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 ナジュマの結婚式は実に豪勢なものとなった。ただでさえデレッセント公爵家が主導する結婚式であるし、先般急遽代替わりとなった国王代理であるところの前デレッセント公爵夫妻が揃い、異国の女性達がそこかしこで煌びやかにさざめいている。

 過日、デレッセント公爵とラディンマラ夫人は国王の席を与えられたが、それを代理という形でのみ受け取った。

「将軍ヒネビニルの元に皇女ナジュマが嫁ぐのだから、その血をもって新国王とするのが一番によかろう」

 これに貴族院が了承し、デレッセント公爵はその爵位を改めてヨナビネルに継承、ヒネビニルは別途一代限りの大公位を授けられドライスラー大公となった。とはいえ実態はさほど変わりもせず、ヒネビニルは将軍職を奉じヨナビネルは政治的な内務を回しと、兄弟で仲よくえっちらおっちら公爵家の運営を続けている。

 テルディラも同様で鼻息荒くナジュマの結婚式の準備を取り仕切っていたが、グランドリー王国の在り方を大いに変えた王権交代から僅かばかり、慶事は大規模に行おうという話になってからが大変な騒ぎとなった。

「駄目だわ! もう皆様を巻き込みましょう!」

 突然地団駄を踏んだテルディラがそう言い放って離宮に突撃してより、夫人らを巻き込んでの準備はお祭りの様相と化している。ナジュマはって? ナジュマは大らかにそれを笑顔で眺めて衣装の試着などをしているとも。ええ。うろうろしていると女達に探されていて「ここにいた! じっとしていてくださいまし!」と怒られるから……おお怖い。

 そんなこんなでの結婚式改め国を挙げての祭りと化した当日の舞台裏、ナジュマは美しい婚礼衣装に身を包んで新郎と歩いていた。

「おや?」

 向かうはグランドリー王城のテラスと思っていたが、さっと進む方向が変わっている。見上げる先のヒネビニルも何も言わないし、まあいいかと思いながら付いていけば貴賓室に通された。なんと控えていたのはメーヤとオルローだ。

「メーヤ!」

「姫様、お久しゅうございます」

 いつでも慇懃なメーヤはしかし、前よりもずっと血色がよい。ルゥルゥと共に笑顔を浮かべ、ナジュマはヒネビニルの手を離れてメーヤにしっかりと抱き付いた。

「姫様、お姿が乱れます」

「いいんだよメーヤ! メーヤがいてくれることが一番嬉しいんだから!」

 もう怪我の方は無事かい? 問えば随分よくなったけれど、それでも大事をとってゆっくりグランドリーまで旅行してきたのだという。

「私も久々の休暇と致しまして、メーヤさんと楽しくこちらまでお邪魔させていただきましたとも」

 ふくふくと笑うオルローにウインクを返し、ナジュマはメーヤの手を取った。

 働き者のこの手。この手にナジュマは常に助けられてきた。事実、メーヤがいなければナジュマが後宮で無事に生きていられたのかすらわからない。

「メーヤに結婚する姿を見せられるのはとても嬉しいな」

「私も大変嬉しゅうございます。姫様が無事、このようなよき日を迎えられて……」

 伏せるメーヤの頭をナジュマはゆっくりと抱いた。そしてこっそりと呟く。

「母様の代わりに、母様以上に幸せになるよメーヤ。わたしはメーヤのお蔭で強く生きてこられたんだから、これからだって強く生きられるとも」

 わたしらしく、我儘にね。含み笑いをするとメーヤの肩もゆるゆると揺れていた。

「だからメーヤも幸せになるんだよ。ナーヤ母様はメーヤの笑顔が大好きだった。ずっと一緒にいたいと望んで連れていくほど、本当に大好きだったんだ」

「……!」

 メーヤの目が大きく見開かれ、そして涙が盛り上がる。その涙を指で拭いながら額を合わせるナジュマはひたすらに穏やかだ。

「メーヤ、わたしは全てを知っている。星が空から全てを眺めるように知っている。わたしはナジュマ、ナーヤという娘が不幸にして全てを失ってもなおメーヤを思っていたことを知っているよ」

 だからメーヤ、遅くはない。貴女もきっと幸せになるんだよ。わたしの為に、ナーヤ母様の為に、必ず幸せになるんだよ。

 言葉にならず泣き崩れるメーヤの額に口付けて、ナジュマはメーヤをオルローに託した。大丈夫、メーヤは立ち上がり、そして幸せに向かって歩むだろう。不幸などもはや微塵も残ってはいないのだから。

 ナジュマがヒネビニルと共に部屋を出ると、遅れてルゥルゥがメーヤとオルローを連れて出てくる。それを視界の片隅に入れつつ、ナジュマはヒネビニルに目線を向けた。

「有難うネビィ! 思い残しのない結婚式だ!」

「それならよかった」

 目前、テラスの前に控えているのは新たに義理の家族となる一家。そして母国からやってきてくれた母達。更に遠く、観衆の声が聞こえている。

 ここには全てがある。ナジュマが望んでいた全て、そしてそれ以上の全て。

 ナジュマの人生には今不足がない。前世も不幸ではなかったと思うが、そのことを考えぬほどに幸せだ。これからも絶対に、これ以上に。

「ネビィ!」

 美しい花嫁が叫び、ぎゅっと花婿の太い腕に縋り付いた。

「幸せになろうね!」

「勿論だナジュマ。よろしく頼む」

「こちらこそだよ!」

 ここに、ナジュマの人生の新しい一頁が始まる。そして王国の新しい一頁もまた、始まるのだ。




 ***




 グランドリー王国は歴史上数回王権を交代しているが、その中で一番に有名なのがデレッセント家を血統とするデレス=グランドリーの御代である。

 太陽王と称される初代王は齢十にして即位した〈王になる為に生まれた王〉であったが、実際有名なのはその生母ナジュマだ。

 ドライスラー大公妃ナジュマは大皇国皇女で、その実遠い砂漠からやってきた姫であり、しかし生涯王妃にも王太后にもならず嫁ぎ先のデレッセント公爵家で過ごしたという。

 とはいえ蟄居していたわけでもなく、その時代の社交界には数多くの目撃例がある。どころか、ナジュマに会う為多くの外交官までもがグランドリー王国を訪れていたというのだ。その中にはなんと大皇国皇帝トロニエスとハリヤナラも含まれている。

 覇王サンスクワニの嫡子としては目立つところもなく、しかし領土を減らさなかったことを後世評価される陸王トロニエスと実質共同統治していた妹の海王ハリヤナラ。この二人は多くの難題をナジュマの手を借りて解決したと皇国記に記されている。

 そう、ナジュマは稀代の占い師、或いは預言者であったらしい。ただしその異能は幾ら財貨を積んで望んでも発揮されるものではなかったし、望まぬのに突然呼び出されて発揮されることもあったというから、機微の詳細について余人には不明だ。

 なお、諸外国の資料には『特に未婚の子女を連れ行くべからず。あれは魔女である』との記載さえある。何が魔女か、異能がゆえかと後世学者を悩ませていたが、後年美術的な観点からその謎が解明された。

 美男子の絵画、これは太陽王の時代にグランドリー王国を中心とした各国に流布した美人画の一種であるが、これまで太陽王の若かりし頃を描いた人物画であると目されていた。ところがこの絵画を研究した美術史家により、この美男子がナジュマであると特定されたのである。

 何故ナジュマが男装している絵が流布しているのかはさておくとして、これほどの美男、いや美女であれば多くの子女の性壁を歪ませるには足りるだろう……。当時の周辺国首脳陣が苦悩した様子が目に浮かぶようである。

 ちなみに更なる研究の過程でナジュマが個人で後宮を抱えていたことも判明している。仔細はいまだ不明であるが、多くの研究者を右往左往させているのは確かだ。ゆえにというか、悪魔の異名を持っていたという夫のドライスラー大公についてはすっかり存在が霞んでいる。肖像画で厳つい顔をしていることはわかっていても、流石のナジュマを隣にしては怖さも薄れるものらしい。

 華やかな姿形で話題に事欠かないナジュマという女性はいつになっても耳目を惹き付け、多くの歌劇の元にもなった。

 歴史書は、民草は、そして舞台歌手は大いに語る。


 星は見ている、我々を余すところなく。

 いざや平らかに、いざや晴れ晴れしく。

 高らかに笑え、星は見る。

 その名はナジュマ、綺羅星のナジュマ。

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綺羅星のナジュマ 安芸ひさ乃 @hisano_aki

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