど。――いや待て僕、なんで「まあキスならいっか」なんて思い始めてる!?


「……いっせーのせで、就活始めようよ。いっせーのせで、恋人への第一歩を踏み出そうよ。それでお金が溜まったら、いっせーのせで同棲しようよ」

「ちょ……話飛びすぎだろ!」


 ぶはっと吹いてしまった。もうこうなったら僕の負けかもしれない。


 如月が、照れくさそうに笑う。


拓夢ひろむが凹んだ時は、俺が拓夢ひろむの手を取って立ち直るまでずっと握って待ってるから」

「僕は凹まないよ。凹むのは如月――」

「大介」

「……はいはい、大介の方が頻度は絶対に多いと思う」

「じゃあ、その時は拓夢ひろむが俺の手を握っていて。昨日みたいに励まして待ってて。拓夢ひろむが隣にいてくれたら百人力だから」


 ――本当かな。本当に、いつも出遅れる僕が追いつくまで待っててくれるのかな。


 すると、如月がにこりとして言ったじゃないか。


「というか、俺たち出会った初日から『今日から無職』っていう同じスタートラインに立ってるんだけどね? 気付いてた?」

「あ……っ」


 思わず声を漏らしてしまった。でもそうだ、そうじゃないか。


「確かに……随分とマイナスなスタートラインだけど」

「でもスタートラインはスタートラインだよ。だから拓夢ひろむ、手を取ってほしいな」

「一緒……」


 気が付いた時には、僕の手は如月こと大介の手に重なっていた。


 如月が、ぎゅっと僕の手を握り締める。


「じゃあよろしくね、俺の人生の相棒」

「大介お前な……」


 軽く睨むと、大介は幸せそうに「くはっ」と笑った。



 僕と大介の就職先が大家さんの紹介で同じ会社に同時に決まったのは、それから二週間後のことだった。


 二人で恥も外聞もなく抱き合って喜んだ。


「また同期だ、よろしくな!」

「うん、拓夢ひろむ、大好きだよ」

「お前な……っ」


 それから、僕と大介とでいっせーのせで営業成績をどっちが上げるかの競争を始めたのが、仕事に慣れた半年後のこと。


 僕と大介とでいっせーのせで貯金目指せ百万をして、ほぼ同時に溜まったのがそこから半年後のこと。


 僕と大介とでいっせーのせで記念すべき就職二年目を迎え、僕の初飲酒でお互い初めてのシャンパンを空けて酔っ払い、感無量のあまり二人とも泣き上戸になったのが、そこからひと月後のこと。


 僕と大介とでいっせーのせで同棲を始めたのが、最初のスタートラインに立ってから一年半後のことだった。


 その間に、僕らは沢山喧嘩をして同じ数だけ仲直りをして、喧嘩の後はいつも手を繋いでいつだって隣で一緒に寝た。


 なお、僕が大介に惚れたと認めた日がいつかは、大介にはまだ言ってない。


 だって、最初に大介の手を取った時だって後で気付いたなんて今更言えないじゃないか。


 言えない代わりに、シャンパンを空けた日に僕から押し倒した。どっちがどっち役になったかは、言わずもがなだ。


 だけど、大介はいつも気になるみたいだから、次のクリスマスに一緒に選びに行こうと言っている指輪を交換する時に教えてあげようと思う。


 いっせーのせで手を繋いだ時から大好きだよ、と。

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