35
「貴女が自分で気付くことが出来たのならば一番だったんだが」
物語の神はずっと貴女を見ていたんだ。わたしという別の人間を用意することを決めるくらい、貴女のことを見ていたんだから。
呆然とするメラービルはすっかり脱力して床にくずおれている。助ける者は──もはや誰もいないのだ。
「……あんたは全部知ってて、どうしてヒロインになろうとしないの……? なんで物語に入り込もうとしなかったの……?」
「興味ないからかなあ」
「興味が、ない……?」
考えられないような顔をしてメラービルはナジュマを見上げている。そういう顔をしていると随分童顔で、やはり全ての足りない子供に見えた。──メラービルは子供のまま大人になってしまった人間だったのだ。
「狙い定められたとおりの道を歩くのって楽しくないじゃない? わたしは他人のことはわかるけれど自分のことはわからないから、ちょうどいいの。自分の好きに歩きたいの。ずっと好きには歩けなかったから」
後宮の中で、皆で幸せに生きていたつもりだ。けれど結局柵の中の話であったから、自由になりたかった。
その自由な先で、しかし物語の内容にだけ添う人生だって? 冗談は勘弁してほしい。
「この物語を知ったいつかのどこかで、貴女には全てが輝いて見えたんだろうね。だから物語にしがみつくんだ。でも幸せで終わるのは虚構だからだよ。現実はもっと儘ならなくて、理不尽だ。権力を持てば持つほどね。しかしそれが責任というものだ」
思えばナジュマは、この物語自体にはさほど頓着していなかった気がする。家族団欒の席で見ていた設定資料のそれを面白おかしく眺めていた記憶があるだけで……、そもそもゲームだってナジュマがしていたのではない。
あの時もそう、家族皆で揃って楽しかったから、だから記憶しているだけなのだ。いつだってナジュマは家族への愛が軸になっている。
「わたしは家族への愛があるから責任を持とうと思える。けれど他に愛着があるわけでなし、関わって責任を負う気にはなれない。貴女はそこを考えていなかったようだけれど、それでも王家に嫁いだのなら余計に責任を負わねばならなかった。国に仕えて民に仕えて、そうして未来の為に国を生き永らえさせるのが王族。わからない者は取って代わられるだけ」
ヨノワリの最後の王、ナジュマの父のように国を奪われて終わるのが嫌だと言うのなら行動しなければならなかった。だからこの国の王族は入れ替わることになったのだ。
「教えて……教えてくれれば、わた、私だって……」
「無理だろ? それに、何故誰かが自分の人生について教えてくれることを待つんだい? 人間は誰しも何も知らずに、教えられずに自分の人生を歩むものだ。そして人間であるからこそ、自分の立場をきちんと理解して生きなければならない」
メラービルは間違えた愛を学習した結果、当然のように間違えた。自分を特別な人間だと誤認していた。ただちょっと珍しいだけの人間でしかなかったというのに。
メラービルの出来る範囲で粛々と過ごせば事足りたし、ここまで登り詰めるだけの頭があったのだから親の思うとおりにでも枷を解き放ってでも、知恵を回して幸せになることが出来ただろう。幸せは自分の思いひとつで変わるものだからだ。しかし、やはりメラービルは間違えた。
勘違いし好き勝手することが決まったメラービルの穴を埋める為に選ばれたのがナジュマだ。ナジュマとメラービルの違いはただひとつ。周囲の人間を誠実に愛し、愛し返すか否かである。
すっかり静かになってしまったメラービルのぼさぼさの頭を眺めながらナジュマは口を開く。
「メラービル、貴女はわきまえずに好き勝手に生きた代償を払うことになる。王権は別の一族に移り、王家は変わる。貴女を助ける義理の家族はもういない。貴女の子供は」
「赤ちゃん! 私の赤ちゃんは!」
消火した筈の炎がぶり返したようにメラービルは鉄格子を握り込んでいた。ナジュマはその様に少しだけ安堵の笑みを浮かべる。メラービルは腹の子が邪魔そうであったと、そう耳にしていたからだ。
「そ、それは……お腹が、重くて……つらくて……、殿下も私のこと……お父様達にも会えなくて……」
うぇ、と泣き出すメラービルはナジュマより歳上の筈なのに、やはり随分と子供のようだ。事実幼児よろしく無責任に生きてきたし、周囲にも同じような人間が揃ってメラービルを好き勝手に扱っていた。幾分か同情に値するが、やはりそれでもメラービルは子供ではないのだから責任を取らねばならない。
「子供は貴女に渡せない。とやかく扱われても困る関係上、他の国の家族と縁組みすることになる。貴女のこれからはわたしの範疇外だが、せめて子供が健全に生きられるよう祈るのだね」
生んだ女児は他国で養子縁組され、終生この国への入国を許されない。入国が判明した場合労働施設へ無期で収容されることも条件に追加されたほどだ。エルウッドの猫目が国外では珍しいとはいえ希少なものではなかったからこその温情措置である。
そしてメラービルは王太子妃の身分でありながら不貞行為を働いた罪で収監されているわけだが、その刑については現在貴族院で意見が分かれているところだ。とはいえ、十中八九労働施設での無期懲役に決まるだろう。後述の理由で追い詰められるであろうメラービルを思えば浮気は確定であっただろうことと、今日日以降メラービルが憑き物が落ちたかのように大人しくなるからである。ティルベルの間諜と繋がったわけでなし、メラービルは粛々と日々を過ごすこととなるのだった。
「貴女の物語への介入はこれで終わったよ。さようならメラービル」
静かに泣くメラービルを置き、ナジュマは牢を離れた。哀れな結末ではあるが、実際メラービルを救おうという者は夫であれ愛人であれ、過去の恋人だって現れることはないだろう。メラービルは物語の主人公になることに固執したあまり、健全な人間関係をまるで無視して生きてきた。その結果が今実を結んだのである。
なお、夫であったギーベイは現在引きこもりと化していた。メラービルの出産後、貴族院から王家存続の是非を問われ、調査が強行されたのである。貴族院が実に中立で、ゆえにこそ強硬な調査員を派遣した結果、ギーベイは性交は可能だが生殖能力がないと診断された。だからこそ結局メラービルは浮気をすることになったであろうという判断に至ったのだ。
更に国王夫妻は既に次男の断種を強行していたものだから、次代の直系王族が見込めなくなった。何せ国王夫妻、年齢的にも新たな子は望めない。
長男の不能、次男の断種、何より己らの専横。貴族院満場一致で王権はデレッセント公爵家に移ることとなり、現王家はグランドリーの名を没収の上、国領の一部を充てられて公爵家に変更されることになった。とはいえ王家改めカシニック公爵家に領地経営の能力などない。二代と待たず爵位返上となるだろうというのが貴族院の見立てである。
「はあ、他人の為になかなか働いたな」
「姫様はいつでもお人好しすぎます! 確かに皇帝陛下にはご恩もございましたけれど!」
ルゥルゥが暗に言うところのトロニエスとハリヤナラは既に大皇国へ向かって帰国の途についている。トロニエスは今まで無自覚なまま粗雑に扱っていた婚約者と、改めて新たな関係を構築し直すことになる。ほとんどトロニエスを諦めていた婚約者は目を白黒させることだろう。あとのことはわかっているが、是非やり返してトロニエスを翻弄してほしいものだ。ハリヤナラも無事婚約者との仲を継続させられるし、なんの旨味もない筈の国に行った割にはよい収穫を得たと思ってくれるのならよかろう。今後の付き合いにも暗雲が立ち込めない程度がいいだろうし。
「いやあルゥルゥ、このくらいしないとさ、周りがざわざわしていたら昼寝も出来ないじゃないか」
「確かにそうですけれども! 姫様の眠りを邪魔するなんて、万死に値しますものね!」
「ははは、物騒だなあ」
軽やかに話しながら歩を進めると俄に日差しがナジュマの目を刺した。明るい空の下、待ち構えていたヒネビニルが「終わりか?」と問うてくる。
全てが終わり──、けれど終わらない。ナジュマの結婚はまさにこれからだし、人生はそれ以降もまだまだ続くのだ。
「──よし、わたしも頑張らなきゃ!」
「?」
ナジュマはひとつ頷くと胸を張った。
「わたし達の子供が次の王になるのでしょう? 元気な子供を産めるといいな! そしていい子に育てましょうね!」
「……ああ、共に頑張ろう」
ヒネビニルの差し出してきた手を握り締めると、色付いた頬がぎこちなく持ち上がった。笑顔かそれ? ナジュマは面白くて別の意味で笑顔になる。
全ての喜び、そして労苦を共にする。それが夫婦だ。定められた物語などなんのその。
わたし達は、夫婦になる。
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