100日連続で短編小説を書けというが、もう書くネタが無いんだ
石田徹弥
100日連続で短編小説を書けというが、もう書くネタが無いんだ
書けない。もうネタがないんだ。
私は部屋の中をうろうろと歩き回ったと思えば、床に寝転がりゴロゴロと転がってみる。それでも状況は変わらない。
短編小説を書き始めて一ヶ月が過ぎた。
毎日書き続けていた記録は、今日で止まるかもしれない。
だって、ネタが無いのだから。
「何を書けばいいんだ……」
私は大きく息を吐くと立ち上がり、窓の前へ移動した。
窓からは、何本もの黒鉄のビルがそびえ建っているのが見える。下方は霧に包まれ先が見えず、上方も大気の歪みで全く見えない。どこまでも伸びる巨大なビル。
その間を、数えきれない光が飛び交っている。大小さまざまな飛行艇、浮遊ユニット、飛行自動車……。
私もそんなビルの一本の、数百万ある部屋の一室にいた。
ピンッと控えめな機械音が扉から聞こえたので、私は振り返る。
扉は音もなく開いた。
「原稿を取りに来ました」
短髪の黒髪が綺麗に切り揃えられた、二十代前半の女性が立っていた。
私を担当する刑務アンドロイド、名前はVEーLE3。
私はヴェールさんと呼んでいる。
「まだ時間じゃない」
「あと一時間で日付が変わります。いつもなら完成しているはずですが」
「今日はネタが無いんだ」
「今日も(・)、では?」
私は彼女に伝わるよう、露骨に顔をしかめた。
「今日はもう無理だ」
ヴェールさんが部屋に踏み込むと、背後で扉が閉まった。そのまま彼女は殺風景な部屋の椅子に座った。この部屋には椅子と、執筆のためのワープロ機(数百年前の骨董品だ!)、ベッドと簡易トイレしかない。
これじゃまるで刑務所のようだが、事実、その通り、ここは刑務所なのである。
「では、刑期の延長が行われます」
「どれだけ?」
「一か月。これで合計四か月になります」
「それだと、年を越してしまう。どうしても年内に家に帰りたい」
別に特に年内に帰らないといけない理由は無い。正直な話、私は暇だからだ。
だけど、もし年を越してしまえば、そのままずるずると刑期の延長を繰り返して、下手をすれば一年以上ここにいることになるだろう。私は自分の性格をよく理解している。
ヴェールさんはそういった、私の背景を質問することはなかった。
というよりも、それを質問する目的が彼女のプログラムには存在しないようだ。ただ担当する囚人を管理する。それだけなのだ。
「なんでこんなことに」
何千回と繰り返した呟きを吐き出して、私は壁に寄りかかった。
「あなたが目標詐欺を働いたからです」
それに対してのいつも通りの彼女の回答が飛んできた。
目標詐欺。
それはこの時代ではポピュラーな軽犯罪だ。
国民は誰しもが年単位の目標を設定し国に登録。それを遂行することで給付金がもらえる。その額だけでひとまず生活はできるので、誰も文句は言わない。
だけどもし、設定した目標が遂行できなかった場合、設定した目標に応じて刑を受けなければならない。
目標は今の時代にとって、何よりも価値があるものなのだ。
「あなたは『小説を書く』という三ヵ年目標を設定しましたが、期限日に提出された原稿は白紙でした」
確かに小説は提出できなかった。
俺は書けない、俺には能力が無い、俺はまだ準備ができていない……様々な常套句を毎日並べては布団で一日を過ごしたり、「勉強だから」とゲームをしたり、「環境を変えてみよう」と家の外に飛び出して結局何もせず帰ってきたり。はたまた同じような目標設定したものと酒を飲んでは前進(・・・)して(・・)いる(・・)よう(・・)で(・)後退(・・)して(・・)いる(・・)話(・)に花を咲かせたり。
そうやっていれば、三年はあっという間だった。
あっという間に時は来て、私は逮捕された。
「その後、調査員が自宅を調査しましたが、書きかけの原稿すらなかったため、提出ミスの可能性は無くなり、刑が言い渡された」
刑。そう、私に科せられた刑。
「短編小説を、三か月毎日書く……」
ヴェールさんは無表情に頷いた。
目標詐欺罪を犯したものへの刑罰は、ある意味で社会復帰を目的とした内容でもある。
例えば「二十キロ痩せる」と目標設定したのに、太ってしまった罪人には「毎日五十グラムずつ減らす」と刑が執行されるような。
私に課せられたのは毎日、短編小説を書くこと。特に決まりはない。文字数も、内容も決まりはない。とくかく、書けばいい。
だが、それが難しい。
三年間、一文字も書けなかった者が、いきなり毎日短編小説を書けるわけがない。そう思って初日は何度も恐怖で吐いた。けど、部屋には何もない。ネットワークに繋がっていない旧式のワープロ機器があるだけだ。
だから私はとにかく書き始めた。とにかく指を動かして文字を書いて、内容なんてどうでもいいから書き進めた。
するとどうだろう。なんと一作品が書き上がったのだ。
そこからの一週間は、まるで脳みそが溶けるような辛い感覚の日々であったが、それでも書き続けられた。
その結果、私はただ「書くということ」への恐怖感……「書いたものがおもしろくなかったら?」というような原理的で矮小な悩みに囚われ、逃避していただけだと知ったのだ。
しかし一か月が経ったころ、新たな問題が起きた。
毎日書くこと自体は慣れてきたのに、次は「書く内容が無い」という悩みが生まれたのだった。
「なんでも良いんですよ。別にネタというレベルに達してなくても」
ヴェールさんは無感情に言う。
「面白くなくても、辻褄があっていなくても、途中で打ち切りのようになっていても。これは仕事ではなく、刑罰なのです。書くこと、そしてそれを毎日続けることが今のあなたの目的なのです」
「それはわかってる」
わかってるさ。けど、そうはいかない。三年間何もできなかったのは、自分に作家としての、いや作家になりたい〝ワナビー〟としてのくだらないプライドがあるからだ。
「書くならちゃんと面白いものにしたい。この刑罰だって、出所後の生活に繋がるように考えられているはずだ。ここで手を抜いてしまったら意味がない」
一か月前の自分に言い聞かせてやりたい。三年間、一文字書くことすらできなかった自分に。今は毎日数千文字の短編小説を書いている。しかもたまにではあるが、自分でも面白いと思えるものが書けているのだ。
だからこそ、今は新たな苦痛でしかなかった。
「もう一度言いますが、仕事ではないのです。あなたにクオリティを求める者はいないのですよ」
私は彼女の目を真っすぐ見た。彼女のガラス玉のように澄んだ瞳の中では、機械的な部品が複雑に絡み合い、動いていた。
「けど、ヴェールさんは読んでるでしょ」
ヴェールさんはただ私を真っすぐ見つめ返した。
「だってチェックしないといけないから。毎日僕が書いたものを、ヴェールさんは最後まで目を通しているはずだ」
「そうです」
そう、無味無臭な声で彼女は答えた。
「私は、あなたがどう感じようが……例え感じる機能が無くても、あなたを一人の読者として書いている。だから、決して手を抜くようなことはしたくない」
私の言葉は狭い部屋に響いた。外から地鳴りのような空気音と、飛び交う飛行艇たちの風切り音がわずかに聞こえた。
ヴェールさんはゆっくりと立ち上がると、私の前に歩いてきて、かなり近い位置に顔を近づけた。
彼女からはプラスチックと柑橘物が混ざったような香りがした。
「私にはそのような機能があります」
「え?」
「面白いかどうかを判断し、データとして感じ取れるのです」
「それ、ほんと?」
私は思わず顔を綻ばせた。
ヴェールさんの瞳の中の機械が忙しなく動いた。
「あと三十分です」
私はハッとして、すぐにワープロ機器の前に座ると、指を動かし始めた。
「思いついたよ。感情の無いアンドロイドと中年男性の恋の話。これにしよう」
私の指は止まらない。先ほどヴェールさんから感じた香りが脳内で揺蕩い、僕の価値の無いどうしようもない脳内物質とぶつかり合ってスパークした。
生まれる。新たな、光が。
「では三十分後に取りに来ます」
ヴェールさんはまた音もなく開く扉から出て行く。
その瞬間に私に言った。
「ちなみに、好き嫌いもありますので」
そう言って、ヴェールさんは部屋から出ていった。
扉は音もなく閉まった。
私の指はそれっきり動くことはなかった。
100日連続で短編小説を書けというが、もう書くネタが無いんだ 石田徹弥 @tetsuyaishida
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