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さて、仕舞いをせねば。ナジュマは最後の最後だと己の尻を物理的に叩く。
「お行儀が悪いですよ!」
「ごめんルゥルゥ! 気合!」
ぷんすかするルゥルゥに笑うと真反対から重々しい溜息が聞こえた。
「本当に行くのか」
「本当に行くよー。これで最後だからね」
決着をつけてくるよ。そう言ってナジュマは厳しい顔をして立ったままのヒネビニルに手を振り、仰々しい扉の中へと入っていった。
そこは王城内尖塔の地下に誂えられた貴人用牢屋である。王城内とはいえ徒歩では移動出来ぬほど城から離された古い尖塔はしかし、貴人用であるからこそきちんと空気が循環し埃や黴が臭うようなことはない。
半ば強引に許可を得てやってきた薄暗いそこ、牢の奥にいるのは不祥事の原因の片割れ、メラービルだ。メラービルはナジュマとルゥルゥ二人分の足音に肩をいからせて顔を上げていた。
「誰……!」
まるで産後の猫の威嚇だが、実際にメラービルは産後なのだから冗談にもならない。曲がりなりにも出産直後の女を入れるということでこの牢屋には医師も通っているが、メラービルの体調が悪い話はされなかったし、きちんと食事も摂っているそうだ。
「産後の身で牢屋暮らしはつらかろうが、もうしばらくのことだから頑張って過ごすといいよ」
報告どおり、会話も適うほど甚だ元気なメラービルは鉄格子に飛びかかってきた。
「あんた何様よ! 私が誰だかわかってんの!?」
なんとお里の知れること! ナジュマは猫も被らぬメラービルを見下ろす。いや、女相手と思って猫を被っていないのかもしれない。今のナジュマは異国の装束とはいえ商人ジェマイマの時とは違い、間違いなく女性に見える外見でやってきているのだ。
「貴女には初めましてだろう。何様どころかナジュマ様だ。貴女とは違って、周りの人間を愛して愛されて、大切にする女さ」
「私だって愛される女よ!」
メラービルはどうやらナジュマを一発で自分の敵として同じ土俵に上げているようだが、大分図々しいだろう。ナジュマはメラービルと同じ場所になど立ってはいない。まるで別の次元にいるとさえ言っていい。
ナジュマは脇にルゥルゥを控えさせたまま、大股で鉄格子に近付いた。
「メラービル、お知らせだ。貴女は捨てられたよ」
上からそう言えばメラービルは明らかに動揺する。「違うわ! 違う!」と鉄格子を掴んで言い始めたことといえば次のとおり。
「わ、私、殿下のことを裏切ってなんていないわ! 殿下もハワードもちゃんと好きだったし! きちんと大事にしてたわ!」
(そうじゃないんだよなあ)
そうではないが、そうと思い至らぬ哀れさよ。
「王家には捨てられたけどねえ、そうじゃなくて」
レベッロ男爵夫妻に。パッと零した単語にメラービルは固まった。
「え」
「レベッロ男爵夫妻、劣勢を悟ったみたいでね。財を抱えて逃げようとしたのさ。貴女の起こしたこの事件の損害賠償もせずに夜逃げだ。とはいえ、とっくのとうに軍部に掌握されていた屋敷から財産は持ち出せず、無一文で着の身着のまま。国内は元より大皇国の手の届く場所では商売も出来ないだろうから、まあその内瀕して死ぬだろうかね」
実際死ぬだろう。ナジュマはその未来をとうに見据えてパーティーで突撃しようとしていたレベッロ男爵達を放置していたし、メラービルの出産の騒動を耳に入れて慌てて帰るのも無視してやったし、挙句の出奔も見逃してやった。勿論軍部も全て承知で、「見逃せ」と全軍に通達されている。レベッロ男爵夫妻はこれから逃げに逃げ、更に無視され、苦しみの中死ぬことになる。……何が悪かったのか、きっと最期まで理解しないまま。
「そ、そんな……! お父様とお母様が私を捨てるなんてない! 絶対ない! ないわよ!」
「捨てるよ。彼らは前も子供を捨てて逃げたことがあるから」
知らぬことにメラービルは目を白黒させているが、ナジュマはそこのところをわざわざ説明してやるつもりはない。今重要なのは娘を溺愛していた両親が、軽々しく娘を捨てたということ。そしてその娘のこれからだ。
「どうしてこんなことになったのかと思わないかい? 自分は主人公に成り代われた筈なのに、どうして断罪されるのだと」
「な、に……あんた」
思わぬ言葉にメラービルは目を見開いて固まっていた。主人公、成り代わり。誰もが知らない筈のそれを知るこの女は誰だと、メラービルの目が訴えている。
「主人公の代わりに王太子妃になって愛人を囲うのは楽しかったかい? メラービル、貴女は結局主人公の器ではなかったんだ」
「あんた、なんなの!」
この世界を、この人生を、全ての流れを知っていたのはメラービルだけの筈だった。主人公のいない穴抜けの物語の、その穴に腰を落ち着けただけ。
それなのにどうして知っているのだと、メラービルは疑惑をナジュマに向けている。
「メラービル、貴女だけが全てを知っていたとでも? いいや貴女は自分の都合のいいところしか見ていなかったし覚えていなかったね。逆にわたしは全てを知っているし、見えているんだ」
「……! あんたがこの物語を変えたの……?」
目を見開いたままインクを落とすように呟いたメラービルに、しかしナジュマは首を横に振った。
「物語を変えたのはわたしじゃあない。貴女の両親だよメラービル。せめて貴女が周囲の人間に心を尽くすような、主人公たるに相応しい姿であれば物語はまた違ったのかもしれないね」
「王太子妃になったら隠しルート出るのよ!? なれるならなるでしょ!」
(かかったな)
ナジュマはにっこりと笑みを浮かべた。
「アロンゾだっけ、結婚したよ」
「えっ」
「本名エィロンディーオ。ティルベルの間諜だったね。彼、その隠しルートとやらがなくなってね、普通に国で結婚したよ」
エィロンディーオはティルベル国の王族であるが、王位継承権はさほど高くない。かの国では王位継承権を巡って内部でも権力争いを繰り広げていて、その継承権を少しでも上げる為にグランドリー王国に密入国を果たして暗躍するのが、今し方メラービルの言った王太子妃ルートの先の話だ。
しかし物語は変わり、各々の運命も変わった。エィロンディーオがグランドリー王国にやってくる流れなど消滅したのである。
「そもそもその隠しルート、王太子妃になって二年、子供が出来なくて孤独を抱えたところに現れた美男子ってやつだっけ? 貴女、子供出来たじゃないか」
「あ、えっ」
本気で考えていなかったらしい。自分の欲望だけに忠実だったようで実に頭の痛いことだ。
「物語なんてとっくに狂ってたんだよ。貴女の知っているままに進むわけがない」
ナジュマが大仰に両手を広げると、メラービルはほとんど発作的に吼えていた。
「ならなおさら私悪くない!! 知ってたならわかるでしょ!? あんな、あんなの自分だって出来る、なれるって思うじゃない!」
「思わないけど?」
「えっ」
「わたし、わたしの今の人生にある程度納得してるし。下手な男捕まえるより周りの家族皆で生きていった方が楽そうだしなあ。……多分、貴女にかけられた愛とわたしにかけられた愛は種類が全く違うんだろうね」
レベッロ男爵はグランドリーに腰を落ち着けて以後、仕事ではおおよそ成功し続けていた。だから機嫌もよく、遅くなったとはいえ美しく生まれた子供には優しかったのだ。とはいえレベッロ男爵は商人であるから出突っ張りで、機嫌のよい状態の時にしか自宅には帰っていなかったし勿論男爵夫人も同じこと。社交と遊びが商会の宣伝になるとそれらしいことを言っていたというから、正に似た者夫婦であろう。
つまりそれは、機嫌のよい時だけ生き物を構うのと何が違うのか。
レベッロ男爵夫妻は状況が悪化すれば子供でも生贄にして逃げ、あまつさえそれを忘れるような人間達だ。ある意味で気分屋でしかない。
レベッロ男爵夫妻にとって、美しく生まれたメラービルは金と愛情をかけて然るべき娘だった。それはいつか自分達に益をもたらす結婚をさせる為のもので、決してメラービル個人の為ではない。むしろメラービルという個はずっと無視されていただろう。
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