第38話 今夜は麦酒が美味しい
その日の夜、シルヴェリオは<気ままな
夕食にはやや遅めの時間ということもあり、店内に他の客はいなかった。
「おお、シル。いらっしゃ――浮かない顔しているな。何かあったのか?」
「別に……」
「そうかい。で、今日は何が食いたい?」
そう言いながら、よく冷えた
「パルミロに任せる」
「わかった。今日はいい肉が手に入ったからステーキにしよう」
パルミロは魔道具の冷蔵庫から大きな肉の塊を取り出し、まな板の上に置く。ニンニクのペーストを塗り込み、塩胡椒をふりかけた。
鉄の黒いフライパンを火にかけて油をひくと、下ごしらえを終えた肉をその上に置く。じゅっと肉が焼ける音がすると、食欲をそそる香りが立つ。
「工房の方はどうだ?」
「だいぶ整ってきた。今はもうフレイさんが調香できるようになっている」
「そうか。ようやくフレイちゃんが調香師の仕事を再開したか」
「昨日は調香した香りを嗅がせてもらったよ。……ネストレ殿下に贈る、例の香水だ。今朝はその香水を調整するために、二人で森へ行った」
「森に? 材料でも採りに行ったのか?」
「香りを作るための資料集めといったところだな。よりネストレ殿下らしい香りを作ってもらうために、ネストレ殿下が好きだった場所に行ってもらったんだ。あの森は野生動物や魔獣に魔物もいて危険だから、俺もついて行った」
「なるほど、ずいぶん工房長らしいことをし始めたな」
「……香水作りに関して俺ができることは、それくらいだからな。あとはフレイさんやレンゾさんに任せている」
専門的な仕事はその道の専門家に任せるべきだというのがシルヴェリオの持論だ。
魔導士が名剣を握ったところで剣の真価を発揮できるわけではない。逆に騎士が高等魔法の術式を扱ったところで、その威力の半分も引き出せない。
数多の戦場でその現実を突きつけられたシルヴェリオは、調香師の仕事も同じものだと思っている。
だからシルヴェリオは、自分の言動がフレイヤの仕事に影響しないよう、香水工房の仕事は極力補佐に徹底しようと決めている。
フレイヤとレンゾが中心となって動かし、貴族との交渉のような彼女たちでは手に負えない面は自分が担うつもりなのだ。
「森はどうだった? フレイちゃんは何か掴めていたか?」
「ああ、そのようだ」
「よかったじゃないか。フレイちゃんが作った香水を献上するのが楽しみだな」
「……そうだな」
シルヴェリオは生返事だけして、手元で木樽のジョッキを持て余す。ちゃぷんと揺れる
「森で何かあったのか?」
「……
「ほぉ、あの首飾りは魔道具だったのか」
「いや……あれは
「な、なにぃっ?!」
フライパンを手に持っていたパルミロだが、驚きのあまりそのままコンロに戻してしまった。ぶわりと火柱が上がり、パルミロの顔に濃い陰影をつける。
「どこの馬の骨ともわからない奴にフレイちゃんはやらんぞ! 馬だけにな! ガッハッハ!」
「……」
「うんとかすんとかくらい言ってくれよ。恥ずかしくなるじゃないか」
「恥ずかしくなるくらいなら、言わなければいいだろ」
「つれねぇなぁ」
パルミロは小さく溜息をつくと、ステーキを皿に移して盛り付けを始めた。茹でたニンジンやブロッコリー、それにふかしたジャガイモを加えると、あらかじめ作っておいたソースを上からかける。
「ほら、できたぞ。肉でも食べて元気だしな」
「別に落ち込んでなんていない」
「わかったよ。それで、もしかしてフレイちゃんはその求婚を受け入れいたのか?」
「いや……フレイさんは知らなかったんだよ。相手からお守りだと言われて、それを信じて受け取ったんだ。だから
「ただ?」
「……王立図書館で
「うわぁ……そうだったのか。フレイちゃんはとんでもない奴に引っかかってしまったなぁ」
脳裏を過るのは、ハルモニアと呼ばれるあの若い
彼はフレイヤを抱き寄せ、シルヴェリオから守ろうとしていた。
あんな姿を見せられてもなお、あの魔獣が友情の証としてあの首飾りを贈ったとは思えなかった。だからフレイヤが頑なにお守りだと信じようとしている様子を見ていると、胸の奥に否定の感情がつっかえてしまっていたのだ。
「フレイさんにこの事を伝えるべきなのだろうか」
「ほう? 迷うなんてらしくないな。いつものシルなら包み隠さず言うのに」
たとえ相手が傷つくとわかっていても躊躇わず真実を伝える。感情に左右されず、冷静な状況判断で動き事態を収束させる。
それが、シルヴェリオ・コルティノーヴィス――次期魔導士団長に内定している男だ。
感情を全く介さない判断をする彼は、自身に対してもそうだった。
そんな後輩が自分で自分の心を潰してしまうのではないかと思い、心配でならなかったのだ。
「……フレイさんを困惑させるのは本望ではないからな」
「そうか……そうだな。フレイちゃんには笑顔でいてもらいたいもんな?」
しかしシルヴェリオは確実に変わっている。それが嬉しくてならない。
パルミロはニヤリと笑うと、自分の木樽のジョッキに
ぐいとひと口飲んだ
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