第2話

 ひと通り全て洗い終わり、さぁ髪を乾かそうとドライヤーを取り出すと、キョトンと首を傾げた。熱さを見るために手に向けて温風を吹きかけていると、その音にまた歩未はビクッとする。

「な、何だ? それ」

「コレか? ドライヤー」

「どらいやー?」

「髪乾かすんだよ。ホラ、来い」

 手招くも、歩未はなかなか動こうとしない。先程体を乾かしたあと友紀のTシャツを着せたので全裸ではなくなったが、髪はビショビショのままだ。この後、そのむさ苦しい髪を切るつもりの友紀は、多少乾いていないと切りにくい。だから乾かしたいのだが、ドライヤーの音にビックリして近寄ってくれないようだ。どうしようか少し考え、友紀は自分にドライヤーを向けた。途端になびく髪とやって来る温風は毎回やっているので慣れた感覚だ。

「大丈夫か?!」

 慌てた様子で駆けてくるところを見ると、やはり『音』が出て『風』が吹く『得体の知れない何か』に怯えていたようだ。友紀が自分に当てたことによって、恐怖はやや薄れたようだった。

「こうやって風当てて、髪から水分飛ばすんだよ」

 説明すれば、「なるほど」と歩未はひとつ頷く。物分りは良い方らしい。

「とりあえず、整えたいから毛先だけかわかすな」

『得体の知れない何か』に怯えているならば、それを顔の辺りに吹きかけるのは得策とは言えない。長い髪の真ん中から下にドライヤーを当て、あらかた水気が飛んだところで友紀はドライヤーを止める。これで終わりかと目で問う歩未の、まだ水気が大量に残っている所はタオルで水気を取り、脱衣所のドアを開ける。

「蒼生ー、新聞広げてくれねーか?」

「構わないが、何をするんだ?」

「コイツの散髪」

 歩未を親指で指し、何をされるのかびくついている歩未を、新聞を敷いた上に椅子を起いた上に座らせた。慣れた手つきで散髪用のケープを歩未に付け、ハサミの刃を自分の方に向けて構える。ハサミを見た途端、案の定と言うか、逃げ出しそうになる歩未を蒼生が捕まえる。両手を取り、動けないようにした。

「な、な、何だそれ! 何するんだ?!」

「オメーの髪切んだよ。なるべく早く終わらせっから動くなよ?」

 動くな、と言われても、本能的恐怖が勝るのだろう。ガチガチに固まった歩未の髪を、友紀はザックリと切り落とす。その後は慣れた手つきで髪をき、見る間に歩未の髪型がサッパリとしたショートカットになっていった。その手際の良さに、蒼生が感嘆の声を上げる。

「随分と手際がいいな」

「実家が理容室でな」

「手伝ってたのか?」

「たまにな。あと、よく弟の髪切ってた」

「弟がいるのか」

「八つ歳下のがな。五歳上の姉貴もいる。実家は姉貴が引き継ぐことになってんだ」

 話し続けながらも友紀の手は止まらない。仕上げに前髪を整えたところで、蒼生は手を離した。その瞬間、脱兎のごとく蒼生の後ろに隠れる様は体の小ささと相まって、まるで子猫だ。

またもハサミの刃を自分の方に向けながら、友紀は自分の服に付いた髪をパタパタとはたいた。

「おい、青木」

 呼びかけても、歩未からの返事は無い。

「青木」

 二回目の呼びかけに、ようやく歩未は自分が呼ばれたことに気付いたように自身を指でさした。

「俺のことか?」

「他に誰がいんだよ。多分首周り髪の毛付いてるだろうから、風呂場で叩いてこい」

「分かった」

 素直に脱衣所に向かった歩未を見送ったあと、友紀は蒼生を見た。

「購買行って下着買ってくるわ」

「青木のか?」

「Tシャツノーパンはヤベーだろ。あといくつか着替え。いつまでも俺の着せるわけにはいけねーだろ」

「なるほど」

「じゃあ、行ってくるわ」

「ああ」

 財布片手に部屋を出る友紀と引き換えに歩未が出てきた。そして、友紀が居ないことに気付き途端に不安げな顔になる。

「友紀なら買い物しに行っているだけだ。気にするな」

「ゆき?」

「……ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名前は神宮寺蒼生。アイツは立花友紀だ」

 適当に手に取った紙にサラサラと名前書くと、歩未は興味深げにそれを見た。

「神宮寺蒼生と、立花友紀」

 噛み締めるように繰り返し、ふみはキョロキョロと辺りを見渡した。

「どうした?」

 その様子に気付き蒼生が気付き声をかけるも、歩未は部屋を見渡すばかりで返事は無い。その様は、拾われた野良猫が、自分の周りに害ある物が無いかどうかを確認しているようだった。

「ただいま」

 そんな様子の歩未を途方に暮れて眺めていた蒼生だったが、友紀が帰ってきたことにホッと胸を撫で下ろした。

「早かったな」

「買うもん決まってっし。こんなもんだろ」

 学園の『購買』は広い。寮の一階全てがそれにあたり、扱っていものは食料品に限らず、本や服なども取り扱っている。一日居ても飽きないと評判だった。

「おい、青木」

 友紀の言葉に、歩未はまたしても反応しない。

「青木」

 語気を強くして再度呼びかけると、歩未は自分が呼ばれたことに気付いたようで「何だ?」と問いかけてきた。自分の苗字すらマトモに覚えていない様子を見ると、余程劣悪な環境に居たに違いない。憐れみの目で友紀も蒼生も歩未を見つめた。一方の歩未は背筋を伸ばして友紀の次の言葉を待っているようだった。

「これ、下着と着替え。着替えてこいよ。サイズ分かんねーからテキトーなサイズだけど」

「したぎ?」

 そこからか、と蒼生と友紀は揃って天を仰いだ。

 キョトンと首を傾げる歩未に、友紀は深く深いため息をついた。

「下着ってのはな、服の下に着るもんだ」

「ああ、肌着のことか」

 下着が分からず、何故肌着は分かるのか。額に手を当て、友紀はため息をついた。この少年と知り合って間もないが、ため息ばかりこぼしている気がする。まだキョトン顔の歩未を無理やり脱衣所に押し入れ、疲れた顔の友紀に蒼生は小さく口の端を上げた。

「友紀のそんな顔が見れるなんて希少だな」

「だったら少しは手伝えよ」

「生憎、幼子おさなごの扱いは知らんのでな」

「ったく。隼人を相手にしてるみてーだ。言葉が通じるだけまだマシだけどよ」

 憔悴しきっている友紀は脱衣所のドアが開いた音を聞き顔を上げ、次いで頬を引き攣らせた。

「何でパンイチなんだよ!」

「着方が分からん」

「ああ! もう、貸せ!」

 淡々と言った歩未の手から、友紀は服を取る。そのまま上からTシャツを着せると、友紀のTシャツ程ではないが、まだダボダボだった。

「一番小さいサイズ買ってきたのに、何でそいつがデカいんだよ……」

 疲れたのか、ガックリと肩を落とし、友紀は机の椅子に座った。

「あ、お前の机そこだから」

「机?」

 もしや机も分からないだろうか、と身構える二人とは対照的に、歩未は「なるほど」と頷いた。

「ここを使えばいいんだな?」

「あ、ああ」

 洋服の着方ひとつ知らない少年が、何故机だけ分かるのだろう。

 疑問は尽きないが、歩未が大きな欠伸をこぼした。

「眠いのか?」

「昨日あまりねれなかったから」

 今にも寝そうな歩未に、二人は顔を見合わせる。部屋には、シングルベッドがひとつと二段ベッドがひとつ。他のチームならシングルベッドを取り合うのだろう。だが、

「俺、下がいい」

「じゃあ、俺は上だな」

 簡潔に言葉を交わし、友紀が歩未の手を取る。

「ん?」

 不思議がる歩未を、そのままシングルベッドに押しやった。

 フカフカとしたベッドに、何故か歩未は狼狽えているようだった。

「寝みーんだろ? まだ寝るにははえーけど、夕飯時になったら起こしてやんよ」

 そう言って掛け布団をかけてやり、トントンと叩くと、眠そうに歩未の目が溶け始めた。

「こんなフカフカの寝床、初めてだ」

 ポツリと、誰に宛てたわけではない言葉をこぼした歩未を、二人は痛ましい目で見つめる。

「俺、明日の模擬戦でコイツとやり合いたくねーな」

「同意だ」

 この小さな体で今まで何に耐えてきたのだろうか。

 察するためには、二人はこの少年のことを知らなすぎた。

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沈黙のディストピア【電撃公募用】 月野 白蝶 @Saiga_Kouren000

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