第3話 労いの晩餐会

 夜になり、シルヴェリオは国王夫妻とネストレの強い要望を受けて晩餐会の席についた。

 褒賞を受け取ろうとしないシルヴェリオを労いたい。しかしそれだけではなく、今回の遠征で発見された呪術について話し合うこともまた、晩餐会を開いた理由の一つだった。

 

 それは内密な話でもあるため、シルヴェリオ以外の者たちは帰されたのだった。


 参加者は国王夫妻と王太子夫妻、ネストレを含む三人の王子と、シルヴェリオだ。

 フレイヤが聞いたら仰天してしまいそうな話だが、シルヴェリオは学生の頃からたまにネストレに招かれ、このやんごとなき面々と食事をすることが多々あった。

 学園を卒業してからは久方ぶりの参加となる。

 

 晩餐会の会場は、王宮の中にある食堂。

 フレイヤの家がゆうに二軒並ぶほどの広さの部屋を横断するように長いテーブルが横たわっており、その上には豪勢なご馳走が並ぶ。

 

 角山羊や氷牛の乳で作ったチーズや、王都が面している海で採れた白身魚を彩りのある野菜と一緒に酒蒸ししたアクアパッツァ、そしてバラの花を模したように形作られた翼豚のハムなどが、豪奢な銀食器の上に盛りつけられて並んでいる。

 

「シルって、ルアルディ殿の前ではちょっと意地悪だよね」


 シルヴェリオの隣に座っているネストレが水の入ったグラスを揺らしながらニヤリと不敵に微笑む。

 フレイヤがいる手前、王子らしく振舞っていたネストレだが、今は完全にその仮面を脱いでいる。友人を揶揄う、年頃の青年らしい表情だ。


「さっき、ルアルディ殿の食事について笑っていただろう? あれは失礼だよ」

「肝に、銘じます……」


 普段は淡々と話すシルヴェリオにしては珍しく、声が尻すぼみになっている。

 先ほどフレイヤに向けられた表情を思い出すと、そわそわとして落ち着かない。

 

 フレイヤは間違いなく怒っていた。氷点下の眼差しで見つめられたシルヴェリオは、馬車に乗ろうとしたフレイヤを引き留め、平謝りして許しを請うた。

 そんなシルヴェリオを見た彼の部下たちは、「あの副団長が慌てて謝るなんて……」と衝撃を受けて立ち竦んでいたのだった。


「そうですよ。ルアルディ殿は王子を呪いから助け出した祝福の調香師殿なのですから、もしも彼女の意に添わないことをすれば、エイレーネの王族が黙っていませんからね?」


 王妃は優美なコロコロと笑っているが、その目には冷ややかとも鋭利とも名状しがたい圧が込められている。


 もとより自身の励みとなった香水を作ってくれたフレイヤに好感を持っていた王妃は、今回の一件でさらにフレイヤを気に入ったのだ。この国ではこれ以上ない後ろ盾を手に入れたこととなる。

 今回の遠征で彼女に同行していた魔導士や騎士――そしてテレンツィオも気づいていたが、当の本人であるフレイヤだけが気づいていない。

 

「ルアルディ殿が祝福の調香師と聞いて雇うなんて、シルらしくないね。いつもなら、ただの偶然と一蹴しそうな話なのに」


 噂や迷信は信じない。ただありのままの事実を調査し、一切の感情を挟まずに決断を下す。

 シルヴェリオ・コルティノーヴィスとは、そのような人物だった。


「いったい、何があったんだい?」

「あらゆる可能性を試すしかないと、藁にも縋る思いでしたから」


 ネストレにかけられている呪いを解くために、様々な方法を試した。しかし魔法も薬も治癒師も司祭も、ネストレを目覚めさせられなかった。

 そうして次の一手を探しあぐねていたところ、奇跡的にパルミロの店でフレイヤと出会った。

 

「呪いのことですが――火の死霊竜ファイアードレイクの骨の近くに術者はいませんでした。近くの町中も気配を探ってみましたが、それらしき魔力を探知できませんでした」

「ふむ……遠隔で呪術を発動させたか、もしくはコルティノーヴィス卿に気取られないほどの手練れか……いずれにしても早急に捕らえねばならんな」

 

 国王は小さく溜息をつく。よほど呪いのことが気がかりなようで、目の前にある料理にはほとんど手をつけていない。


「普段の任務や工房のことで忙しいだろうが、しばらくは術者の拘束を最優先に動いてくれ。一刻も早く見つけ、脅威を取り除かねばならない」

「かしこまりました。エイレーネ王国の平穏のため、王国中を駆け巡ってでも見つけ出します」

 

 呪いである以上、今回の火の死霊竜ファイアードレイクの事件は意図的に起きたものだ。

 術者の狙いはわからないが、もしも国民の犠牲の上に計略を立てているのであれば今すぐにでも止めなければならない。

 

「実は、多忙なコルティノーヴィス卿にもう一つお願いがあるの」

「私がお力になれることであれば、なんなりと」

「ふふっ、あなたとルアルディ殿の二人の力を借りたいのよ」

「……ルアルディ殿にも、ですか?」


 シルヴェリオは訝し気に眉根を寄せた。

 お願いとはいえ、王族が口にした時点でそれは命令だ。貴族籍を持つシルヴェリオですら逆らえないというのに、平民のフレイヤが断れるはずがない。


 おまけに、件の呪いの話の後だ。

 フレイヤの身によからぬことが降りかかりはしないかと、警戒心を強めた。


 王妃が側に控えていた侍女に片手を挙げると、侍女は手に持っていた盆をシルヴェリオに差し出す。

 その上には、王家の紋章が押された一枚の紙が乗せられていた。

 

「コルティノーヴィス香水工房には、今度開催する競技会コンテストに参加してほしいのよ。その紙は推薦状よ。競技会コンテストの詳細を書いているから、明日にでもルアルディ殿に渡してもらえるかしら?」

競技会コンテスト……?」

「ええ、今度開く建国祭の式典で貴賓に贈る香水を作ってくれる工房を決めたいの」


 エイレーネ王国の香水は他国からも人気があるため、贈り物に最適だと宰相から提案があった。

 そして当初はカルディナーレ香水工房に依頼してはという話が持ち上がったが、折しもフレイヤを解雇したという噂を聞いて、その話を中断させたのだ。


「本当はコルティノーヴィス香水工房を指名したいけれど、まだあなたたちの香水を知らない者が多いでしょう? だから貴族家や工房から反発が起こることを考慮して、今回は競技会コンテストで優勝した工房に依頼することにしたの」

「うちの香水の良さは、王妃殿下とネストレ殿下が受け取ってくださったことが何よりもの証拠になるのではないでしょうか?」

 

 王妃はふっくらとした唇で弧を描き、花が咲いたように微笑む。

 国母らしい、慈愛に満ちた表情だ。

 

「ふふっ、それでは面白くないわ。伝え聞かせるよりも、感動を体験させてあげた方が、人の心が動くものなのよ。そうして、あなたたちを蔑ろにした者たちを後悔させてやりなさい」


 しかし彼女の言葉はとても戦略的だった。

 結婚前、侯爵令嬢として社交界の頂点に君臨していた頃の、歴戦の片鱗が見え隠れする。


「完膚なきまでに叩きのめしておやり」

 

 その場にいた誰もが、ぶるりと背を震わせるのだった。

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