33
次いでやってきたのはトロニエスとハリヤナラである。王城で賓客として過ごした兄妹は、今回の不祥事にかかる全てを間近で見、デレッセントの従兄弟から今までの説明を聞くなどしたそうだ。
ナジュマの存在はまるで神がかりである。そのナジュマはパーティー会場でなんと言っていた?
『トロニエス、貴方には色々言わなければならないことがあるわ』
すっかり驚いたトロニエスは早く早くと地団駄を踏み、公爵、というよりか叔母であるラディンマラ夫人の許可をようやっと得て勇んでやってきたのだという。
実際ヒネビニルの先導でやってきてナジュマと顔を合わせるなり、「私に何か言うことがあると言っていただろう、なんだ!」と叫んだトロニエスである。挨拶のひとつもないとは如何なものかと視線を向けると、後ろでハリヤナラがまたしても首を横に振っていた。よし、ここが肝心であろう。
「お前は挨拶のひとつも出来ないの?」
首をひとつ傾け、ナジュマは心底理解出来ないという顔をした。
これにはトロニエス、一気に顔を真っ赤に染め上げて大口を開く。何せ生まれた時から皇帝の嫡子と上げに上げられ、下に見られたことのない男だ。役者のような鷹揚さからは一転、意外なほど着火が早い。
「! お前、私を誰だと」
「私はお前の義妹ではあるが、お前自身には恩のひとつもない! ましてやこれから皇帝にもならぬ男にどうして頭を垂れねばならぬか言え!」
突然の罵声に思いもよらぬ内容、トロニエスは目を見開いて固まった。
【トロニエス】
大皇国皇太子。サンスクワニの息子らしく能力に恵まれているが、生まれた時からの状況に胡坐をかいて全てを台なしにしている男。海賊掃討作戦時にアルティラーデに出会い籠絡され、数々の愚策を強行、国民の叛意に晒されて失脚することになる。
「これから大皇国で、数年後に海賊の掃討作戦が展開されるだろう。その最中にお前は人生において最も悪い選択をする。一人の女だ。その女の所為でお前は国民の敵となり処断されるだろう。さてここで頭の足らぬお前に質問だ、公開処刑で首を晒されるのと死ぬまで監禁されるのとどちらがいい?」
「どちらも嫌に決まっているだろう!」
ふざけるなと叫ぶトロニエスに対し、ナジュマは思いの外静かだ。ナジュマはトロニエスなど構いもせず自分の思うとおりに動く。ルゥルゥに煎れさせた茶を手にしてぞんざいに椅子に座ると、美しく磨かれた椅子の足を手の爪で叩いた。
「ふざけてなどいない。わたしは嫌だなどという選択肢は訊いていない。首を晒されるのと監禁と、どちらがいいかと訊いている」
選んだ方の道に至る選択肢を教えてやる。お前に選べる道はふたつだ。
静かなナジュマは一切視線を緩めない。カチカチと美しい爪の立てる音が静かな部屋の中に響いている。
トロニエスは誰も手助けをしない状況に次第に脂汗を浮かべ、口ごもった。この為、というわけではなかっただろうがトロニエスはこれまでの全て見聞きし、つまり今までのナジュマの功績を知らされている。
全てを知る女が今、トロニエスの失脚だけを提示しているのだ。
「……どうして、私が、私は、皇太子だぞ」
「それが悪い」
「何がだ!」
唾を吐く勢いで言ったトロニエスはしかし、瞬時に黙り込む羽目になった。ナジュマが鋭い目でトロニエスを睨んでいたからだ。
「お前を皇太子にしたのはサンスクワニだ。お前自身ではない。お前自身の功績で皇太子になったのではなく、お前はただ皇帝の子として最初に生まれたというだけに過ぎない。皇太子というだけならハリヤナラでも問題はない」
むしろハリヤナラの方が問題はない。大きな問題もなく、普通に皇帝として努めるだろう。
「だがハリヤナラは皇太子になりたくはない。お前はハリヤナラが嫌がった地位を、残る子供として暫定的に与えられただけだ」
ハッとしてハリヤナラはナジュマを見つめた。ハリヤナラは幼少期から相愛の婚約者がいる。ただ、皇太子となり皇帝を目指すとなると生まれが少々低く、新たな王配候補を見繕う必要が発生するのだ。
「私が……あまりもの……」
「せめてとサンスクワニ達はお前に沢山の〈贈り物〉をした。けれどお前はそれら家庭教師や側近を全て好き嫌いで排した。『自分にはそれくらい出来る、わかっている、問題ない』が返答の定番か」
「いや、だって……」
「そうやってすぐに口答えして否定する。そもそも否定から入る。実際お前は周りの誰の言葉もきちんと聞いてはいなかろう。結局自分の興味関心だけで動く。それをわかっているからサンスクワニはわたしをいち早くグランドリーに移動させたのさ」
今、自分が与えられている地位の本当のところを理解しているか? お前がわたしと非公式の場で顔を合わせたが最後、わたしはこの国に来ることは叶わなかった。お前にはなんの考えもなしに、従兄の縁談を潰すところだったのだ。
真実考えなしだったトロニエスはハッとして扉に立ったままだったヒネビニルを見た。視線が合った瞬間言葉もなく頷くヒネビニルに、トロニエスは「私は、そんなつもりは……」とごもごも呟くばかりだ。
「そんなつもりはなくてもそうなる。それがお前の持つ地位だ。誰もが羨むかもしれないが、反面誰もが欲しいわけではない。お前は消去法で仕方なく与えられた地位をして『自分が与えられて当然だ』と、鼻高くして胡座をかいている。憎まれ、馬鹿にされないとでも思ったか? お前はお前自身の与り知らぬところで、けれど周囲にとっては当然のように恨まれているぞ」
青くなっていくトロニエスがいっそ愉快だがそろそろ頃合いか。ナジュマは胸中溜息を吐いた。
このトロニエスの運命さえレベッロ男爵が歪ませた糸のひとつだ。ならば片付けてやるしかあるまい。
「さて、もう一度訊く。首を晒されるのと監禁と、どちらがいい?」
「し、死にたくない……」
とうとう泣き出してしまったトロニエスに、背後のハリヤナラなど頭を押さえている。皇太子トロニエスとして他人にこうも叱責されることなどなかったのだろう。親が叱責しても結局は親の言うことと、右から左に流してきたのだ。
「海賊の掃討作戦には関わるな」
強いナジュマの言葉にトロニエスはゆっくりと顔を上げた。
「何がなんでも関わるな。もし皇室の誰かを旗印にという話になるのなら、その際はハリヤナラ、貴女が出なさい。大丈夫、貴女が出る分にはなんの問題も起きない」
「わかったわ」
ハリヤナラは否やも言わず即断する。皇太子の地位を嫌がったことは両親しか知らない。それを知っている時点でハリヤナラにとって、ナジュマ自身が神であれ悪魔であれその力を信じるに値するのだ。
「全ての物事は独断するに非ず。何を決めるのにもきちんと周囲の話を聞きなさい。お前は一人では皇帝として立つことが出来ない定め、ハリヤナラを近くに置き、耳目を広く保ちなさい」
それを守れない時、やはりお前は捕らえられるし、最悪首が飛ぶだろう。
王城での顛末を見ていたトロニエスはそれに身を引き締める。ナジュマの言うことは世迷い言と一蹴するも可能だが、それにしては見えすぎていた。見えていない筈の、知らない筈の事を当てる女。これほど恐ろしく、しかし頼りになる存在があろうか。
とはいえ、ナジュマはヒネビニルの妻となり、他国の夫人となる。トロニエスが手を出す隙はなく、手を出そうとしたが最後ナジュマは全力でトロニエスを追い落としにかかってくるだろう。
──こうした者は、遠くに在るのでちょうどよい。
トロニエスの瞳に力がこもる。その身はするりとナジュマの傍に進み、自然と膝が折れた。
「ナジュマ姫にも相談してよいか?」
ナジュマはここでようやく穏やかな笑顔を見せた。こうなればトロニエスは敵でも愚物でもなく、情けない程度の親族だ。ナジュマとヒネビニルに迷惑をかけさえしなければ否やはない。
「ええ、勿論。ただし相談の内容はきちんと考えるように」
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