第42話 冷徹な魔導士の微笑み

 王妃はその日のうちに神殿に支援を要請した。フレイヤがシルヴェリオから聞いた話によると、その日の夜になる前には同行する司祭が決まったらしい。


「正直に言うと、驚いています。遠征の準備には、もっと時間がかかるかと思いました」

「今回の速さは特例と言うべきだろう。本来はいくつもの手順を踏むから、早くとも三日はかかる。司祭の選出についても、王族に恩を売るために神殿側が迅速に動いたか――家門の事情が関わっているのだろう」

「大人の事情があるのですね……」

 

 王侯貴族の力、恐るべしと震えるのだった。


 フレイヤとシルヴェリオは今、王妃が持つ馬車に乗り、コルティノーヴィス香水工房から王宮へと向かっている。

 これから火の死霊竜ファイアードレイクに祈りを捧げるために特別編成された部隊と合流し、王都東部の山岳地帯――火の死霊竜ファイアードレイクとシルヴェリオたちが戦った場所へ行く。


 フレイヤの膝の上には、エフティーアから貰った銀星杉が乗せられている。

 とうに絶滅したはずのこの銀星杉について、どう言い訳をしようかと頭を悩ませていたフレイヤは、最終的に祖父から受け継いだと説明することにしたのだった。


 今日のフレイヤの服は、コルティノーヴィス香水工房の制服に似た白地に青いラインの入った立て襟のシャツに同色のスラックス、上から濃紺の外套を羽織っている。

 足元は黒革のレースアップシューズで、初めて履いたというのに窮屈さや痛みがない。

 

 これらは昨夜のおやつを届けに来たコルティノーヴィス伯爵家の執事頭から受け取ったものだ。

 なんでも、フレイヤの遠征を聞きつけたヴェーラが早急に手配したらしい。

 制服を作る際に計測したサイズをもとに作られたそうで、服はフレイヤにピッタリだった。

 

(動きやすい服装を揃える時間がなかったから助かるけど、貰ってばかりで申し訳ないな……)


 悩んだフレイヤは、お礼にヴェーラのためにも香水を作ろうと心に決めた。

 

「着いたぞ。ここが黒の魔塔――魔導士団の本部にあたる施設だ」

 

 馬車の扉が開くと、目の前に黒い塔が見えた。

 黒の魔塔はエイレーネ王国の魔導士団の本部で、魔導士たちの研究施設や会議室などがある。

 シルヴェリオはいつもここで勤務しており、副団長として部屋が割り当てられているのだ。

 

「向こうも準備ができているようだな」


 黒の魔塔の前には荷馬車が数台停まっている。

 どの馬車にも野営用の備品や食料や医薬品が詰まれており、魔導士団の事務官らしき人物がリストと照らし合わせて確認している。

 

 今回は祈り手となる司祭一人の他に、魔導士団――シルヴェリオの普段の職場から数名の魔導士と、騎士団からも数名の騎士を派遣してもらう。

 ただ祈りをするだけとはいえ、魔物や魔獣と遭遇するかもしれない往路を安全に進めるようにと、国王の厚意により編成された部隊だ。


「初めまして、コルティノーヴィス香水工房の調香師のフレイヤ・ルアルディです。この度は同行してくださってありがとうございます。本日からよろしくお願いいたします」


 ぺこりと礼をしたフレイヤは、顔を上げるといくつもの視線を受けとめる。

 魔導士や騎士たちが、顔に穴が空きそうなほどじっと見つめてくるのだ。


 せめて何か声をかけてほしい。

 内心悲鳴を上げつつ、笑顔を貼り付けるのだった。

 

「この人が、例の副団長の……」

「美人と聞いていたが、想像以上だな」

 

 皆、何やら聞こえない声でボソボソと呟いているから尚更恐ろしい。

 

 早くも涙目になりそうなその時、フレイヤの目の前で漆黒の外套が揺れた。

 

「お前たち、挨拶も忘れたのか。この遠征が終わったら礼儀作法から叩き直してやる」


 シルヴェリオがフレイヤの前に立ち、魔導士と騎士たちからフレイヤの姿を隠してくれたのだ。


「い、いえ、あまりにも綺麗な方なので、思わず見惚れてしまいまして――ひいっ」


 魔導士の男はシルヴェリオの一瞥で、慌てて口を閉じた。


(なんだか、今のシルヴェリオ様には近寄りがたい雰囲気があるかも……)

 

 フレイヤはチラとシルヴェリオの後姿を見る。

 いつもは少しぶっきらぼうなところがあるが、今のシルヴェリオには凄みがあって距離を感じた。


 しかし魔導士団の制服である漆黒のローブはシルヴェリオの端正な顔立ちやしなやかな体躯を際立てており、思わず目で追ってしまう。

 その近寄りがたさと、目を奪う美しさを併せ持つ彼に、貴族令嬢が夢中になっているのだ。

 

 フレイヤの視線は、シルヴェリオの手の辺りで止まった。

 

「シルヴェリオ様、その籠は何ですか?」

「今日の分の菓子だ。リベラトーレがさっき届けに来ていたんだ」


 そう言い、シルヴェリオは手に持っている籠をフレイヤに渡す。

 

 籠の中から甘い香りがする。

 開けて見ると、様々な種類の焼き菓子がぎっしりと詰め込まれていた。

 

「わあっ! 美味しそう……!」

「日中に全て食べたら、夜の分がなくなるぞ」

「そ、そこまで食いしん坊ではありません!」

「ふっ」


 シルヴェリオの唇が弧を描くと、周囲からどよめく声が聞こえてきた。


「おい、今笑ったよな?」

「副団長にも笑うという概念が存在していたのか」

「あの副団長がルアルディさんを揶揄っていたぞ……頭でも打ったのか?」

「明日には空から槍が降ってくるんじゃないかしら?」


 騎士たちは動揺し、魔導士たちに至っては未知の生き物を見るような目でシルヴェリオを見ている。


 そこに、一人の男性がフレイヤとシルヴェリオの前に現れた。

 

「これはこれは、美しい方にご同行いただけるとは、今回の遠征は素敵なものになりそうですね」


 肩まである真っ直ぐな銀色の髪を耳にかけている、微笑みが美しい中性的な容姿のメガネをかけた男性。

 

 外見の年齢は三十代くらいだが、妙に貫録を漂わせている。

 彼が着ている純白の長衣には金色の刺繍が施されている。


 フレイヤはその服装から、彼が今回の祈り手を担ってくれる司祭だろうと察した。

 

「司祭様、私はコルティノーヴィス香水工房の調香師のフレイヤ・ルアルディです。よろしくお願いいたします」

「私はテレンツィオ・イェレアスだよ。レンと呼んでね」

「ええと、イェレアスって……イェレアス侯爵家の……?」


 イェレアス侯爵家といえば、エイレーネ王国では王家に並ぶ影響力がある家門だ。

 一族からは騎士団長や神殿長を輩出しており、その他にも魔法の研究や医療の発展に貢献してきた名家。

 平民の自分がそう気安く言葉を交わしていい相手ではない。

 

「そうだよ。イェレアス侯爵家の三男なんだ。三男ってまあ、さほど影響力はないから気にしないでね?」

「そう言われましても……」


 戸惑うフレイヤに、テレンツィオはずいと近づく。

 司祭なのに、随分と距離が近い。


 二人の間に、シルヴェリオがスッと手を差し入れた。

 

「イェレアス卿、うちの従業員を困らせないでくれ」

「なんだよぉ。君の方こそ、親交を深める邪魔をしないでくれるかい?」

「修道士が女性に言い寄っていては、神殿の信頼が落ちますよ」

「言い寄るだなんて、人聞きの悪いことを言わないでください。噂の祝福の調香師さんと交流を深めたいんですよ」

「……その噂を知っていたのですね」

「神殿にはあらゆる情報が集まってきますから」


 テレンツィオはそう言うと、フレイヤに向かって片目を瞑る。

 

 あまりにも軽い。

 司祭らしからぬ所作に、フレイヤは乾いた笑みを浮かべて流すのだった。


「それにしても――フレイさんってやっぱり似ているんですよねぇ」

「似ている? 誰にですか?」

「私の祖父の弟――まあ、今は行方知らずなのですが。フレイさんの榛色の髪と顔立ちが、なんとな~く似ているんですよね」


 テレンツィオのメガネがキラリと光る。

 そのレンズの先にある眼差しが隠された。


「ずっと昔のことですが、私と同じく聖職者だったそうです。しかし彼はある日突然、手紙だけ残して修道院から姿を消しました。彼にとって、貴族や神殿の世界は窮屈だったのだと、祖父が言っていました」

「そう……なんですね」


 相槌をうちつつ、フレイヤは記憶の海を漂う。

 

 祖父は婿入りだった。

 エイレーネ王国中を歩き、困っている人々を助けていた祖父は、ロードンで祖母と出会って恋に落ち、以降はこの街に腰を下ろした。


 彼の生まれた場所や実家を知らない。


(偶然……よね?)

 

 フレイヤは頭の中に浮かぶ疑念を振り払うと、菓子の入った籠と銀星杉を抱きしめる。


(今は、祈りのことだけを考えよう)


 そうして、シルヴェリオと一緒に荷馬車に乗り込んだ。

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