第43話 銀星杉を焚く

 馬車の窓から見える景色が、緑陰の美しい森から荒涼とした岩山へと変遷していく。

 途中で二度ほど町に立ち寄り夜を明かし、ようやく王都東部の山岳地帯にある町に辿り着いた。


 この町はつい最近、突如現れた火の死霊竜ファイアードレイクの脅威に脅かされていた。その脅威を騎士団と魔導士団の面々が退けたということもあり、フレイヤたちは町の人々から盛大な歓迎を受けた。


 案内してもらった宿屋で昼食をご馳走になったフレイヤたちは馬車を町に残し、岩山に入る。馬車道がないため、馬に乗って移動するしかない。

 しかし一人で馬に乗ることができないフレイヤは、どうしたものかと内心頭を抱えていた。


 そこに、すこぶるご機嫌なテレンツィオが眩いほど白く美しい毛並みの白馬に乗って現れた。白馬の王子様ならぬ、白馬の司祭様だ。

 

「フレイさん、馬に乗れないのであれば私が乗せますよ」


 慈悲深い微笑みを浮かべて差し伸べられたその手を取ろうとした時――。


「フレイさんは俺のところに」

「シルヴェリオ様?!」

 

 動かした手を横から来たシルヴェリオが攫ってしまった。

 エスコートの時は手袋越しに紳士的に少し触れるだけだった大きな手。しかし今はしっかりとフレイヤの手を握りしめている。それも、手袋をしていない手で。

 

(あわわ、手が……!)

 

 触れる掌が熱い。

 フレイヤは頬に熱が宿るのを感じた。まるで、彼の掌の熱が伝播したかのようだ。


 そんな二人を、テレンツィオは水色の目を三日月のように細めて見つめた。何やら悪戯を考えている猫のような顔だ。

 

「おやおや、副団長殿が直々にご案内ですか。今回の作戦の指揮をとっているのですから、お嬢さんの案内は私に任せてくださっていいのですよ?」

「お気遣いに感謝しますが、ご遠慮します。フレイさんは俺の部下なので」

「コルティノーヴィス香水工房の工房長は、たいそう部下を大切にしているようですねぇ」


 穏やかで、しかし挑戦的な含みのある物言いにシルヴェリオは眉をひそめた。しかし言い返さず、観衆――部下たちや騎士団の面々に顔を向ける。

 

 いつの間にかフレイヤたちのまわりに集まっていた彼らは、深い青色の目に宿る剣呑な気配に身を竦ませる。

 整った顔――それも冷たい雰囲気の美貌が少し眦を動かすだけで、凄みが増すのだ。

 

「これから火の死霊竜ファイアードレイクの骸がある場所へ行く。骨のみだから魔物や魔獣が群がっているわけではないだろうが、気を引き締めていけ」

「は、はい!」

 

 観衆たちは背筋を正し、やや上ずった声で返事をするのだった。

 

 それからシルヴェリオは連れて来た馬の内の一頭にフレイヤを乗せ、その後ろに座る。

 

 獅子鷲グリフォンに乗った時の気まずさが再来してしまった。さらに気まずいことに、今回はシルヴェリオの部下や討伐仲間もいる。

 彼らから寄せられる好奇心がありありと伝わり、いたたまれない。

 

 気を紛らわせようと、シルヴェリオに話しかけた。

 

「あの、どうして火の死霊竜ファイアードレイクの骨だけ残したんですか? もしかして、肉を狙う魔物や魔獣対策ですか?」

「俺たちは燃やしていない。火の死霊竜ファイアードレイクは死ぬときに体内にある炎が放出されて燃え上がる。その炎が肉を焼き切るから骨だけ残るんだ」

「そうだったんですね……」


 高温の炎を体内に宿す火の死霊竜ファイアードレイクは、その炎を攻撃手段にする。

 まるで血潮のように体内に巡る炎。体内は特殊な組織があるため耐性があるが、ひとたび口から外に出すと話が変わる。

 血液と同じく火の死霊竜ファイアードレイクの命の源となる炎だが、血液とは異なり、その炎は持ち主の身をも焼く。


 火に強い頑丈な鱗を持つが、体内の炎が一度に放出されると、それさえも焼き切ってしまう。

 

「……身を焼かれて苦しかったでしょうね」

「息絶えた後に炎が放出するのだから、焼かれる苦しみを味わうことはないはずだ」

 

 淡々と答えるその声音に同情はない。

 魔物や魔獣との遭遇が滅多にないフレイヤとは違い、シルヴェリオは数多の討伐で彼らと命を賭けた戦いを繰り広げてきた。


 同情心は隙を生む。その一瞬の隙が命取りになりかねないのだ。苦しいかどうかなど、考える余裕がない。

 

「見えました! 火の死霊竜ファイアードレイクの骨がそのままの姿で残っています!」


 先頭を走る騎士の声につられて正面を見ると、巨大な岩石と並び、白い塊が転がっている。

 その塊は岩石よりも大きい。

 

 馬の速度に合わせて近づくにつれ、その塊は見上げるように大きくなった。

 

「これが火の死霊竜ファイアードレイクの骨……」

 

 もう動くことはないとわかっているものの、その大きさに圧倒される。

 よほど高い熱の炎で焼かれたのだろう。骨の下だけ地面が黒く焦げていた。


「ふむ……微かですが、魔物と対峙した時のような嫌な魔力を感じますね。……いや、これは呪いの類に似ているのでしょうか?」


 フレイヤの隣で、テレンツィオが小さく呟いた。

 

「これから作戦を開始する。全員、持ち場につけ!」


 シルヴェリオが指示を出すと、魔導士と騎士は事前に打ち合わせた配置に立つ。

 魔導士と騎士は二人一組となり、火の死霊竜ファイアードレイクの骨やフレイヤたちを囲むようにして等間隔で並ぶ。

 魔物や魔獣の襲撃からフレイヤたちを守るためだ。

 

 フレイヤは骨の前に銀星杉を置いた。胸の前で手を組み合わせ、目を閉じて祈る。

 ゆっくりと瞼を開くと、火魔法の呪文を詠唱して銀星杉の端に火をつけた。火が木を燃やしているのを確認すると、弱い風魔法でその火を吹き消す。すると木の内部に残った熱が木を燃やし、灰になった部分から白い煙が上がった。


 煙は星屑を散らすかのように光の粒子を降らす。

 その神聖な様子を、魔導士と騎士たちは息を呑んで見守った。

 

 樹木の香りに交じり、没薬に似た甘く濃厚な香りが煙と共に広がる。

 

 銀星杉を内側から燃やす熱が消えずに残っていることを確認すると、フレイヤはテレンツィオに顔を向ける。

 

「香木が焚けました! 燃やす熱が安定していますので、お祈りを始めてください!」

「ありがとう。それでは、私の出番だね」


 テレンツィオは濃緑色の聖典を開くと、落ち着いた声音で祈りの言葉を紡ぐ。

 柔和な笑みと気安い口調だったテレンツィオだが、粛々と詠唱する姿はまるで別人のように威厳ある空気を纏っている。


 聖典が光を帯びると、テレンツィオは長く形の整った指を骨に向ける。すると光が骨をぐるりと囲った。

 

 まるでその光に導かれるように、銀星杉から立ち昇る煙がゆっくりと移動して火の死霊竜ファイアードレイクの骨を包む。

 煙と光の粒子に包まれたその骨が、パキリと音を立てた。

 地面に落ちる影が、震えるように大きく動く。

 

 ゆらり、と巨大な骨の合間から、宵闇ごとく黒い煙のようなものが立ち昇る。それはこの世界で忌み嫌われている漆黒の霧――瘴気に似ていた。

 

火の死霊竜ファイアードレイクの骨から瘴気が出てきた?!」

「煙を嫌がっているように見えるな。まるで生き物のようだ」

 

 瘴気は太古から存在する邪悪なもの。

 それは澱のように一カ所に集まり漆黒の沼地を作ることもあれば、今のように霧状で現れることもある。

 未だにその成分についてはまだ解明されていないが、この瘴気が魔物を招くと言われている。そして、生き物に憑りついて魔物に堕とすとも。

 

「もしかして、ネストレ殿下はこの火の死霊竜ファイアードレイクが瘴気に苦しめられていることをわかっていたから、眠らせてほしいと言ったのか?」


 件の火の死霊竜ファイアードレイクは、本来なら人里に下りて来ない種族だ。それが、何故か人里に現れて暴れるようになったため、シルヴェリオたちが討伐した。

 

 当初は人の血の味を覚えて食らいに来たと推測されていた。しかしもしかすると、瘴気に蝕まれ苦しみ藻掻いていただけで、町は偶然その被害に遭っただけなのかもしれない。


 漆黒の煙は徐々に集合し、大きな霧になる。まるで意思をもっているかのように揺らめくと、銀星杉とその隣に立つフレイヤに向かって宙を移動する。

 忌避する香りを出す原因を消そうとしているかのごとく。

 

「フレイさん!」


 シルヴェリオが防御魔法の詠唱を口にしたその時――。

 

 フレイヤの首元で、水色の石が眩く光った。

 ハルモニアからお守りにと渡された、あの首飾りについている石だ。


 石から迸る水色の光が薄いヴェールのように広がり、フレイヤを瘴気から守る。そこに銀星杉の煙がやって来て、瘴気を包む。


 ジュッと、焼ける音がした。瘴気を包むその煙の中で、パチパチと火花が散る音が聞こえる。

 瘴気は細い煙をつっと立ち昇らせて逃げようとしたが、黄金の炎がそれを許さない。そうして、黒い煙と白い煙は空気中で燃え上がり、消えていった。


「邪悪な気配が消えたね。火の死霊竜ファイアードレイクはあの瘴気から解放されたようです」


 テレンツィオの言葉に、その場にいた全員がホッと安堵の息を吐いた。

 

 張り詰めていた緊張の糸がふつりと切れてしまい、フレイヤはその場に座り込む。

 

「焼ききった……」

「フレイさん、怪我はないか? 体に異変は?」


 シルヴェリオが駆け寄る。深い青色の目が、忙しなくフレイヤの全身を観察する。

 

「私は大丈夫です。きっと、ハルモニアがくれたこのお守りが守ってくれたんでしょうね」


 フレイヤは首飾りを持ち上げ、シルヴェリオに見せた。


「……そうか」

「今度、お礼を言わないといけませんね」

 

 そう言い、水色の石に触れる。魔法を発動させたからなのか、ほんの少し熱を帯びている。

 

(やっぱり、この首飾りは求婚の証ではなく――お守りだったんだね!)

 

 エフティーアの言葉を引きずっていたフレイヤだが、今ようやく、その悩みに終止符を打つことができた。

 胸の中でつっかえていたものがころりと取れてくれたおかげで、晴れやかな気持ちになる。

 

 一方でシルヴェリオは、薄く形の整った唇を引き結び、青い目を曇らせている。

 視線の先にいるのは、水色の石を陽の光に透かせて覗き込むフレイヤ。

 

 憂いを帯びた表情の彼が自分を見つめていることを、彼女が知る由もなかった。

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