第42話 目いっぱいの祝福を その②
「やった! あたし見なきゃならないアニメが溜まってるのよね! お先に!」
「私も風紀委員のお仕事が! 部の設立おめでとうございますっ! それではまた来週っ!」
二人は慌ただしくどこかへ行ってしまい、中庭には僕と橘さんだけが取り残された。
「……えーと、じゃあ僕らも帰りますか」
「そうね。でも、その前に話しておかないといけないことがあるわ」
「話しておかないといけないこと?」
「ええ。とりあえず座りましょう」
橘さんに促され、僕はベンチに腰掛けた。僕が座ったのを見て、橘さんも僕の隣に座る。
「そんなに大事なことなんですか?」
「いいえ、一つだけ確認しておきたいの。あなたの家は公園の近くと言ったわよね。そして、小さい頃はその公園で遊んでいたって」
「はい、そうですよ」
「それは一人で遊んでいたの?」
何が聞きたいのだろう?
僕のぼっち歴だろうか?
残念だが、小さい頃は僕にも遊んでくれる友達――というか、遊び相手がいた。
「まさか。あの公園で遊んでいた頃が僕の人生最大のリア充期だったと言っても過言ではありませんよ。何せ、女の子二人と遊んでいたんですから。まさに遊び人ですよ」
がっかりされるかと思ったら、なぜか橘さんは納得したように頷いた。
「そう。ちなみに、その女の子たちの顔は覚えているかしら?」
「もう十年以上前の記憶ですよ? 覚えているわけないじゃないですか。ただ、二人とも僕より年上だったような気はします」
つまり、遊んでいたというよりは遊んでもらっていたという感覚が近いかもしれない。
女の子の内、片方は僕よりかなり年上だったように記憶している。
「たとえばの話だけれど」
橘さんは何気ないようにつぶやいた。
「たとえば……何ですか?」
「その女の子たちに再会したら、あなたはどう思うかしら」
それは僕にとって唐突な質問だった。
小さい頃公園で遊んでいた女の子と再会したら……?
「突拍子もないことを訊くんですね。どうしてそんなことが気になるんですか?」
「そうね、強いて言えば好奇心よ。あの時――いえ、あなたが公園で女の子に囲まれて幸せの絶頂にあった時期からもうずいぶんと時間が経っているでしょう? 宇津呂くんももう高校生になったのだから、その子たちももう高校生かそれ以上の年齢になっているはずだわ。大人になった彼女たちに対し、あなたがどういう感情を抱くのか興味があるの」
なんだかニッチな質問だなあ。
まあ、人間と言うのは考え方も人それぞれ。何に興味を持つのかも人それぞれだ。
正直な気持ちを言えば、公園のあの女の子たちは僕にとって親切に遊んでくれる相
手という以上の存在ではなかった。
だから、別に彼女たちと再会したからといって特別な感情が生まれるようなことはないだろう。
「橘さんに興味を持ってもらえるのは嬉しいですけど、残念ながらこれといって答えるようなことはありませんね。僕みたいなのは小さい頃からひねくれていたでしょうから、今にして思えばよく僕の相手をしてくれたものだって感謝はしますけど、それだけです」
僕の言葉を聞いて、橘さんは囁くように、ふうん、と言った。
何だか大人びたその様子が、僕の記憶に引っかかった。
前にもこんな雰囲気の女の子と会ったことがあるような気がするんだけど……。
あ。
そうか。
「今、思い出したんですけど」
「何かしら」
「僕と遊んでくれていた女の子のうち一人は、まるで橘さんみたいでしたよ。妙に大人びたことを言っていたんです。なんだったかな……結果と過程がどうのこうのって言ってた気がするですけど」
「結果ではなく、どのように工夫したのか、どうやって結果を出そうとしたのかという過程が大事だ――とか?」
「あ、それです。それ」
僕が言うと、橘さんはふっと声を漏らして微笑んだ。
「やだわ、それって私が言った言葉じゃない」
「え……ああ、そうか」
結果だけじゃなく過程が大事――ついさっき橘さんが言ったことだった。
「覚えていてくれたことは嬉しいけど」
「ほんの数分前のことじゃないですか。さすがに覚えてますよ」
橘さんは少し目を丸くして、何秒か黙ってしまった後で、それはそうね、と言った。
「話を少し戻すようだけれど、きっと、その妙に大人びた女の子というのはあなたのことを今も心のどこかで考えているはずだわ」
「だとしたら僕も罪な男ですね。あの子の心を盗んだまま姿を消してしまったわけですから」
「それは本当に、そうかもしれないわね。ひょっとしたらその子、あなたと高校で再会するために何年も留年を繰り返しているかもしれないわ」
「まさかそんな。何年も留年しちゃう人なんて、橘さんくらいなものですよ。そうそういませんって」
「……意外と鈍感なのね、宇津呂くん」
「え、何がですか?」
「とにかく、宇津呂くんの女性遍歴は何となくわかったわ。質問に答えてくれてどうもありがとう」
「小学校に行く前の話ですから、ノーカウントですよ」
「どうかしら」
「ええと、話がそれだけなら僕はもう行きますね? 教室に荷物置き忘れてたんです」
僕はベンチから立ち上がった。
だけど、それ以上先へは進めなかった。
橘さんに腕を掴まれたからだ。
「……話は終わりじゃなかったんですか?」
僕は橘さんの方を振り返りながら言った。
その瞬間。
僕の唇に何か柔らかいものが押し当てられた。
「――っ⁉」
それは橘さんの唇だった。
橘さんは、僕の唇から口を離しながら言う。
「忘れものよ、宇津呂くん」
「わっ、わっ、忘れ物っ⁉ 何の話ですか⁉」
「あら、そのことも忘れていたのかしら。前に言ったじゃない。もし何もしないで済むような部活があるのなら、紹介してくれた宇津呂くんにはキスだってしてあげるわって」
心拍数が急激に上がる。
顔が焼けるみたいに熱い。
――衝撃的な初体験だった。
その瞬間、僕は頭の中で何かが繋がった気がした。
「……もしかして、最初から全部橘さんの計画通りだったんですか? 会長が僕らの部活に入ってくれることも知ってたんじゃないんですか?」
「さあ、それはどうかしら」
そう言って橘さんは立ち上がり、
「私の荷物も教室に置いたままなの。取りに行かなきゃ」
と、何事もなかったように一年生の教室がある方向へと歩いて行く。
一方の僕は茫然とその後姿を見送るだけで、それからしばらくの間はキスをされた体勢のまま動けなかった。
…………大人のキスだった。
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