まだらの糸
霞原流深オカルト相談事務所は紺色探偵事務所という名前に変更された。紺色の謎を探り解決していく彼に相応しい名前だと思う。そんな探偵事務所には数多くの依頼者が尋ねていた。最初は学生だった。その次は学生の友人、次は飼い猫探し、最近では大臣クラスの人物が来ていた。悩みは様々で肩凝りやゲームの不出来、神社の復興、呪物の扱い方、悪霊物件の調査などである。僕は非常に楽しく協力していたが先生は少し不満な様子だ。
「んー悪くはないんだがねえ……」
彼は煙管を蒸していた。無論窓は全開だし窓際に座っている。
「少し退屈だ。思いの外面白くない」
「大臣殿の依頼は解決したんですか?」
「勿論さ。ちゃあんと誠実に答えてやった。でも単純なのだよ。普通で。つまらぬ。結局呪いでもなんでもなかった。彼奴の過失だよ」
「それ本人の前で言わない方が良いですよ」
「言わないさ。……あ、桜さんありがと。ってああっ!」
桜さんに煙管を取り上げられたようだ。
「先生、吸いすぎです」
「良いじゃないかちょっとくらい」
「ちょっとじゃないでしょう。最近は隠れて紙タバコを吸っていらっしゃるの、私知っていますから」
「ええ〜。ちぇっ」
彼はココアシガレットをポリポリと食べ始めた。桜さんに禁煙法として渡されたらしい。
「んんー面白くないねえ。何かないのかね!こう、ウキウキするような事件は!」
「そうおっしゃられても……あ、彼の人はどうですか?あの女性です。どんな人か当ててみましょうよ」
「ええ?……んー、簡単だよ。悪霊に取り憑かれたご令嬢と言った感じだね。しかもこちらに来るよ。大慌てで。ふふ、良い仕事に出会えそうだ。ありがとう勇気くん」
扉が開き慌てて女性が飛びこんでくる。紺色のコート、輝きを放つ真っ白なシャツと紺色のスカート、艶やかな黒靴は息を乱して疲れていた。
「ようこそ、紺色探偵事務所へ。さあどうぞこちらにおかけください。桜さんコーヒーをミルクを入れてお出しして」
「はい」
彼は落ち着いた表情で女性を見つめた。
「随分慌てておいでらしたようで。始発の電車で来たのですね。しかもそれなりに遠いお住まいだ」
「ええ、その通りでございます……。先生、私誰に相談したら良いかもわからなくて!周りの評判を聞いてここに来たのです」
「それが正しいでしょう。あなたの悩みは私に打ち明けるべきです」
桜さんはコーヒーを渡した。女性は飲んだ。頬が緩んで顔が柔らかくなった。
「私、九条茜と申します。まもなく許嫁と婚約を交わす予定です」
「九条さん、いや。茜さん、お相手とは仲が良いのですね。どうやらお相手のことではなさそうな」
「はい。おっしゃる通りです。私が相談したいことは。その、姉のことでして……」
茜さんは息を吸って話し始めた。
「四年前私は九条家の所有する邸宅で姉と共に住んでおりました。花嫁修行を兼ね、自宅より遠くの場所で料理の練習などをして毎日を過ごしておりました。姉は私より料理の腕がよく結婚をするのも彼女の方が早いと思っておりました。その一年後姉は婚約者を見つけました。そして婚約しました。彼女は私より早く修行部屋を抜け出すこととなったのです。しかし彼女が家を出る前日の夜、彼の人は亡くなってしまいました。糸状の何かで首を斬られて……。私の部屋は姉の隣です。何か起これば気がついたはずです。ですがその夜は何もなくて、姉が亡くなったのもいつも朝が早い彼女が部屋から出てこないことで不審がったため見つかったので。私はかの有名なまだらの紐を思い出して彼女の部屋を探りました。穴は何処にも空いておらず“まだらの紐”は何処にもありませんでした。ですが部屋に入った時微かに感じたのです。悍ましく冷たい気配を。私はあれがなんなのかわかりません。ですがあまりの恐ろしさに気を失ってしまいそうでした。
あれから二年後、私にもついにお相手と結婚する時が来たのです。私はあの別邸から抜け出すことができるようになりました」
「えっ、お姉さんが亡くなった後もその部屋にいたのですか?」
「父が許してくださらなかったのです。……魂を鎮めるためとおっしゃって」
「なるほど。話を割ってすまないね。話を続けてください」
「はい。別邸から抜け出す準備をしていた時なのですが、またあの凄まじい悪寒を感じたのです。しかも今度は私の部屋から。おかしいと思いましたわ。姉がいた部屋では無いのに嫌な気配を感じ取ったのです。私は怖くなって部屋を抜け出してしまいました」
「それで正しいでしょう。勇気くん、桜さんすぐにお祓いの準備だ」
『はい!』
先生は柔らかく女性の手を握った。
「茜さん、これからあなたを救います。わたしの命をかけてでも。一生をかけて。あなたには好きな人がいますか?」
「えっ、あの……いません」
「ならわたしを好きになりましょう。出来ますか?」
「……………………………………出来ません」
「でしたら良い。素晴らしい。想い人がいるのですね。女性は強い。好きな人がいるだけで何倍もの活力が湧きます。あなた、幻聴や幻覚は?」
「そんなのあるわけないですよ。軽い頭痛はしますけど」
「それは今も?」
「え、はい。あの……なにか勘違いしてらっしゃるかもなのですが私は姉を助けたいと言うか」
「何をおっしゃいますか?!あなたのような心のお優しい方が来たのです。まずはあなたが助からねば。お姉さまも心配なさりますよ。さあ、立って。塩の入った杯をお渡ししますから。これを持って少し待っててください」
先生は少し慌てた様子でソファから立ち上がり急いでバックグラウンドに入った。しかしすぐに三日月模様の羽織を着て戻ってきた。手には数珠。
「窓は開いている、部屋は暗い。よし、完璧だ。さあ九条茜さん。覚悟してくださいね!」
手を合わせる。
「かの女性に仇なす愚か者よ。その邪を我が討ち払わん!呪禁殺止!」
茜さんは倒れる。僕が手早く抱えた。
「ありがとう。勇気くん。さあここからが本番だ。桜さんは茜さんのそばに。貴女が相応しい。勇気くん、体力は残ってるかい?」
「ありすぎるくらいです」
「そうか。素晴らしい。若いとは奇跡だな。さあ走るぞ。九条家に突入だ」
僕は上着を攫って駆け出した。
事務所近くにある白蛇神社へ向かう。神住町にある黒蛇神社が総本山だ。僕は清らかな水を採るために神社へ訪れていた。神主に事情を説明し、一部を分けてもらう。それを持って、霞原先生と合流する。先生は赤いはさみを持っていた。
九条家はかなり富裕層だった。いかつい門構えの屋敷を前にして、僕は軽く怖じ気づいた。しかし、茜さんのためと思えば怖がる場合でもないと感じた。霞原先生は余裕たっぷりな様子で門を叩いた。すると使用人らしき人物が顔を出した。
「霞原流深だ。海峡大学で教授職をしていたものだ。ここの主人と話がしたいのだが」
「申し訳ありません。ただいま主人は不在でございます」
「ふむ。であれば仕方がない。勝手に上がらせてもらうか。人様のためだしね」
と言うと霞原先生はとある札を見せた。その文字は砕けすぎて僕には読めなかった。しかし効果は絶大だったようで、使用人は有無を言わず、戸を明け渡した。あれは一体なんだったのだろうか。
屋敷の中は竜の文様で満ちていた。筋骨隆々でギラギラとした目がどこからでも視線を合わせてくるようで不気味さを感じる。先生と僕は応接室に案内された。お茶菓子を出されたのでそれをほうばっていると、着物姿をした初老の男性が姿を現した。
「本当かね、お主があの長月家の子孫である、というのは」
男は煙草をふかしていた。
「ええ。あまり使いたくない手でしたが、とある女性のためでして」
「茜、か。儂が行った追尾の呪文が途絶えた」
「趣味がお悪いですね。いい加減自由になさればよいものを。警察にも明かされていない事件でしょう。彼女はなぜか警察には相談していなかった。あなたがその考えを失くすよう呪いをかけていたのでしょう」
「まあそうだ。あの娘には……莫大な資産が下る。余計な身分の男に渡すわけには行かなかった」
「親子の縁……ではなく金の縁でしたか。であれば、このはさみを使いましょう」
霞原先生は赤いはさみを取り出した。
「やめろ!それをすれば意味がなくなる!」
霞原先生が何をしようとしているのか、直感で分かった。僕は清水の入ったペットボトルを先生に渡した。先生ははさみを浸した。
「長月家の者ならわかるだろう、我が家のように、オロチ組に関わる者が縁を切った場合、どんな目に遭うか……」
「娘さんを縛る理由にはならないですよ、それは。勇気君、桜さんに電話」
僕は茜さんのそばに居る桜さんに電話を掛けた。茜さんに視線を合わせてもらうのだ。信頼の糸がつながっているのなら、遠隔でも円を切れる。
「汝を縛る愚かな糸よ、我が刃によって、断ち切らん!”邪蛇断首”!」
霞原先生は主人と彼女の電話口にある見えない糸を切った。すると、周りの竜は怒りを強めた。
「なんてことを……」
「であれば止めればよかったのです。私を」
「そんなことが出来るはずもない。あなたは選ばれた方だ」
「私はなにもあなたをいじめるために来たのではありません。勇気君、この組紐を屋敷全体で覆いたい。手伝ってもらえるかな」
「は、はい!」
主人は目を見張った。先生のやろうとしていることはかなり危険なことだからだ。おそらくそのオロチ組からこの家を守るために決壊を貼るのだろう。その負担は先生本人にかかると言うのに。僕は主人の使用人にも手伝ってもらい、家の周りに組紐を括り付けた。
「よろしいですね」
「そこまでしてもらえるなんて。長月家は本当に霞を晴らす存在なのですね」
「……」
先生は主人の言葉に無言で返した。そしてパンっと合掌する。
「蛇の者から屋敷を守らん!”結界朱紐”」
竜の怒りが和らいで、安らかな視線となった。霞原先生は疲れた様子を見せた。彼は主人に挨拶をすると事務所へ戻った。
帰り際、彼に尋ねてみた。
「どうしてあそこまでなさるのですか」
「……うちの宿命みたいなものだよ」
それ以上は語らなかった。体力が限界のようでたどたどしい言葉が続いていた。僕は彼が心配になった。
紺色探偵事務所へ戻ると桜さんが出迎えてくれた。そして先生に薬草を混ぜた煙管を渡した。先生はふーっつと息を吐いてすっきりしたような顔をしている。茜さんは身体が軽くなったみたいで、表情も明るくなった。
「先生、なぜか肩の荷が下りた感覚がしたのです」
「それは良かった。お父様にはよろしく伝えておきました。あとはご自分でなさってくださいね」
「はい!ありがとうございました」
茜さんは深くお辞儀をして帰っていった。
先生はくたびれた顔でソファにもたれかかった。
「桜さん。日本酒を持ってきておくれ」
「はい」
桜さんは優しい手際で先生に酒を渡した。先生は一杯飲みほした。火照る顔だ。くたびれた長い髪がゆらりと垂れる。
「私の生まれた町は神住町(かすみちょう)というのだ。神社が多く存在する神聖な町なのさ。温泉街としても有名で観光客もたくさん来ていた。あの町では三英雄伝説が残っていてね、三英雄がカスミオロチという怪物を(封印した、っていう話なんだけどその間、時間を稼いでいた長月彩菜という人物の子孫なんだよ、私がね。まあそのお陰で、オロチ組を追いかける羽目になったのだがね」
先生は饒舌になった。自分のことはあまり語らない人だ。
「オロチ組はカスミオロチを復活させようとした集団でね、かなり強い呪術を使う。負担が大きいな。あの結界も油断すれば破られるだろう。一度帰省する必要があるな……」
彼は立ち上がった。桜さんと僕を見た。
「次は神住町へ行くよ。ついてくるかい?」
「もちろんです」
「はい」
僕は先生の優しさと強さに惹かれていった。これからも彼の凄さについていこうとする者が増えるだろう。だから僕は誇りに思う。そんな彼の一番弟子はこの僕なのだから。
霞原流深の冒険 赤月なつき(あかつきなつき) @akatsuki_4869
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