「スタート」
只野誠
「スタート」
「よーい……」
乾いた重みも何もない軽く、それでいてそれなりに大きな音、スターターピストルの音が鳴り響いた。
僕は足を前に出す。続いてもう片方の足も前に出す。
それを繰り返す。ただ繰り返す。
これはそう言う競技だ。
言ってしまえば、ただの百メートル走だけれども。
ただ僕は走ることが得意ではない。
なんなら、運動全般が得意ではない。
それでも僕は走る。なるべく良い順位を取るために。
クラスのため? 白組が勝つため?
そんなことは正直どうだっていい。
あの娘が、足の速い人が好き、と言っていたから良い順位を目指すんだ。
それ以外に理由なんている?
少なくとも僕には、それだけでがんばれる理由にはなる。
周りの人達は僕よりも足が速い。
すぐ前に出て来る。
僕はそれについていく。
離されるもんか、と必死で後を追っかける。
けど、足が重い。
思うように足が動かない。
もつれそうになるのを必死に耐えて、一歩一歩前へ前へ、できる限り早く早く。
あの娘のために。いや、あの娘に好かれたいから。
その一心で足を必死に、もがくように動かす。
息が苦しい。
ならばと、大きく口で息を吸い込む。
腕を大きく振るう。そのほうが速く走れると聞いたから。
必死に足を前に出す。前に前に前に!
けど、他の走者と距離が縮まるどころか距離がどんどん開く。
挫けそうに、負けそうになる心に火を灯す。
あの娘に好かれるためであるならば、僕は諦めるわけにはいかない。
不器用ながらに、足が遅いながらに、僕は足を前へ出す。
少しでも順位を上げるために。
他人の背中を見ていると心がくじけそうになるので、僕は地面を見た。
地面がものすごい勢いで動いている。
こんなにも早く動いている。
これで遅いはずがない、顔をあげれば僕が一位のはずだ、と自分に言い聞かせて。
一位じゃないことはもうわかっている。
けど、僕は走らなくてはいけない。
一位を取れると信じて走るしかない。
その為に、必死に脚を動かす。
交互に左右の足を動かす。
けど、ついに足がもつれ、絡まり、僕は盛大にこけた。
地面を見すぎていて、何も考えていなかったせいだ。
見ていた地面が間近に迫り、ぶつかり、全身に痛みが走る。
特に膝が痛い。
多分、一番最初に地面にぶつかったからだ。
僕は急いで立ち上がる。
痛みがあるが気にしている余裕はない。
もつれた足で、痛みのある足で、それでも前を急ぐ。
痛みなんかどうと言うことはない。
今は、少しでも早くゴールを目指すんだ。
少しの悲鳴と歓声が聞こえる。
歓声の方が大きい。
僕に向けられたものかと思ったけど、誰かがゴールしたらしい。
僕はそれでも走る。
もう走っているのは僕だけだけれども、僕は走る。
歩きなんかしない。
少しでも早くゴールするんだ。
今も続く歓声の中にあの娘の声を聴けたから。
だから、僕は最後まで走る。
あの娘の応援に比べれば、足の痛み何て大したことはない。
ゴールすると僕はやっぱり最下位だった。
それでも走り終えたことを少しだけ誇りに思う。
それにあの娘が応援してくれたのだ。
走り切らないわけにはいかない。
けど疲れた。
そのせいか足ががくがくする。
そう思って足を見ると、こけたときの膝から想像以上の血が流れ出ていた。
脛を伝わり靴下まで赤く染めている。
その赤い色を見て僕は立てなくなった。
思っていた以上に酷い怪我だった。
僕は保健室へと運ばれた。
運んでくれたのは体育の先生だ。
それと付き添いで保健係の…… あの娘、とは別の娘が付き添ってくれた。
その娘は僕に、
「こんな怪我でよく最後まで走れたね、凄いよ」
と、褒めてくれた。
僕は、その娘のことも好きになった。
「スタート」 只野誠 @eIjpdQc3Oek6pv7
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