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「幾らも縁組を重ねて母国から離れて、なんなら養父母達も殺しに殺して証拠を隠滅してきたね? そうしてまでこの国の人間になり、当時大臣の本星とされる男の妻にもなった。いやあ見事だ、ティルベルではそんなに果てしない手を使うんだね。天晴れと言わざるを得ないな、あまり見習えないが。それでも頑張った、ユビェール、貴女は頑張ったよ」
パァンパァン! 高らかにナジュマの手を打つ音が会場に響いている。けれどそれ以上に響くのはリビエル夫人の恐ろしい半生だ。リビエル夫人は既に若くはない。その人生の内の長い期間をもし、本当に謀略に投じていたとすれば。
……しかしティルベルならば、然もありなん。
「事実無根よ! なんなの貴女!」
平素、大臣の妻らしいおっとりとした柔和さを備えていた筈のリビエル夫人は、今この時全てをかなぐり捨てていた。不安、焦燥、緊張、猜疑……、全ての負の要素が明らかにリビエル夫人を取り巻いているからだ。それは過去現在といつだってリビエル夫人を取り巻いていた筈のものである。けれどこの時ほど表立っていたことはないだろう。
「さっさとティルベルに帰りたかったんだろう。早く国に帰って実の親と暮らしたいと、幼い頃の華やかな暮らしに戻りたいと。根なし草のように流れる生活はつらかったろう。あまつさえ結婚した男は仕事に実直で、実直すぎて、根が派手好みの貴女には面白みがなかった。次男だけが自分に似ていたからそれだけが救いで、次男を連れてティルベルに帰りたかっただろう。好いた家族だけで暮らしたかった、そうだろう?」
「……違うわ……!」
【リビエル・エルウッド】
本名ユビェール。現法務大臣夫人。幼い頃にティルベルの親元から離れ、数多の義理の家庭を経てグランドリー王国内貴族家の娘として立つ。その後エルウッド侯爵家に嫁し、内情を国外に流出させ続けた間諜の一人。なお、──。
「違うわ……!」
リビエル夫人はそうして生きてきた。全てを否定して生きてきた。そうでないと現実を受け入れることが出来なかったからだ。
ティルベルの両親との関係は円満であり、むしろ愛が過ぎたといえる。愛されすぎた子供であるがゆえにティルベルはユビェールを選んだ。その愛がゆえに、よく働くと踏んだのだ。
実際間諜にさせられたユビェールは運命を恨み、親への愛情を募らせる。
──帰りたい、家に帰りたい!
帰りたいからユビェールはよく働いた。言われるままに親という名の他人の元を流れに流れたし、そのあとで親だった人間が死んでも何も言わなかった。彼女には関係なかったから。なんの興味もなかったから。
名前がいつの間にかリビエルに変わって、結婚してすらもなんの関係もなかった。好きでもない男、子供が生まれても可愛くもなんともない。いつか誰かに殺される筈だと思えばなんの感慨も持たないし、つまり執着もなかった。
けれど二人目の子供は違った。何せ次男は自分によく似ている。
いつかこの子供を連れて家に帰りたい。大好きな両親と自分に似た子供とで暮らすのだ、なんて幸せな未来なのだろう。親はユビェールを労って殊更甘やかしてくれて、その愛を受けてユビェールはハワードを甘やかす。ユビェールにはもう不幸も不運も何もないのだ。
無関係の義理の家族達も興味のない夫と長男も、ユビェールには必要ないから。
「だがねえ、ティルベルの貴女のご両親、もう殺されたよ」
リビエル夫人は膝から崩れた。今まで元気よく全てを否定していた口はわなわなと震えたまま言葉を発さない。
「ご両親も織り込み済みの作戦だったんだろう? でも貴女はともかく、ハワードの頭が足りなすぎてね。このまま息子を経由して何かしら漏れたら困ると思われていたところ、潜ませていた間諜がことごとく捕縛された。これは危険だと判断したんだろう、事故死を偽って先日殺されたのさ。お家は遠縁だという触れ込みの他人が継いだよ。養子に出てまでこの国にやってきて、言われるままに嫁いだのにね。──貴女に戻る家はない」
すまないねえ、間諜を捕らえさせたのはわたしだけれども、勢いよく捕まえすぎたなあ!
カラカラと笑うナジュマにリビエル夫人は肩をいからせて吼えた。
「どうして! どうして! お父様! お母様! お前が! この女!」
しかし吼えられたナジュマといえば凪いだように静かだ。笑っているけれど笑っておらず、その目の奥は冷静なままである。
「国と国の間を掻き回すということはそういうことだ。中途半端な覚悟でやるからこんな形になる。ユビェール、貴女に出来ることは息子への対応と教育を間違えたと、悔やんで残りの日々を過ごすことくらいか」
刹那、「ガッ」と潰れた声がしたと同時に人影が天井を舞ってナジュマ達の近くに落ちた。哨戒の兵士の格好をした──ハワードだ。
ナジュマに会場の視線が向けられている最中、ヒネビニルが隙を突き気配を隠して周囲を廻り、ざわつく人垣に紛れて逃げようとしていたハワードの片腕を折って放り投げたのである。
「ハワード! ハワード!」
リビエル夫人が崩折れた足で這うようにハワードに近付く。ハワードは折れた腕の他に肩の骨も折れて呻きながら、リビエル夫人を見上げて、
「私を騙していたのかこの女狐……ッ!」
このように罵った。
「……」
愛息子に罵られたリビエル夫人はそのまま精根尽き果てたように動けなくなり、ハワードが延々と続ける罵りを目を見開いたまま一身に受けている。
その情けない様子に溜息をひとつ吐き、ナジュマは苦い顔を隠さないエルウッド侯爵に指示した。
「ご夫人を刑法に照らし合わせてどうするかは貴方の仕事。でも、少し目を離した瞬間殺されるから留意なさい。そして侯爵邸の側仕えはすぐ全て拘束して尋問を。おそらく全員間諜よ」
「畏まりまして」
真っ青な顔を晒したエルウッド侯爵はしかしきびきびと礼を尽くして騎士に夫人と息子の拘束を指示、同じく真面目そうな嫡男と共に慌ただしく去っていった。
……それを右往左往と見つめるのは、この一連の差配をして然るべき国王夫妻である。
「陛下」
デレッセント公爵が声を上げると国王の肩は震えた。つくづく王という権力に向かない人間ではなかろうか。
「状況の確認が必要です。私と将軍は現場に向かいますが如何なさいますか」
「も、戻ろう」
国王夫妻は立ち上がり、公爵の先導を受けておどおどと広間を去っていく。会場内に居残ってエルウッド家を糾弾する愚行も考えられたが、それ以上に多くの貴族達の白い目に晒されたくないのである。
その後ろ姿を視界に入れ、ヒネビニルはナジュマに顔を向けた。
「これから一仕事ある。すまないが」
「わたし達に構わずに行っていいよ。女達は女達で楽しくしているさ」
言わんやパーティーは、否、社交の一切は既にラディンマラ夫人が掌握している。恙なく全ては終わるだろう。
「全部が終わったらね、きっとわたしと踊っておくれよ。楽しみに待っているからね」
こちらのダンスを頑張って覚えたんだから! 笑うナジュマにヒネビニルも微かに笑い返してくれた。
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