第43話 目いっぱいの祝福を その③
※
変な夢を見た。
いや、変な夢と言っても、バニーガールが出てきたわけでも口に出すのが恥ずかしいようなスケベな夢を見たというわけでもない。
ただ、僕の家の裏にある公園で、かつて一緒に遊んでいた女の子二人と徒競走をするという夢だった。
前に見たあの夢と違っていたのは、女の子が二人に増えている点と、その結末。
夢の中で一生懸命に走る僕はあの幼い頃の僕に戻っていて、そして年上の女の子たちを追い抜いて一番でゴールしたのだ。
やっと勝てた、と僕は思った。
ふと後ろを振り返ると女の子たちがゴールのところに並んで立っていて、同じように微笑みながらこちらを見ていた。
その顔を見た瞬間、僕は呟いていた。
「会長……? 橘さん……⁉」
夢の中の女の子たちは、それぞれ会長と橘さんにそっくりだった。
どうして、と僕が思ったのと同時に目が覚めた。
……今更そんな夢を見るなんて、まるで僕が小さい頃のことを今でも根に持っているみたいだよな。
それにしてもなぜ夢の中の二人は会長と橘さんによく似ていたんだろう。
少し考えてみて、とある結論に至った。
僕が小さい頃遊んでもらっていたのは、まさか……いや、多分僕の思い違いだろう。
古い記憶と新しい記憶が混ざって夢に反映されただけだ、きっと。
さて。
休日が終わり、今日は月曜日の朝。
僕は憂鬱な気持ちでいつもの通学路を歩いていた。
隣にはいつものように橘さんがいる。
「とにかくこれで留年の危機は回避されたわ。改めてお礼を言わせてもらうわね。ありがとう宇津呂くん」
「いえ、大したことじゃありません。むしろ感謝しているのは僕の方ですよ。橘さんがいなかったら、何もしない部改め自由部は作れなかったかもしれませんし」
「そう?」
橘さんが小さく笑う。
っていうかこの人、よくこんな平然としてられるよな。僕はキスのことを思い出して、今もちょっとドキドキしてるのに。
やっぱり大人だからか? これが大人の余裕ってやつなのか?
「そういえば、会長が僕らの部に入ったのはやっぱり橘さんが心配だったからなんでしょうか?」
「あの子も執念深いわね。私みたいなのに構ったって、良いことなんてないでしょうに」
そう言って笑う橘さんの顔は、どこか嬉しそうだった。
「ぐっどもーにん! 二人とも!」
ちょうど僕らが校門に差し掛かった所で、前方から山田さんが右手をひらひらと振りながら歩いて来た。
「おはよう山田さん。相変わらずネイティブとは程遠い英語の発音だね」
「うっさいわね……。もういいのよ」
「え、もういいって?」
「隠すつもりもないってこと。どうせこの間のビラ配りで、私が普通に日本語話せるってことは周りにバレちゃってるわけだし」
ああ……確かに。
思いっきり日本語でビラ配りしてたからな。
バニーガールのコスチュームを着ていたということも相まって、そのことは彼女のクラスメイト達に強烈な記憶として植え付けられただろう。
「全く、バニー姿でビラ配りなんて山田さんを困らせるようなこと、一体誰が提案したんだろうね。『自由部』部長として許せないよ」
「ああ、そう。それはありがたいわねえ。さすがあたしたちの部長ね」
「その通りだよ。部員を守るのが部長の仕事だ。なんてひどいやつだ生かしてはおけない」
「だったらあんた、今すぐ舌を噛みちぎって死になさいよ」
「……ちょっと待って、その件について謝罪は済ませたはずだけど」
「それはそうかもしれないけど! バニーコスしたあたしの写真が出回ってファンクラブができるなんて思わないじゃない! この間なんか一緒に写真撮ってくださいとか言われたのよ!? そんなこと陰キャのあたしにできるわけないじゃない‼」
いや、まあ……今まで保健室に引きこもっていたことを思えば、形はどうあれ周囲のみんなに受け入れられたのは喜ばしいことではあるんじゃないだろうか。
金髪美少女であることに間違いはないんだし、山田さん。
「……あの、このタイミングで言うのもなんだけど、これ、ありがとう。返すよ」
僕はずっと持っていた紙袋を山田さんに渡した。
「何よ、これ」
「山田さんが僕に貸してくれてた、アニメの設定資料集」
「あー、そういえば色々貸してたわね。どうだった?」
「やっぱり良かったよ。特に絵コンテがね」
僕が言うと、少し不貞腐れていた山田さんの表情が、ぱっと輝いた。
「でしょ! また鑑賞会しようね、宇津呂!」
「ぜひぜひ」
あのでかいテレビで見れば、見たことのあるアニメでも三割増しの迫力で楽しめるに違いない。
トミーよしゆきの隠れた名作と呼ばれる、言説巨人イエオンのDVDを借りて一緒に見ようかな……。
「あら、宇津呂くん。それは何かしら?」
「あ、これですか? 山田さんに借りてたガンガムの設定資料集――」
言いかけて、僕は橘さんの目が全く笑っていないことに気がついた。
「へえ、あなたたち私の知らない間にずいぶん仲良くなったのね」
周囲の空気が凍りつく。
ヤバい、何か地雷を踏んだのかもしれない。
「え、えー? 僕が山田さんのお家に呼ばれたとき、橘さんも一緒にいたじゃないですかー、やだなぁ」
「それとこれとは話が別よ。何があったのか詳しく聞かせて欲しいものね」
「い、いや、何があったってわけでもないんですけど」
「へえ。だったら教えてくれても良さそうなものだわ」
マズい、ますます怒り心頭って感じだ。
ど、どうしよう。とりあえず土下座か⁉
「おはようございますっ! 皆さんお揃いで何よりですっ!」
そんなヤバめな空気の中に飛び込んできたのは美澄さんだ。
彼女の登場で雰囲気がいくらか和らぐ。
まさにナイスタイミング。
「特に誰も遅刻していないのが素晴らしいですねっ! 感心感心!」
「美澄さんもいつもお疲れ様です」
「いえいえっ! 私は遅刻する生徒を取り締まることを生きがいにしていますからっ!」
そうか、生きがいか。
あまり良い趣味とは思えないけど……。高校卒業したら何を生きがいに生きていくんだろう、この人。
「……ところで皆さん、私、一つ気になってることがあるんですけど!」
「何ですか?」
「皆さん、テスト勉強はされているんですか?」
「え?」
僕ら三人の声が揃った。
「……美澄さん、テスト勉強とはどういうことかしら?」
橘さんが声を震わせながら尋ねる。
「とぼけたふりしないでくださいよー。明日から学期末テストが始まるんですよっ! ちゃんと勉強してますよね?」
え。
ええ⁉
そんな話聞いてな――いや待て。
そういえば、確か三週間くらい前から周りの人たちはテスト勉強がどうのこうのと言っていた。
しまった。完全に忘れていた。
橘さんや山田さんも目を見開いたまま固まってしまって、声も出せずにいる。
どうやら彼女たちもテストのことを覚えていなかったらしい。
「ヤバいわ宇津呂くん」
緊迫した声で、橘さんが言う。
「なんですか? いや、本当は聞きたくないんですけど一応聞いときます。なんですか?」
橘さんはゆっくりを僕に顔を向けた。
「私、テストで赤点を取っても留年なのよ。留年するということは退学になるということ。そしてこれまで、テストで赤点を回避したことは一度もないわ」
「それはハードですね。……あれ、山田さんもどうしたの黙っちゃって」
「あのさ宇津呂、実はあたしも中間テストで赤点溜まっててさ。これ以上赤点取ると留年って言われてるのよ」
「なるほど、すべて理解しました。……では、何もしない部の活動予定を変更しましょう。『何もしないために、全力で赤点を回避する』」
「ナイスアイデアね、宇津呂くん。私もそれに賛同するわ」
微笑みながら、橘さんが言った。
「そうと決まれば早速テスト勉強の予定を立てましょう! ねえ宇津呂、今日は家に両親が居ないのよ。放課後一緒に勉強しない?」
「よ、よし。今日の放課後は山田さんの家で――」
「ちょっと待ちなさい、宇津呂くん。部として活動するのならば学校内で勉強をするべきだわ。他人の家に迷惑をかけるのはやめた方がいいと思うのだけれど」
「わ、分かりました。じゃあ学校で――」
「えーっ? 結局どっちなのよ。宇津呂、はっきりしなさいよ!」
「部長なのだからきちんと意見を統一してもらわないと困るわ」
山田さんと橘さんが僕に詰め寄ってくる。
どうやら、災難はまだまだ終わらないらしい。
『年上の同級生に愛されすぎて困ってます』―――完。
年上の同級生に愛されすぎて困ってます。 抑止旗ベル @bunbunscooter
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