第二章

第1話 帰り道と、新たな仕事の始まり

 フレイヤたちは王都への帰路についた。

 馬車の中、フレイヤとシルヴェリオが横に並んで座り、テレンツィオが差し向かいの席に座っている。

 

 ありがたいことにテレンツィオが絶え間なく話してくれるおかげで、気まずい沈黙にはならない。

 

「あ~あ、楽しい旅行が終わってしまいました。神殿生活に戻るなんて、退屈で死にそうですよ」

 

 しかし時おり、反応に困る発言をするのが玉に瑕だ。

 

 遠征を楽しい旅行などと言っていいのだろうか。

 フレイヤは返事に臆した。なんとも司祭らしからぬ発言だ。相槌を打とうにも、言葉に迷う。

 

 もしも身分が同じであれば軽口を叩き合えるだろうが、彼は司祭。それも、エイレーネ王国では名だたる家門の人間だ。口が裂けても言えない。


(シルヴェリオ様は――完全に無視している……)

 

 チラリと隣の席に座るシルヴェリオの様子を窺う。深い青色の目は窓の外を見つめてばかり。会話に加わる気はないらしい。

 

 復路はずっとこの調子だ。基本的には会話に不参加で、テレンツィオがフレイヤにちょっかいをかけようとすると、短い言葉で諫める。

 

「そうだ、私もフレイさんに香水を作ってもらいたいものです。工房にお邪魔してもいいですか?」

「え、ええと、ご依頼はシルヴェリオ様に――」

「清貧を重んじるべき司祭が、何を言っているのですか」


 フレイヤが言い終える前に、シルヴェリオがピシャリと撥ねつけた。見ると、眉間に皺を寄せている。

 おまけに、テレンツィオに向ける眼差しの温度は氷点下まで下がっている。さすがのテレンツィオも、一瞬だけその眼差しに氷漬けにされるのだった。


 シルヴェリオの言う通り、テレンツィオら司祭は信徒に清貧の教えを説くため、最も清貧を重んじるべき職業。

 おまけに彼らの衣食住は信徒たちからの献金や寄付に支えられている。香水のような贅沢品を求めるなんて論外だ。


「うーん、手厳しい。それでは、私たちは古のレシピをもとに香り水を作るしかなさそうです」


 テレンツィオはしゅんと項垂れてしまう。珍しく哀愁漂う姿を見せられると良心が痛む。


 フレイヤは両手を胸の前でぎゅっと握る。「あの……」と、やや躊躇いがちにテレンツィオに声をかけた。


「では、後日おすすめの香りのレシピをお伝えしましょうか?」

「それは助かります。なんせ、修道院のレシピは秘伝ものばかりなんで、聞いても教えてもらえないんですよ。ケチですよねぇ?」

 

 修道士や修道女らは、秘伝のレシピをもとに作った薬を売って修道院の修繕費や修道院内にある薬草園の維持費を賄っている。

 故にそのレシピを公にしないのだ。

 

「どのような香りがお好きですか?」

「爽やかな香りがいいですね。気分転換できるようなものが欲しいです」

「わかりました。思い当たる薬草の組み合わせを紙に書いておきますね」

「なんとお優しい! コルティノーヴィス香水工房が繁栄するよう、毎日女神様に祈りしましょう!」

 

 数秒前は打ちひしがれていたテレンツィオだが、フレイヤの救いの一言のおかげで、今は一転してほくほくと頬を綻ばせている。

 

「まあ、私が祈らずともコルティノーヴィス香水工房はこれから忙しくなりそうですね。なんせ、王妃と王子に献上された香水を作っている工房ですから――そうですよね? 副団長殿?」

「ええ、しばらくは貴族家がこぞって買い求めようとするでしょう」


 王族が全ての献上品を受け取るとは限らない。ゆえに眠っている第二王子に香水が献上された翌日、社交界ではコルティノーヴィス香水工房の話でもちきりだった。

 

 調香師は王妃が気に入った香水を作った人物でもあるのだ。きっと、王族御用達の工房になるのではないかと囁かれている。

 それでは我らもと、名だたる家門の紳士淑女らがかの香水工房の前を通りかかっては、熱い眼差しを送っている状態だ。

 

 ミーハーな貴族たちが押し寄せても対応できるよう、シルヴェリオは早々に手を打った。臨時でヴェーラの持つ商団から人を借りているのだ。

 おかげでコルティノーヴィス香水工房のメンバーはそれぞれの仕事に専念できている。


 しかし、身内の商団とはいえいつまでも他所から借りた人間に仕事を任せるわけにはいかない。王都に戻ったら、商売を専門とする者を雇わねばならない。


「……忙しくなるな」

「そうですね。たくさん香水を作って稼ぎます!」

「無理をするな。一度体を壊すと、何が起こるかわからないからな」


 シルヴェリオは苦虫を嚙み潰したように口元を曲げる。膝の上で緩く、拳を握った。


「カルディナーレ香水工房にいた頃は一日に何本も作っていたので問題ありません!」

「しかし、それが適正な仕事量ではないのであれば問題だ。比較するべきは劣悪環境ではない。基準だ」


 それはもっともなことだった。カルディナーレ香水工房ではいくつもの注文を受けており、フレイヤたちはいつも手いっぱいだった。同僚の中には、疲労が祟って体調を崩す者がちらほらといた。

 中には、鼻が利かなくなってしまい、辞めた者もいたのだ。

 

(シルヴェリオ様の意見は正しい。だけど――)


 新たなスタートに張り切るフレイヤにとって、その正しさはやや冷たく感じられる。

 

「……わかりました」

 

 まるで風船がしぼむように、フレイヤの元気が徐々に失われていく、その時。

 

「はは、いいですねぇ。商売繁盛で羨ましい限りです!」


 テレンツィオが大きな声で笑い、馬車の中の空気を揺るがした。

 

「我々も王族のお墨付きが欲しいものです。ここはひとつ、売りこみに行ってみましょうかねぇ。どう思います?」

 

 そう問われ、フレイヤは対応に困る。なんせ、相変わらずテレンツィオの言葉は司祭らしくないのだ。ひとまず、頬の筋肉をぎこちなく動かして笑った。


「おや、王都が見えてきましたね――呪いに打ち勝った私たちの凱旋を讃えてくれているようです」


 テレンツィオが窓の外を指差す。その先を見たフレイヤは、「あっ」と小さく声を上げた。

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