第2話 王子様に目覚めの挨拶を

「おや、王都が見えてきましたね――呪いに打ち勝った私たちの凱旋を讃えてくれているようです」


 テレンツィオが窓の外を指差す。その先を見たフレイヤは、「あっ」と小さく声を上げた。ふわり、と色とりどりの花吹雪が目の前の景色で舞っているのだ。


「あの馬車だ! 副団長様ご一行が帰って来たぞー!」

「見て! 副団長様は今日も麗しいわね」


 馬車の周りに人が集まり、花道を作っている。彼らが馬車の行く手を阻まないのは、王宮から派遣された近衛騎士たちが引き留めてくれているからだ。

 白地に金糸で刺繍が施された軍服を着た騎士たちが、等間隔に並んで馬車道を確保してくれている。

 

「どうやら王都では、昨日から第二王子殿下の目覚めを盛大に祝っていたようですね。いやはや、今夜も続けてくれているといいですね。こっそり出かけて祭りを楽しみたいものです」


 祭りの熱が冷めやらない王都の目抜き通りを、馬車がゆっくりと進む。集まった人々はフレイヤたちに手を振ってくれている。その好意にどう応えたらいいのかわからず、フレイヤはややぎこちなく微笑むのだった。


「英雄の帰還の如く出迎えてもらえて気持ちがいいですね」


 テレンツィオは慣れた様子で手を振り返している。

 司祭という立場上、このような状況を何度も経験してきたのだろう。進んで手を振り返す姿は威厳すら感じさせる。

 

「まあ、今回は英雄というより、さしずめ聖女の帰還でしょう。フレイさん――香りの聖女様のね」

「聖女だなんて、大袈裟な――」

「大袈裟なものですか。だって、フレイさんの香りの知識が第二王子殿下にかけられていた呪いを解いたのですよ?」

「――っ」

 

 否定の言葉を口にしようとしたところで、テレンツィオの満面の笑みに黙らされてしまう。


(聖女と言われるような、たいそうなことはしていないのに……)

 

 それでも、自分の知識が役に立ったのだと認めてもらえるのは嬉しい。

 

 こころなしか、先ほどまでは気恥ずかしかった歓迎と労いの歓声が、フレイヤの心にゆっくりと染み渡るようになった。


     ***

 

 王宮に着いたフレイヤたちは、すぐに国王夫妻に謁見した。

 

「皆の者、この度は息子のために遠路を駆けてくれたこと、感謝する。貴殿たちのおかげで息子を暗闇から救い出すことができた。この恩は忘れない」


 子を想う父親らしい柔らかな表情を垣間見せた国王だが、すぐに眼差しに鋭さを宿す。


「コルティノーヴィス副団長、書簡に書いてあったことを詳しく説明してくれ」

「かしこまりました」

 

 シルヴェリオは粛々と、王都東部の山岳地帯での出来事を報告した。

 

 火の死霊竜ファイアードレイクの骨から瘴気のようなものが出てきたこと、そしてその骨に呪術の痕跡があったこと。

 居合わせた宰相や大臣らがどよめく中、国王夫妻は一言も発さずにシルヴェリオの話に耳を傾けた。

 

(すごい……全く動揺していない)

 

 フレイヤは内心驚きつつ、二人を見守る。

 

 為政者たるもの、敵味方に動揺を見せてはならない。彼らの行動は常に、周囲に影響を与えるのだ。

 もしも今、二人が動揺すれば、大臣たちは更に不安に駆られていただろう。しかし二人が凛とした表情を保っているからこそ、大臣たちは次第に落ち着きを取り戻してシルヴェリオの話に集中する。


(国王陛下と王妃殿下が、この空間の空気を作っている……香りみたい……)


 香りが人の心に作用するように、国王夫妻の創り出す空気がこの場にいる全員の動揺を抑制しているように見えた。

 

 やがてシルヴェリオが全ての報告を終えると、国王は重々しく口を開いた。

 

「呪術の痕跡か……早急に術者を探し出さねばならないな。イェレアス司祭、大司祭に書簡を渡してほしい。この後すぐにしたためるから、持って帰ってくれ」

「仰せのままに」

 

 いつになく固い声で、テレンツィオが返事をした。


「術者の所在が気になるだろうが、今日はゆっくり休んでくれ。長旅の疲れを癒すことも、貴殿らの仕事だ」


 国王は視線をシルヴェリオとフレイヤに移すと、微かに目元を綻ばせる。

 

「二人とも、ぜひネストレに顔を見せてやってくれ。起きてからずっと、二人の帰りを待っている」


 フレイヤは目を瞬かせた。友人のシルヴェリオを待つのはわかるが、果たして一介の平民を待つだろうか。


(い、いいのかな……?)

 

 そろりとシルヴェリオに助けを求めると、彼は黙って頷く。行こう、ということなのだろう。

 フレイヤはやや気後れしつつ、王宮の使用人の案内でネストレの部屋へと移動した。


     ***

 

「ネストレ殿下、コルティノーヴィス副団長殿とルアルディ殿をお連れしました」

「――入ってくれ」


 やや甘さのある声が、扉の向こうから聞こえる。使用人はその声に応じて、扉を開いた。

 

 数日ぶりに訪ねた部屋は、以前よりも明るく感じられた。室内を彩るファブリックが変わったわけでも、窓から差し込む陽の光が数日前より明るいというわけでもない。

 この部屋の主が目覚めたこと。ただそれだけが違っていた。


 フレイヤはゆっくりと顔を動かし、窓辺にある寝台に向ける。さんさんと降り注ぐ陽の光を背に、華やかな美貌を讃えた王子――ネストレが半身を起こしてフレイヤたちを出迎えた。

 ネストレは神秘的な銀色の目を優しく眇めている。


 彼は黒色の簡素な寝衣を身につけただけだが、少しもだらしなく見えない。

 さすがは王族と言うべきか、気品すら感じさせる雰囲気がある。


「シル、おはよう」

「――っ」


 隣で、シルヴェリオが息を呑んだ気配がした。

 

「お、おはよう……ございます」


 喉の奥から声を絞り出すように、シルヴェリオが言葉を紡ぐ。

 

「呪いが解けて、本当に――良かったです」


 懺悔する信徒のような声で、短い言葉の中に、複雑な感情が内包されている。

 そんなシルヴェリオに、ネストレは白い歯を見せて笑った。

 

「まさか、シルの泣き顔を見られる日が来るとは思わなかった。呪いにかかるのも案外悪くないな」

「泣いていません」

「ははっ、睨むなよ」


 気安い口調は、彼の素なのだろうか。シルヴェリオへの親しみを感じさせる。

 シルヴェリオの口調はフレイヤやパルミロと話す時と比べると固いものの、言葉に感情がこもっているからなのだろうか、不思議と壁を感じさせない。

 

「お体は大丈夫なのですか?」

「おかげさまで。長い間眠っていたから、疲れがとれて体が軽いよ」


 ネストレは腕を回して見せる。まるで、シルヴェリオを安心させようとしているかのように、勢いよく動かした。


「俺のために奔走してくれていたそうだな。ありがとう」


 その言葉を聞いてようやく、シルヴェリオは知らずのうちに握りしめていた拳を解いたのだった。


「シルにはぜひ領地をと陛下が張り切っているよ。受け取ってくれるかい?」

「願ってもみない褒賞ですが――受け取れません。俺は、殿下への恩返しで呪いを解く方法を探していました。なので褒賞は不要です……しかし、俺以外の者にはぜひお心配りいただけましたらと思います。彼らは純粋に忠誠を尽くしていましたから」

「ふふ、そうかい。口惜しいが、シルの言う通りにしよう――そして、ルアルディ殿」

「はい」


 名前を呼ばれ、フレイヤはピシリと背筋を伸ばす。

 

 第二王子と言葉を交わすのは初めてだ。やや緊張する彼女に、ネストレは眉尻を下げた。


「貴殿の腕に痕が残るほど強く掴んでしまったと聞いたよ。申し訳なかった」

「い、いえ。眠られていた時のことですので、お気になさらないでください。それに、王宮の治癒師が治療してくださったので、痕はもうございません」

「恩人に無礼を働いたんだ。回復したら改めて、謝罪に出向かせてほしい」

「殿下に出向いていただくなんて、そんな……」


 確かに呪いを解くのに協力したが、それはシルヴェリオからの依頼があったからだ。王族を出向かせるほどのことはしていない。

 

「貴殿には本当に、救われたんだ。呪いで眠っている間、私は暗闇の中にいたんだよ。聞こえてくるのは、苦しむ火の死霊竜ファイアードレイクの声だけ。正直に言うと、気が狂うかと思った。――だけど、私の好きな森の香りがすると、暗闇の中に光が現れたんだ。その時、ルアルディ殿の声が聞こえてくるようになった」


 夢の中の世界で、ネストレは必死に足を動かして光の後を追った。フレイヤの声が途切れ、慌てて光に手を伸ばしたのだ。そうして光を掴んだと思ったのが、フレイヤの手だったそうだ。


「ルアルディ殿にはぜひ個人的に恩返しをしたい。欲しいものがあったらぜひ教えてくれないか?」

「え、ええと……」


 個人的にとは、あまりにも畏れ多い申し出だ。このような時にどうこたえるべきか、残念ながら予習してきていない。

 

「……菓子だろうか」


 ぽつりと、シルヴェリオが呟いた。


「菓子?」

「ええ、フレイさんは無類の菓子好きなんです。しかし、フレイさんが菓子ばかり食べていて栄養のつくものを食べていないのではないかと、うちの執事が最近心配していて――」

「ち、ちゃんと野菜も食べています!」


 まるで菓子しか食べない子どものように言われるなんて心外だ。それ以上に、気恥ずかしい。フレイヤは顔を真っ赤にした。


「……ふっ」

「わ、笑いましたね?!」

「すまない。あまりにも必死に言うものだから」

「~~っ!」


 フレイヤは耳まで真っ赤になると、プルプルと震えた。するとシルヴェリオは慌てて、顔を横に背けて口元を手で覆い隠す。


「シルが……笑った?」


 ネストレは大きく目を見開いた。彼の知るシルヴェリオ・コルティノーヴィスは、全く笑わない人物だったのだ。

 今までに何度も笑わせようとしたのに、ことごとく失敗しては仏頂面のシルヴェリオに苦言を呈されてきた。


「どうやら、私が眠っている間に世界が変わったようだ」

 

 彼の零した呟きは、フレイヤにもシルヴェリオにも、聞こえていなかった。

 

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