第17話 嶺鈴の悪巧み
眼前の光景に弥彦嶺鈴の胸は早鐘を打っていた。
仲違いした二人が真理谷夕子の計らいで和解して、周囲がそれを祝福する。なるほど感動的である。感動ポルノといってもいい。
茶々は入れない。否定的な発言もしない。自己啓発セミナーのごとき拍手にも付き合ってやる。かといって大げさに同調もしない。「ふん」と、無関心を装いながらほんの少し嬉しそうな声を漏らす、いわゆるツンデレムーブを見せる。友人たちの良い気分を台無しにしたくないのもそうであるが、己の態度を不審に思われたくなかったのである。
霧子の腰巾着として己を敵視はするものの、クラスの輪を乱さぬ程度には弁えている。それが真理谷夕子から見た弥彦嶺鈴の人物像であったろう。嶺鈴自身そのように振る舞っていた自覚があり、別段誤魔化そうともしていなかった。ここで突然人目を憚らず敵意を露わにしたり、媚びるような言動をしたりすれば、嶺鈴のこれからしようとすることを感付かれるかもしれなかった。
真理谷夕子は見ての通り顔が良い。すごく良い。容姿の欠点としては胸が平たいくらいといえる。
腕っ節もまあまあある。ごきげんチェストで霧子と引き分けたのに加えて、機動剣術での鳥人間ぶりを見れば、彼女を侮る同級生はいまい。
そうして今回の肩パンデュエルオフィサーである。真理谷夕子は同級生を仲直りさせたという実績を手に入れた。すなわちお姉様と呼ばれるに相応しい人格者であると生徒らが誤解しかねない、その可能性が生じたのである。
人は行いによって位が決まるが、入学したばかりの生徒に功名の機会はまだない。現段階で彼女らの上下関係を決めるのは、見た目と強さと人望である。
無論、筆頭である霧子はそのいずれをも備えている。備えてはいるものの、人望という点では、嶺鈴から見て少し物足りないところがあった。
八剣霧子の支配者としての姿勢は君臨すれども統治せずとでもいうのか、授業における統率は十全にこなしつつも、生徒同士の人間関係にはあまり干渉しない。それに加え、同級生にお茶汲みをさせたり使い走りをさせたりといった当然の権利を行使することがなく、むしろ自ら雑務を引き受けて、筆頭とはクラス第一の従僕であるといわんばかりであった。
生徒らは霧子に感謝し、霧子を慕っているが、霧子という支配者を恐れてはいなかった。彼女は正当な理由がなければ手を出さない。それをいいことに一部の生徒は野次の中で夕子並みにスマートな体付きを茶化したり、咄嗟に敬語抜きで話しかけたりする。要するに、なめられているのである。
これは生徒側が忘恩の徒というばかりではない。嶺鈴の考えでは、霧子にも原因があった。
嶺鈴が姫騎士の力に目覚め、母からの嫌がらせがひどくなったときのことである。父は悩んだ末、母に毎日一度の平手打ちを義務づけた。嶺鈴の目の前で、父が無言で母の頬を打つのである。嶺鈴への嫌がらせはなくなった。嶺鈴から見て夫婦仲も良くなった。これにより嶺鈴は、理不尽な仕打ちとは人間を躾け、被支配者としての自覚を促すのにもっとも良い手段であると学んだのである。
上位者に逆らう苦痛と従う喜びというものを味わわせる。それを霧子は怠ったといえる。
霧子と夕子を比較すると、美貌については悔しいが、後者の方が上である。武力についても、無知な同級生などは互角と見なしてしまうであろう。実際、機動剣術の授業の後、一部の生徒が最強議論で盛り上がっていた。
美貌では夕子が勝り、武力では互角となる。残る人望ではもちろん霧子が上であると、嶺鈴は楽観視しなかった。なんとなれば愚者は日々の見えない尽力より、物珍しくわかりやすい功績のほうを持て囃すものである。そして己も含めて人間の大半は愚者である。
このままでは、霧子より夕子のほうが筆頭として相応しいのではないかと言い始める生徒が出ると、嶺鈴は恐れた。筆頭交代の危機である。
たしかに霧子という人間は支配者として完璧ではないかもしれないが、己の価値観を抜きにして、嶺鈴はその人柄が好きであった。ぽっと出の女の人気取りに今までの彼女の努力を蔑されて、二番手に引きずり下ろされるのは許せなかった。
嶺鈴は「
これらは無論、特殊な家庭環境で培われた価値観を持つ嶺鈴の被害妄想に過ぎない。一年生一同は霧子を素直に筆頭として認め、夕子と交代させるなど考えもしない。そもそも筆頭という地位を、あまり重要視していない。霧子で上手く回っているのであるから問題ないであろうという程度の認識でしかない。カースト争いをしていた入学初期と違い、今は上下関係に左程こだわっていないのである。そうしてこの気風は、筆頭としての八剣霧子の振る舞いによって、自然と生まれたものであった。畢竟するに嶺鈴の独り相撲である。
軟式肩パンという温い決闘方法を採用したことからして、真理谷夕子は甘ちゃんである。友人が血を流す姿を見たくないのであろう。加えて、遺憾であるが嶺鈴のことも友人と見なしているような気配がある。手袋を目の前に落としても怖じ気付いて拾わないに違いない。嶺鈴の望む決闘は、どちらが上でどちらが下かを決める真剣勝負である。丙種のお遊戯や、乙種の制限決闘ではない。死か降伏で決着する無制限決闘でなければならない。あの甘ちゃんを殺し合いの決闘に引きずり出し、かつ真っ向から叩きつぶすに相応しい全力を出させるには、手段を選んではいられない。
制服の上にカピロテ(覆面三角白頭巾)を被った嶺鈴たちが、無人の空き教室で打ち合わせをする。その格好は校則で指定された悪巧みの作法である。
「メアっちには犠牲になってもらう」
「犠牲の犠牲にか。まあ仕方ないな」
「幸い今日はガン○ラの入荷日。吟味のために真理谷夕子と別れてPマートで長時間一人きりになる」
「何人で行く?」
「二人……いや念のため三人。メアっちにはミニゴリラ、略してミニラの異名がある」
「おいそんな陰口は……本人にも言ってあったから陰口じゃないな」
「そのとき何気にブチ切れてなかった? あの場は苦笑でやり過ごしてた感じだけど、いつか土壇場で仕返しされそう」
「メアっちならやりそう。いや、やる」
「今回の補填はどうする? メアっちの恨みを買いすぎるのは怖い」
「ガ○プラを奢ろう。HGまでなら必要経費だ」
「そんかしジャ○プひと月我慢だな。背に腹は替えられん」
「果たし状はどうする?」
「手渡しは駄目だ。その時点での顔バレは避けたい」
「ちょい待ち、決闘アプリの貸し出しリストに矢文ボウガンがあった。それで行こう」
「真理谷夕子の行動パターンは? 寮内はきついぞ? 自室にこもられるのもそうだし談話室でも部外者バレする」
「っと、今メールが来た。第五訓練場で自主トレだそうだ」
「
「だがあそこは遮蔽物があるから狙撃にはちょうどいい。自主トレも一人でやるそうだしな」
「手はずとしてはこんなところか。さぁて今日こそあたしらの手で真理谷夕子をぶっつぶすぞ」
「えいえいおー……ここはみんなを真似して、語尾にですのをつけるべきか、ですの?」
「おーですの」
「おーですわ」
「っとちょいまち。買い出し役を忘れてた。アレをやるには用意がいる。メアっち班に一人つけるぞ」
「かわいそうだがただ拉致っただけじゃな。真理谷夕子を焚き付けるのに必要だ」
「上手いこと言ったつもりか」
そう言って打ち合わせを終え、嶺鈴たちは行動を開始した。もちろん、全員白頭巾姿のままである。
夕食まで鍛錬するという夕子と別れてPマートに寄った芽亜は悩んでいた。新入荷した再販の1/100オー○ーフラッグを予定通り確保できたのは良かったが、中古プラモコーナーで、以前に少し欲しいと思った別なプラモを見つけたのである。おそらく教職員か上級生が積みプラから放出したのであろうコト○キヤのクレ○ト強襲型Verで、物価高騰もあって再販の望みは薄い希少品といえる。未開封未組み立てのそれが約二千円と、買う予定であったオーバー○ラッグとほぼ同じというお値打ち価格がつけられていた。もしここで買い逃したら確実に他の誰かに確保される。予定通りか一期一会か、気持ちとしては前者であり、物欲としては後者である。残念ながら両方買うという選択肢はない。月末で懐が寂しいというのにわかりやすい散財をしては、金遣いの荒い女であると夕子に思われてしまう。芽亜はインドア派女子としての浅ましさより、乙女としての矜持をとった。
二つのプラモの箱を手に、芽亜は深く思い悩んだ。パーツのぎっしり感を比較し、パッケージの無塗装色分け写真を見比べ、メーカーで異なる組み心地や費用対効果、こっそりブンドドする際のプレイバリューを想像し、結論した。
「仕方ないよね、うん。あわせてたった四千円でお得だし、これは必要な出費。節約は来月すればいいんだから」
芽亜は浅ましい女であった。
二つの箱を重ねて抱え、レジに向かおうとしたときである。
「確保!」
という大声とともに突然羽交い締めにされ、頭に何かを被せられた。視界を閉ざされ、大切なプラモから思わず手を離してしまったが、床に落ちる音は聞こえない。抵抗して暴れる間もなく、頭上から膝くらいまですっぽりと、麻袋らしき大きな袋を追加で被せられる。一拍遅れて恐慌し、びりびりと麻袋の繊維を千切りながら、むーむーと唸り声をあげる。
「うっわやっぱ力
「ワイヤー追加だ、早く!」
麻袋の上から金属製らしき固いワイヤーで胴体をぐるぐる巻きにされ、米俵のように担がれたことで、脚もじたばたするしかなくなった。
「お騒がせしました店員さん。これ、取り置き頼むっす」
運ばれて遠ざかりながらそんな言葉が聞こえ、拉致の真っ最中でありながら芽亜の頭には「(よかった、取り置き、後で買える)」と現実逃避のような考えが浮かんでいた。
目的地に到着したのか、芽亜はそっと横たえられた。麻袋を破られて被せ物も外されて、頭だけが露出する。見上げるとカピロテ頭の誘拐犯が見下ろしていた。日本では風評被害で過激なものと見なされている覆面であるが、首から下は制服のままなので、いささか間抜けな格好に見える。
ワイヤーで拘束されたままごろんと転がり見渡した。場所は屋外で、人工林と井戸ポンプに見覚えがあった。森林浴やバーベキューをする区画である。休日に夕子と学校探検して、この辺りでお弁当を広げたのを覚えている。
芽亜の状況把握を待って、誘拐犯が話しかけた。
「よおメアっち、さっきぶり」
落ち着いて聞けば、嶺鈴の声である。
「リン、さん……?」
誘拐犯がカピロテを脱ぐ。やはり嶺鈴であった。
彼女が夕子を嫌っているのは察していた。しかし夕子相手とはあからさまに態度を変えるくらいであるから、自分とは上手く付き合っていたはずである。どうして夕子ではなく自分に危害を加えるのか、入学当初は片っ端から同級生に噛み付いていた嶺鈴らしからぬ陰湿さであった。
「なんで、メアなの?」
「察しはつくだろうに、ひと言目にお姉様を庇わないのかい?」
「め、メアはどうなってもいいからお姉様に手を出さないで!」
「メアっちは実にメアっちっすね」
普段のように軽く笑うと、一転して冷たい表情になる。
「悪いがメアっちには真理谷夕子をキレさせる生贄になって貰う」
絶句する。冗談ではなさそうな物々しい神威を感じた。
「メアたち、お友達だよね」
「ダチはダチだがそれはそれ、やつが気兼ねなく戦える悪党にあたしがなるため犠牲にする」
クラスの中でも数少ない常識人と思っていたが、彼女も結局、頭姫騎士であったらしい。
「メアに何をするつもりなの? まさか、薄い本みたいなこと……」
「薄い本って、なんの意味?」
「裸にしてスマホで撮って、あんなことやそんなことをするつもりなの!? この変態! レズレイパー!」
「ばっ、するか馬鹿! メアっちのエロ! えっちっち! 耳年増! あと正確にはパーじゃくてピストっす!」
ヒト耳を赤くして犬耳をせわしなくぴょこぴょこさせる。ちょっと可愛い。姫騎士らしく猥談に免疫がないのであろう。この手は他の相手にも使えるかもしれないという思い付きは、なぜか夕子の冷たい眼差しが頭に浮かんで恥ずかしくなったので中断した。
嶺鈴は深呼吸して落ち着いた。
「読めたっす。スケベな話で精神的に優位に立って、お手柔らかにしてもらおうって魂胆だろうがそうはいかん。人質なら人質らしく、こっちが上でそっちが下だ」
置いてあった大きな鞄を漁り、いくつかの道具を取り出した。
「な、なにそれ? それでいったい……」
芽亜は混乱した。それが拷問用具だとでもいうのか、何が何だか、本当にわからなかった。
「あの女に見せつけてやるために、ひどいことをこいつでしてやる。へへっ、覚悟するっす」
校章入りのレジ袋が音を立て、芽亜は生唾を飲み込んだ。
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