第37話 ケンタウロスの秘密

「ハルモニアはそんな人じゃありません!」

 

 否定するフレイヤの声が、早朝の森にこだました。

 彼女の声に、獅子鷲グリフォンが驚いて翼をバタつかせる。


 フレイヤにとってハルモニアは幼馴染で、大切な親友でもある。楽しい思い出も悲しい思い出も、彼と共有してきた。

 だから初めて会ったばかりのエフティーアが彼を悪く言うのが許せなかった。

 

「私は幼いころからハルモニアと一緒にいました。ハルモニアはいつも優しくて思いやりがあって、私だけじゃなくて群れのみんなのことも気にかけています。だからこの首飾りはハルモニアが言う通り、お守りだと信じています」

 

 とはいえ、エフティーアが嘘をついているようには見えないから困っている。

 フレイヤはカルディナーレ香水工房で工房長のアベラルドたちに蔑まれてきたせいで悪意に敏感になっている。

 しかしエフティーアはずけずけとものを言うが、その表情や言葉から悪意を感じなかったのだ。

 

「やれやれ、そういうことにしておこう。ルアルディ殿を歓迎するために会いに来たのであって、揶揄いに来たのではないからね」

 

 エフティーアは小さく肩を竦めた。

 彼女はフレイヤがハルモニアから貰った首飾りに込められている魔力を感じ取り、フレイヤを出迎えたのだと説明してくれた。


「ルアルディ殿は西の森の主が一生に一度しか作らない宝を渡すくらい大切な存在だと思っている。だからルアルディ殿がこの森に来てくれたら、いつでも出迎えよう。困ったことがあれば私を訪ねなさい」

「あ、ありがとう……ございます」


 歓迎されるのは嬉しいが、その理由がこの首飾りなのだとわかると少し複雑な気持ちになる。

 フレイヤは自分でも無意識に、首飾りに通された水色の透明な石をぎゅっと握りしめた。

 

「ルアルディ殿は調香師だと言っていたね。――こちらに来なさい。いいものを見せてあげよう」


 フレイヤとシルヴェリオはお互いに目を見合わせると、エフティーアの後をついていった。

 森の中はしんとしており、足音ばかりが耳に届く。

 時おり早起きな鳥の鳴き声が聞こえるくらいだが、それもすぐに静寂に飲み込まれのだ。

 動物も魔獣も、まだ眠っているらしい。

 

(空はもう明るくなってきているのに、森の中はまだ真っ暗なんだね)

 

 宵闇が残る濃緑の木々の影の合間から、仄かに明るい白銀の空が顔を覗かせている。

 まるでこの森の中と外では異なる時間が流れているかのようだ。


「この森には珍しい植物が残っているんだ。ここにしか咲かない花や、人間たちの間では絶滅したとされる品種もある」

「……俺たちにその話をしていいのか?」

「お前さんたちなら悪いようにはしないと思ったからね。私の勘はよく当たるんだ――さあ、着いたぞ。あの先にある木だ」


 エフティーアの声が弾む。

 彼女の視線の先を見たフレイヤは、あっと小さく声を漏らした。

 

 木々が生い茂り、一段と夜の闇のように暗い空間が広がっている。

 その空間の中央に聳えるのは、内側から光り輝いているように見える、白く美しい巨木。

 

「星の光を集めたような、柔らかに光る白い木……。これは銀星杉ですね?」

「そうだとも。よくわかったな」

「王立図書館の書物で知りました。まさか本物を見られるとは思いませんでした」

 

 フレイヤは木の幹に顔を近づけ、香りを嗅いだ。

 仄かに甘い香りがする。


 獅子鷲グリフォンも気になるのか、フレイヤに倣って木の幹に顔を近づけた。


「先代の長から聞いた話だが、昔の人間はよくこの木を燃やしていたそうだ」

「女神様への祈りの儀式に使っていたんですね」

「祈りに?」

 

 シルヴェリオが訝し気に眉根を寄せる。

 

「木を燃やす必要があるのか?」

「はい、修道士だった祖父から教わったのですが、それが香りの歴史の始まったんです」


 遥か昔、人々が女神に祈りを捧げる際に香木を燻した。

 煙に含まれる香りが空気の匂いが変わる現象を、人々は女神様から与えられた神聖な力だと信じていたのだ。

 

 やがて香木を含めた香りのある植物は、修道士や修道女たちの研究によって薬へと進化した。

 彼らは修道院の敷地内に薬草園を作って香木や香草を育て、あらゆる薬を発明したのだ。

 咳や喉の痛みを緩和してくれる薬草茶、頭痛を緩和するオイル、あかぎれを治すクリームなど、その発明品は多岐にわたる。

 

 その中に、ハーブをアルコールに漬けて作る香り水があった。

 肌のきめを整える効果があり、なおかつ芳しい香りのその商品は商人の目に留まった。貴族が好みそうな商品に商機を見出したのだ。

 そうしていくつもの改良を経て、現在の香水が生まれたのだ。


「葉は夜空のような深い青色なんですね。――とても、綺麗です」

「気に入ったかい?」

「はい。この感激を心に焼きつけておきます」

「では、お近づきのしるしに贈らせてくれ」


 言うが早いか、エフティーアは風の魔法で空に向かって見えない刃を投げ、枝を切り落とした。

 降ってきた枝を魔法で浮かせ、フレイヤに差し出す。


「いいのですか……?」

「ああ、いつかフレイヤ殿の役に立つだろう」

「で、でも……」

「遠慮は不要だ。後で後悔しないためにも受け取ってくれ。もしも受け取らないなら、そこにある蔦で手に括りつけるぞ」

「そうするともはや贈り物ではないのでは?!」

 

 半ば押し付けられるように木の枝を贈られた。調香師として銀星杉の香りに惹かれるものの、もしもこの木を知る者に詰め寄られたらどうしようかと頭を悩ませる。


(工房の調香室に保管しておこう……)


 そこが今のフレイヤにとって世界で一番安全な場所なのだ。

 

「ここで見たことは他言無用にしてくれ。この木が現存しているとわかるや否や、手に入れようとして森を踏み荒らす連中が現れるからな」

「わかりました。誰にも言いません!」

「ああ、この森を出ると同時に忘れておこう。……欲に目がくらんだ人間は何をしでかすかわからないからな」

 

 森を出てエフティーアと別れたフレイヤとシルヴェリオは、再び獅子鷲グリフォンに乗ってコルティノーヴィス香水工房へと向かう。


 飛び立った獅子鷲グリフォンは風を斬り、大空へと上昇する。

 フレイヤが落ちないよう彼女をしっかりと抱き寄せたシルヴェリオは、その首元にかかる石に目が留まった。

 

 朝日の光を受けて輝くその石が、妙に気になってしまったのだ。

 

「……その首飾り、つけたままでいるのか?」

「えっ……? そうですね。エフティーアさんはああ言いましたけど……ハルモニアはお守りだと言っていたので、もしかすると同じ半人半馬族ケンタウロスでも住む地域によって文化が違うかもしれないので、私はハルモニアの言葉を信じてこれからもつけていようと思います」

「……そうか」


 シルヴェリオの返答に、妙な間があった。

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