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いつも通りに電磁タイルに脳波からの反射信号を写しているのに、作風がおかしくなってしまったのだ。原因は分からなかった。『罪咎』のプロモーションにかかわってくれたイベンターの人は私に「スランプはどんな作家にも存在しますから。抜け出すお手伝いをさせてください」と優しい言葉をかけてくれる。それが何故か胸に苛つきをもたらして、でも気遣ってくれている人への態度としては失礼にもほどがあるので、笑顔を作って謝るしか無かった。私はスランプに陥っているのを認めたくなかった。インスピレーションに頼れば何でも上手くいく自分を否定したくなかったのだ。
私は誰もいないアトリエで胡座をかいていた。見つめた天井のその奥に、見えるはずのない星を想像しては眺めた。こんなことは初めてだった。どうしたら良いか分からなかった。気がつけば近くにギギレンドーラがやって来ていた。私に話しかけてくる。
「純粋なEC画家の絵は『子供の絵』なの。知識の枷がない奔放さと真っ白なノートから生まれる斬新な芸術。事象を記号化せず体系化せずに本質を描ききる大胆さ。そういうのは大人になるにつれて消えていく。私はもう少し早かったけど」
「もう元の絵柄には戻れないの?」と私は問う。「戻る必要はないの。ここからがスタートだから」とギギレンドーラは主張した。
「それならもう駄目だ」と私は言う。「いつも何も考えないでインスピレーションに頼っていたから、何を表現して良いのか分からない」
「子供の絵がいつまでも描けてしまった故の悲劇ね」
ギギレンドーラはそう話すと私の近くにやって来て、足元にバラバラと石を撒いた。やけに軽くてゴツゴツしたものが多い。白っぽい岩を取って床に並べて四角い図形を作り出した。私もよく分からないまま岩を一列に並べていく。
「私も小さい頃は神童と呼ばれてた。その頃はEC画家がもてはやされて、直感だけの絵がやたらと評価された。天狗になってたわね。免許もないのに高級外車を何台も買って広い部屋にミニカーみたいにして並べてたわ。並べるのが好きなの。あと、積むの。ダイヤの原石をバイヤーから買い取ってベッドの上でタワーを作ってたわ」
「こっちは勝手に知らないところで神秘性を売りにされてた。君の言うように自分は騙せなかった」
「私はそれから色々な絵を見て学んで研究して、ある美術コーディネーターの所でそいつの言いなりに絵を作ったわ。悔しいけれど、指定された文字通りにイメージするといい絵が出力されるのよね。指示の一言一言が呪文みたいだった。私はそれで何とか生き残ってきたけれど……。この先はもうどうにもならないわ」
「これからインスピレーションに頼れなかったら、過去の良い絵を見てインプットして、そこに支えを求めようと思ってたんだけど」
「やめなさい。やめておきなさい。結局、本質が分かっていないと意味ないから。誰かの言いなりに脳みそを使うのって、最初の内はそういう役割なんだと割り切れるけど、そのうちに役割そのものを疑うようになるから」
「本質? 本質とは何ですか」
「私たちがEC画家として本当に欲しているものは何か」と言ってから、ギギレンドーラは四角形を作り終えてその中に石を投げていく。「欲するものを理解しなくちゃ」
ギギレンドーラはそれを動機と呼んだ。確かに私はそれまで何を表現したいとか、どうしてこれを表現したいとか、その根源的な問いから逃げ続けていた。どうやらギギレンドーラも私と同じだったらしい。人の言いなりになって絵を創発するようになっても、最後は心の部分で躓きが起きてしまうらしい。
「ネアンデルタール人もクロマニョン人も胸に確かに抱いていたものがある。内面のイメージが膨らんで膨らんで、出力の正確性が5%を切っていても壁画にそれを残した。その頃から芸術は美術は個人の感情に炙り出されてきたのよ。今の私達にはできない」
私はギギレンドーラの言葉によって寂しくなっていた。脈々と紡がれてきた人類の一冊の本から、私のページだけが破り捨てられたようだった。この孤独を一人で抱え込まなくてはと思うと苦悶しそうになるが、気づけば眼前に同様の苦しみを抱えた人の姿がある。
ギギレンドーラの表情は険しかった。瞳は恐れによって揺れ動いているようだった。私は歩みの先に彼女が立っていると認識できた。嬉しさで胸が踊って彼女を求めた。喜びと愛しさの感情は抱擁の形で表現される。
私に抱かれたギギレンドーラは黙って肘打ちを見舞ってきたが、腕を振り払わない。ある提案をしてきた。「私と一緒に作品に挑む気はある?」。共同制作の誘いだった。私はもちろん経験したことがない。その話をすると「私も初めてだから問題ない」と返ってきた。目的は絵への動機を取り戻すことらしい。私たちの心の底には望んだはずの道が広がっていると信じているのだ。私は申し出を承諾した。
二通りのアプローチがあるらしい。二人で一つずつ試すようだ。詳細をギギレンドーラは説明してくれた。一つ目。これまでの人類の美術史を学び倒して作品群と理論をとにかく頭に詰め込むだけ詰め込む。それから頭を空にしてEC画家としての仕事を開始する。二つ目。完全にあらゆる人工的な情報を絶った状態で数ヶ月を過ごし、それから絵作りに取り掛かる。
二人のうちどちらかは描画への根幹的な欲求に迫れる。アプローチ自体が正しいのならば。それがギギレンドーラの意見だった。「私が頭を一杯にする方を選ぶわ。これまで原始的な美しさに挑んでみたけれど成果はなかったし」と言いながら積んだ石を崩した。「自然の中の美しさに触れてもインスピレーションは元には戻らないし」。彼女が岩を弄ぶのは狂人のふりだと思っていた。考えあっての行為と知っていじらしさを感じていた。
私は山籠りを開始した。実家の近くの沢に分け入っていく。赤い実を付ける木に囲まれた一本の大樹。私はその根本を拠点と決めた。日の出ごとに河原の尖った小石で木に印をつけた。一週間で衣服はぼろぼろになった。中途半端に端切れをまとっても邪魔なので、全裸で過ごすことになった。食料は一切持ち込んでいない。木の実を取って魚を釣って腹を満たした。生きるための土台をこしらえている間は、絵への問題意識は一切浮かんでこない。生活様式が整ってきた頃、夜空を眺めるくらいの余裕も出てくる。
私は高熱を出してしまった。蚊が病を媒介したのだろうか。雨の中で寒気に身を震わせた。それからひどい下痢をした。体に力が入らなくなった。もちろん魚を釣る体力も木に登る気力もない。水も尽きた。徐々に意識が朦朧としてきた。死の気配を感じ取っていた。自分と夜闇との境界線が分からぬ夜。ふと私は目覚めた。白い蓮が視界の隅に見えた。奇跡的に体も動きそうだった。泥の上を這った。蓮の近くには水が湧いていた。私は地面に顎をつけて真水をすすってから眠った。二日が経過して立てるようになった。あの時に咲いた蓮の花を探したが見つからなかった。
半年が過ぎて私は沢を後にしてユニバーシティへと戻った。文明人に戻るためのプレス機で体を圧迫された。アトリエではギギレンドーラが待機していた。彼女は半年前に別れた時と同じ風貌だったけれど、瞳がすっかりと濁っていた。彼女の双眸に映る私は、さしずめ理性の輝きを失った獣のようだったろう。私たちの間に挨拶はなかった。本能が横たわっていた。無言で装置を頭につけてタイルに絵を生成していく。
完成したのは不可思議な幾何模様だった。最終的に七○五枚の絵が生まれた。私たちはタイルに向き合ってから十二日の間、無我夢中に絵を創発し続けたらしい。何枚も何枚も不可解な図形ばかりが出力されていく。近くで私たちを見守っていた学生たちは、その正体を知るためにインターネットの有識者たちから意見を募った。すると、それらの絵は重ねていくと何かの形になるという意見がもらえた。私とギギレンドーラは自ら出力したものを全て重ねて、それが何であるかを理解していた。だがこの先の対応はどうするのか。意見は一致しなかった。
私は完成した絵を見せるべきと判断し、ギギレンドーラは激しく反対した。第一、誰に見せるのか分からないと。私は彼女に許可を得ないまま、世話になっているイベンターに電話をした。心当たりはあった。イベンターはマイクロボードを製造する工場の社長と私を引き合わせてくれた。彼にギギレンドーラとの合作とその仕上げについてを説明する。すると、彼は「とんでもない。引き受けられない」と顔を真っ青にして断ってきた。「そんなことをするために会うと分かっていたら、逃げ出していた」と本音で話していた。交渉は難航したが、作業をした人間の素性は明かさないと約束し、あらゆる方面からかき集めた資金を報酬として用意した。そうして私たちの絵は自然界に現出した。
タイル画の一枚一枚は脳の断面図だった。物理的にそれらを重ねていくと、当然出来上がるのは人間の頭蓋になる。私は完成した頭部を胸に抱えていた。二人で描いたのはここまでだ。次に私は胴体や手足の作成に入った。神経系のコネクタはオープンだ。だが信号を伝える場所がなければ意味がない。作り上げた息子はつぎはぎだらけの手足に胴体を備えていた。彼は人工物ではない。私とギギレンドーラの欲求から生まれた子供だ。手足を授け関節を動くようにした。数日もすると彼は一歩ずつ、私に手を引かれながら歩けるようになっていた。
生み出した息子を私は一度、ギギレンドーラの元に見せに行った。彼女はすっかりEC画とは別の方面に歩みだしていて、石を使ったアクセサリーを作りながら喫茶店を経営していた。私たちはひどく歓迎されなかった。飲んだコーヒーも全て自腹だった。彼女は息子と目を合わせもしなかった。
私はもう画家としてやっていけない。息子の寝顔を見るたびにそう思う。これからは作品に寄り添って歩まなくてはならない。僅かだがぼんやりとした性格は改善された。その代わり誰かの顔色を盗み見るようになった。結果としてインスピレーションに従って行動する習慣が戻ってくる。息子との会話はそれなしでは成り立たない。さもなくば血肉の通わないものになる。
私の『罪咎』はいつの間にか海外の博物館に所蔵される運びになり、見納めであるので息子と共に見に行った。遠くから絵画を見て気がついた。あれは私の息子が描いたものではないか。きっとそうだと頷くが何も出来ず、私は絵が運び出されるのをただ見つめていた。
了
アウターチャイルド Garanhead @urongahara
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