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当然といえば当然であるが、城内は嵐の様相であった。
メラービルの産んだ女児はナジュマの告げたとおり桃色の髪をした綺麗な猫目で、潜り込ませていた手勢のお蔭もあり隠蔽も出来ずにいたのである。ゆえに周囲は慌てふためき会場で大暴露するという失態に至ったわけだが、それはともかく出産直後のメラービルは寝台に寝かされたまま、実質軟禁されていた。
ギーベイは不思議の血の影響を受けないグランドリー家の、紛うことなき正統なる世継ぎである。つまり、メラービルが例え遠くエルウッドの血を引いていたとしても猫目の子供は絶対に出来ない。
そして何より、あまりにもはっきりとした猫目は血の濃さを表す。メラービルの周囲にいたエルウッド直系はハワード一人だけだ。
流石のエルウッド侯爵もこの現実にはもはや疑念の余地がない。即座法務大臣の顔をし、駆け付けた騎士文官問わず、断罪の為の指示を敢行した。
通常、こうした場合において縁者は現場から外されるもの。しかしエルウッド侯爵は今度こそ読み間違えなかった。拘束したまま連れられていたリビエル夫人の断髪を嫡男にさせ、自らはハワードの片足を問答無用で折ったのである。これは所謂デレッセント家への追従証明でもあり、ゆえにエルウッド侯爵ことエルウッド法務大臣はこの処断に関わることを許されたのだ。
後日確認されたことだが、メラービルは不思議の一族という存在を知らなかった。ゲーム内で注釈がなかったからで、現実では興味がなかったからだ。髪の毛の色が違っていたり猫目であったりすることに対して「ゲームのビジュアルならあるでしょうね」と思うだけで、追求する必然性を感じていなかったのである。
また、当の本人であるハワードも生まれた時から猫目が普通だったからか、エルウッドの血脈に限定されていることを真の意味で理解はしていなかった。ただ単にはっきりとした猫目の子供というだけで自分に不審の目が向けられるかもしれないと、その一点でもって逃げを打ったのである。しばらく自宅で静かにして伺いがあっても素知らぬ顔をして、それで堂々と出て行けばとやかく言われることはないと真剣に思い込んでいた。何せ王族は馬鹿だ、母は自分を愛してあれこれと手を打ってくれるし、最終的に父は大臣なのだからと。
下衆の馬鹿とは正にこのこと、周囲の人間が「顔はいいんだが、中身は足りない」と称するも当然で、今回ティルベルが失敗したのはナジュマという変化球があった所為だけではなく、偏に選んだ駒の馬鹿さにも因るものであろう。
「……全てナジュマ姫の言うとおりですね」
差配の為に軍部へ向かうヒネビニルの横、付き従うマイスがぽつりと呟くのに、ヒネビニルは「恐ろしいか」と問いかけた。
「恐ろしいかと言われれば恐ろしいです。全てを見通す何かを喜ぶほど、能なしの馬鹿ではないつもりですから」
「それが普通だ。そして当のナジュマも普通を求めている」
ナジュマの求めるものは家族の平穏だ。権力を得たいのならば平定した国で女王になればよかっただけのこと、けれどナジュマは国を大皇国皇帝に明け渡して己と家族の幸の為にいざ進んだ。
ナジュマは母国の住み慣れた後宮で、家族である女達が幸せでないことを知っていた。そして自分が力を持っていても、負の記憶の染み付いた後宮ではやはり女達が幸せになれないことを知っていた。
だからナジュマは求めたのだ、己と家族が平穏に暮らせる新天地を。
「今や家族はこの国に揃い、ナジュマ自身昔と変わらぬ暮らしが出来る運びとなった。同じ暮らしをしていても新天地では心の持ちようがまるで違う。証拠に、ナジュマを取り巻く女達は幸せそうだ。ナジュマは我が家を終の住処と認めてくれたから、終生変わらずに我々を守り続けてくれるだろう。だが、それ以外はしない、する義理もない。ナジュマという女性は王家に縁付きに来たわけでも、国に奉じる為に来たわけでもないからだ」
「それをお偉方が認めますか……?」
「認めざるを得ないだろう。でなければ痛い腹を探られるどころか、即座に公開処刑されるに等しい。それに、何事もない真っ白な人生を送ってきたとて運命を歪められる可能性を考えない者が今、何かしらの座に就いていると思うか?」
証拠やら状況が出来上がるのを待つのに無為な時間を過ごす、とナジュマは言った。未来を見通せるナジュマはその状態に至る道筋を勿論知っているのだ。それはつまり選択による結果を知っているということで、転じてその選択をしなかった結果を生み出すことも可能なのではないか? ──と、多くの可能性を考え、思い至らぬ者がいないとは限らない。そうした者はナジュマを殊更恐れるだろう。
(とはいえ)
ヒネビニルは考える。ナジュマは己の異能をデレッセントの家族にしか伝えていないと言うが、それでも違和感はある筈だ。その違和感をしてサンスクワニはナジュマを大皇国に留め置かず、グランドリー王国に寄越した。サンスクワニに、そしてこれからの大皇国にもナジュマの異能は不要だという証左だ。おそらく今回の報告をトロニエス達からなされたところで、サンスクワニからの使者は来ないだろう。
この国の命運は静かに、確かにヒネビニルに託されたのだ。
「ナジュマは表に出ない。デレッセントに関わる一族だけを見、穏やかに暮らす。私が必ずやそうする」
──喧嘩もしながら死ぬまで一緒にいようね!
小さな筈の望みだ。それくらい、叶えてやれなくてどうする。
「恐ろしいなら俺から離してやる。どうするマイス」
「絶っ対に離れてやりませんよ。誰があんたの横にいられるんすか」
ケッと粗暴な顔を見せるマイスは家名も財産もなく、自力でここまでのし上がってきた平民だ。ヒネビニルに認められ騎士爵を得て、その恩を返すと息巻いている。何をおいてもマイスだけは、騎士としてヒネビニルを裏切らないだろう。
「それでいい。俺とお前は一連托生だ」
小さく笑うヒネビニルの顔はひたすら悪どい。
(顔で損してるんだよな……)
(と思っているんだろう……)
揃って静かに、二人は大きく歩みを進めた。
後日、エルウッド侯爵がデレッセント公爵家に、特にナジュマに報告にやってきた。
今回起こった不祥事の原因、その大元の片割れはハワードだけを猫可愛がりしたリビエル夫人である。母親の間違った溺愛が生んだ間違った肯定感で、ハワードは自ら罪を犯し続けた。それが表立たなかったのも、最終的にはリビエル夫人がどうにかしたからだ。
リビエル夫人は金も愛も、ハワードだけには与え続けた。自分に似た、よい顔をした次男には。
「リビエルことユビェールとハワードは極刑、各被害者への弁償には侯爵家が全額出すこととなりました。その費用対策の為に侯爵家の土地は全て国に接収、伯爵家へと爵位替えになります」
誰がどう考えても、息子を溺愛するだけの侯爵夫人如きが考え得る事態ではない。更にその奥、グランドリー王国の接収を狙ったティルベル国の気の長い策謀のひとつだ。ユビェールが法務大臣の妻の座に就いたことはティルベルにとって僥倖であっただろう。……エルウッド侯爵すらもティルベル側の人間であったのなら、事態はこれだけでは済まなかった筈だ。
とはいえ、結局全員が駒に過ぎなかった。そしてナジュマがその盤上をひっくり返したのである。
「伯爵はその責任を、法務大臣として勤め上げることで取る」
「なるほど、いいことだと思うよ!」
能力のある人間を捨てる無策は取らないとデレッセント公爵家は判断を下した。エルウッド侯爵、改めエルウッド伯爵は嫡男と共に領地を持たぬ官僚貴族として、終生王家の為に尽くすことを約束させられたわけだ。
これからの人生は容易なものではないだろうが、彼らなら粛々と過ごすだろう。そういう人間であるから彼らは責任のある立場で、しかし華やかならざる日々を過ごしていたのである。
……そこが細君には辛抱ならず、余計につけ込まれたのかもしれない……。
「エルウッド伯爵、貴方の人生の山場は過ぎた。これからは、いやこれからもだね、真面目に国に尽くすといい。その分の見返りは、きっと貴方達家族にやってくるだろう」
「ナジュマ姫に感謝を……! 必ず、必ずや国に尽くしてご覧に入れます……!」
地道なティルベル国の介入は今回失敗した。だが次もあるだろう、どうにも諦めの悪い国だから。いつか機会があるなら叩くのもやぶさかではないが……、
「うん、なくなったな。放っておけということか」
まあ今はその時ではないらしいので、ナジュマは手を出さぬこととした。
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