第16話 軟式肩パン 下
二人は息を切らせていた。足腰が連動しない。身体の芯が疲れで緩んでしまっているから、強く打とうとすると手打ちになる。掛け声もほとんど、無理矢理絞り出して息遣いに乗せている。
姫騎士の体力は無尽蔵である。お風呂の前に前に姿見の前でいつもやる突きの基本練習では千回でも二千回でも続けられ、体力よりむしろ時間のほうが足りないというのに、今現在は短時間でこうも疲弊している。そうなるまでにたった三十回である。練習一セット分しか突きを出していない。にもかかわらず身体が緩い。羽根のように軽かった防具にすら重みを感じる。原因は二人ともわかっている。一撃一撃に全力を込めているためばかりではない。麗しのユウお姉様こと真理谷夕子である。間に立ち、見蕩れるような微笑みを浮かべて二人の決闘を見守る彼女こそが、激しい疲労の原因であった。
「おね゛、ユウ、お姉様……」
「もそっと、もそっとお手柔らかに」
神威である。夕子から発せられる威圧の気配がずっしりと肩にのしかかり、二人の体力を奪い続けていた。
「どうして? 条件は平等でしょう? これはそう、ステージギミックのようなものよ」
敵意はない。が、騒ぎ回る子供を義務的に押さえつけるのに似た圧迫感がある。周囲の空気の代わりに水飴で満たしたとでもいうのか、腕を上げ直すだけでもいちいち思い切りがいる。
「舞奈花さんも佳奈花さんもだらしねーですの」
「気合いと根性が足りねーですの」
「飽きますの。さっさと血ぃ見せろーですの」
ギャラリーが好き勝手野次を飛ばす。彼女らの受ける威圧は余波に過ぎず、すぐに順応したのであろう。そうなれば退屈な決闘である。ポップコーンを投げつけないだけでも行儀がよいと、二人にもわかってしまう。
「私なんかより相手を見なさい。そもそもこれは決闘でしょう? 目を離す余裕なんてないはずよ」
威圧とともに命じられて互いを見る。自分と同じようにぜいぜいしている。
「あなたたちがそうなっているのは誰のせい?」
それはもちろんユウお姉様と言いたいが、彼女にデュエルオフィサーを頼んだのは自分達である。
「そう。あなたたちが決闘を望んだから、あなたたちお互いのせいね。舞奈花にとっては佳奈花のせい。佳奈花にとっては舞奈花のせい」
言われてみればそうである。夕子の優しい声色が、疲れた体に心地良く染み入った。
「どうして戦おうと思ったの? どうして彼女が憎くなったの? 彼女のどこが気に入らないの?」
目玉焼きの食べ方である。けれどもそれぞれで好みの違いがあることなんて、ずっと昔から知っていたし尊重し合っていた。でもなぜか、姫騎士学園に通っている今になって、どうしても気にくわないと感じてしまった。
「塩や醤油なんてちょっとしたことで、本当はもっと別の何かで、その何かを感じさせてしまうからこそ、ちょっとしたことが気に入らないと、そう印象されてしまって、だから決闘をしようと、あなたたちは思ってしまったのよ」
もたもたした言い方なのに強弱をつけた神威ともに語られるせいで、内容が疲れた頭に焼き付いてしまう。
「姫騎士の戦いは心の戦い。神威の威圧は所詮は錯覚。気合いと根性ではねのけられる。だからさあ、相手を見て。よーく見るの」
佳奈花を見る。舞奈花を見る。
「どう思う?」
憎くはないが気に入らない。昔から好きだったのに、今の彼女はなぜか嫌いと思ってしまう。
「その気持ちは正しいことよ。間違っちゃいない。だからはき出しましょう? そうするの、そうするべきなの正直に。想いとともに私の神威をはねのけなさい。さあ、早く。さあ早く。さあ、さあっ、さあさあさあさあっ……!」
「……佳奈花ァ!」
「……舞奈花ァ!」
心からの叫びとともに神威を開放する。力が張る。世界の重みが消え失せた。ぼやけた視界が澄み渡る。肩が軽い。言葉も軽い。
叫びながら構えもなく、ただ思い切り相手の肩を殴りつける。
「どうしてなぜ私のことを舞奈花と呼ぶの!」
「私のことをカナちゃんと、なんで呼んでくれなくなったの!」
耐えきって反撃する。神威の威圧は気にならない。むしろ背中を押してくれているように感じられた。
「カナちゃんがええかっこしいするから!」
「マナちゃんこそお姉様方に夢中になって!」
「このっ、姫学デビューのアイタタちゃん!」
「このっ、プチレズ覚醒ミーハー娘!」
可能な限り助走をつけて投げ込むように拳をぶつける。心の気取りと同様に、もはやそこに技はない。衒いのない
上手くいったな、ヨシ、と夕子は思った。神威の威圧で極限状態に追いこんだ上で思考誘導をしかけることで、二人の本心を引き出したのである。
「カルトやブラック企業の手口だよぉ……」などと芽亜がぼやくが、自分は自己否定などさせてはいない。それらほど熱心にマニュアル化もしていない。ただ二人の気持ちを後押ししただけである。ついでに威圧から切り替えて、正直になれるようそういった感情を神威に乗せてはいるものの、非接触式の他者干渉など気休めのようなものであろう。
殴りながら舞奈花は道場で習った突きのやり方より、力いっぱいやるだけのこっちのパンチの方が威力があると気が付いた。
「入学初日の教室! 他人のふりをちょっとした!」
どう見ても隙だらけの大振りのそれを受けながら佳奈花は、肩パンという競技に限定すれば、対人用の武術の技は邪魔であることに気が付いた。
「ランチに誘ったのに! 他の人とするって断った!」
前で受ければ後ずさりで衝撃を緩和できる。後ろで受ければ殴る側の手が伸びきって威力が減る。軟式肩パンの競技性の一つは防御側の立ち位置にある。前で強いパンチを鮮やかに受け流すか、後ろで弱いパンチをタフに踏ん張るかと、好みもあるが駆け引きもそこにある。
「あとおそろいの刺繍! 新しい制服にしないままでいる! 前のが駄目になってわたしはちゃんと作り直したのに!」
お互いのパンチの威力が増して勝ち負けの可能性が生じたことで思考が目敏くなり、様々なことに気が付き始める。勝利するのに必要な小細工の数々が思い浮かぶものの、それは面白くない。肩パンの醍醐味とは負い目無く殴る爽快さである。今感じているそれを、ルール上の勝利なんかのために損ないたくなかった。
「それは! そうなんですが……マナちゃんこそ! ゴール○ンアイ飽きたってゆってたでしょ! なのに談話室で
円の真ん中でただ踏ん張る。もはやこれはスポーツではない。技はいらない。
「四人用だから仕方ないじゃない! 私にだって友達付き合いってものがあるのよ!」
「その友達がぁ! 私より大事なわけ!」
そう叫びながら佳奈花が放った一撃は、神威と精神と肉体の全力がかみ合ったものであった。会心の一撃というやつである。衝撃がグローブと防具を貫通し、
「
と舞奈花は、不意の痛みに声を上げながら千鳥足で後ずさった。防具が腕と接触する箇所に何か芯のような、金属製と思われる固い異物が入っていた。おそらく一定以上の威力で打ち抜かれれば、はっきり痛く感じるよう仕込まれているのであろう。
「長谷河舞奈花、一敗」
審判として夕子が無情に告げる。足元を見る。円から出ていた。拳を振り切った姿勢のまま、佳奈花が吐き捨てるように言う。
「ほら、やっぱり言い返せないってわけ」
かちんと来た。同じように打ってやろうと思い、そうした。
「そんなわけないって、察しなさいよ分からず屋!」
佳奈花の防具の芯を打ち抜く。殴り方のコツはつかんだ。感情の昂りで神威自体も増している。
「あ
同じように踏ん張りきれずに足が出る。
「青嶋佳奈花、一敗。二人とも、ようやく私の仕込みに気付けたようね。ここからは硬式、通常の肩パンと同様の我慢競べよ。両者一敗、次に痛みに耐えられなかったほうが敗北する」
つまりここからが本番ということであろう。粋な計らいである。どんなに強く殴っても簡単に耐えられて、手応えがないと思っていたところである。これからは相手に痛みを味わわせて、それとともに自分の想いを刻み込める。目を合わせる。舞奈花も佳奈花もお互いに、考えることは一緒であった。
佳奈花が殴る。
「察してちゃんをされたって! 言葉にしなきゃわからないでしょ!」
舞奈花が殴る。
「いちいちいわなきゃならないなら! それは本当じゃなくなるわよ!」
「思っているだけでいいなら行動で示しなさいよ!」
「いるつもり!」
「ならお風呂くらい、一緒に入ってくれたっていいでしょうが!」
「馬鹿言わないでふしだらな! 私たちはもう子供じゃないのよ!」
「去年というかふた月前までしてたじゃない! 入学したからって色気づいてさァ!」
言葉で殴る。殴ることで言葉を紡ぐ。それ以外のことはもはや目に入らない。潤むのは二の腕の疼痛に涙腺が反応したためであろう。
舞奈花が、目尻から涙を散らして佳奈花を殴る。
「昔のままじゃいられないって言いたいのよ!」
佳奈花もまた、涙声で反撃する。
「そうありたいと願うのはいけないことなの!?」
「いけないことよ! 私もカナちゃんも大人にならなきゃ駄目なのよ!」
「なんのために! 誰のために!」
「社会のためよ! ママや先生、ほかのみんなだって望んでいる!」
「私たちがいないじゃない! 私はやだ! 大人になんかなりたくない! 今の自分から変わりたくない! マナちゃんとずっと今までどおりでいたい!」
「私もいやよ! ……でも、しかたないでしょ。私たちはいつかは変わらなくちゃいけないし、学校に通って学んで成長することは、どうしても変わってしまうということなんだから」
構えたが反撃はしなかった。できなかった。相手も同じであった。
「……お屋敷の中庭で、二人で一つの本を読んだことがあったでしょう? ママたちの長話からぬけだしてさ。晴れた日で気持ちよかった。……私はね、マナちゃん。あのときの日だまりの幸せに、いつまでも浸っていたかったの」
二人は同時に拳を下ろした。お互いの気持ちはわかった。これ以上、傷付け合う理由はなくなっていた。
「ユウお姉様」「ユウお姉様」
二人の言葉に夕子は微笑み、頷いた。
「この決闘」「引き分けに――」
「いやとっくにお二人とも反則負けでしてよ」
と、卍姫が悪気なしに口を挟んだ。地面を見る。∞の字の中間が踏み荒らされて( )の字になっていた。防御時に押し出されずとも、攻撃時に踏み込み過ぎたのである。言葉で殴るのに熱中して気付けなかった。舞奈花と佳奈花の二人の顔が見る見るうちに赤く染まる。
これはいかんと夕子は思い、神威を全開にした。今はまだ熱がある。二人とギャラリーを冷静にさせてはいけない。神聖な気配を出して場を繋ぐ。
「舞奈花さん」
「はっはい」
「佳奈花さん」
「はい」
「デュエルオフィサーとしてお二人の申し出を受け入れます。この決闘、引き分けとする」
「いやですからはじめから――」
にっこりと笑顔を向ける。
「四方院さん」
「ひっ!」
威圧の仕方を工夫して四方院さんには少しだけ大人しくしてもらった。
「さて二人とも、よくぞ正直な気持ちを言葉にしてくれました。勇気の要ったことでしょう。変わらなければならないけど変わりたくない。その気持ちとその不安は、姫騎士なら誰しもが、多かれ少なかれ抱えています。大人になる。私たちにとってそれは、姫騎士ではなくなるということ。だから人間が死を恐れるように、私たち姫騎士は本能的に大人になることを恐れてしまう」
姫騎士にとって大人になるというのは、精神的に成長あるいは退化するといった抽象的なものではない。姫騎士が姫騎士でなくなると伴侶と年金と人権を得られるが、その代わりに失われるものも多い。力と
「変わりたくなくても変わってしまう。それが姫騎士という存在です。でもね、それでも、変わらないものは確かにあるわ。二人とも、防具を外して肩を捲りなさい」
二人が言われた通りにグローブを脱いで左肩の防具を外し、インナー姿になって肩を捲る。露出した二の腕にそれがあった。
「そ、それは……!」
ギャラリーの誰かが驚愕の声を出す。
「カナ、ちゃん……?」
「マナちゃん……?」
舞奈花の腕には「佳」の文字が、佳奈花の腕には「舞」の文字が、痕として赤々と刻まれていた。
「あ、あれは
「ご存じですの四方院さん?」
「鎌倉武士の風習ですの」
識者によれば本来肩パンは肩パンチの略称ではなく、この
夕子はこの
「あなたたちは本心をぶつけ合い、その名を身体に刻み合った。痛かったでしょう? 苦しかったでしょう? でも、だからこそ心に残る。思い出になる。二人で一つの本を読んだ思い出話をしたわよね? それと一緒よ。この先将来どんな辛い思い、どんな変化があったとしても、あなたたちが今日この日、お互いの心に刻んだ思い出は、いつまでも美しいまま変わらない」
「ユウお姉様……」
「今日の主役は私じゃないわ。さ、仲直りしなさい」
舞奈花が二の腕の「佳」の文字を手でなぞる。
「ごめんね。私、カナちゃんをないがしろにして、なのに束縛したがった」
佳奈花が「舞」の肩判を抱き締めるようにぎゅっとする。
「私もごめん。かまってちゃんのままのくせに、人目を気にしてマナちゃんを遠ざけた」
「……それはそうとカナちゃん。目玉焼きにお塩はありえませんの」
「お醤油だなんて、マナちゃん。そのような大胆な味付けは舌の繊細なわたくしには難しゅう存じますの」
二人は姫学らしい言葉遣いで軽口を叩くと、笑い合った。
ぱちぱちと、誰かが拍手をするのが聞こえて、それに反応したように、夕子も手を叩きだした。神威を帯びた夕子の拍手につられて、二人の決闘を見届けた生徒たちも拍手を始める。
「仲直り、おめでとう」
夕子は二人の友情を祝福した。
「え、あ、はい」
「ど、どうも」
急な拍手と祝福に、舞奈花と佳奈花は戸惑うが、
「おめでとう」
「おめでとう存じますの」
「その素敵な友情がいつまでも続くと信じて……! おめでとう」
「お二人に、おめでとう。ですの」
他の生徒にもおめでとうをされ続ければ、雰囲気に呑まれて素直に受け入れてしまう。
夕子は安堵した。事前の計画は強く当てさせてあとは流れでといった大ざっぱなものであったが、どうにか二人は仲直りし、笑顔を浮かべてくれている。
至らない点は多々あった。神威による思考誘導の多用をはじめ、語りかけの論理展開の強引さ、最初の拍手を芽亜に指示した頃合いも適切とはいえなかった。後から二人がきまり悪くならぬようギャラリーを感傷に巻き込むためとはいえ、和解成立直後のそれは話の流れとしては蛇足気味であったかもしれない。
キリコのようにはいかないものねと、内心でも女言葉で呟いた。やはり自分は人間的に未熟であり、精神的に劣っている。仲裁の経験がないからか、作為を感じさせる仕方になってしまった。
現在のおめでとうムードを作り出した神威の思考誘導にしても、一般人か神威に大きな差がある姫騎士にしか効果が無い技術で、現に芽亜と卍姫と嶺鈴には通じていない。冷静な彼女らには人間関係の縺れを強引に断ち切ったように見えたろう。卍姫は腑に落ちないという顔をして、芽亜は半眼でこちらを見ている。
とはいえ、自分がデュエルオフィサーを引き受けたのは和解を上手にお膳立てをしたという経験や実績を得るためではない。最優先は二人が仲直りすることそのものである。茶番説教お姉様と後々自分が侮られようと問題はない。
「なんだかよくわかりませんが、お二人が仲直りできてよかったですの」
きょとんとしながらもそう言ってくれる卍姫の素直さがありがたかった。
「けど、結局お塩とお醤油で、どっちの派閥が勝ちなん――ひっ!?」
余計なことを口にして混ぜっ返すのも、彼女らしかった。
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