第1話
掲示板に貼り出された紙を、灰色に赤いネクタイの制服を着た生徒たちが押し合い圧し合い眺めていた。その紙には番号と名前が記されており、皆それが気になっている様子だ。
「ねぇ、何番だった?」
「え、五番だった〜」
「え〜、私十番……」
「ドンマイ」
皆が口々に挙げる番号は貼り出されている紙に書いてあるもので、落胆する者、喜ぶ者、微妙な顔をする者など、その反応は多種多様だった。
だが、その輪に入っていない者が二人。
一人は、襟足のみ短く、ハーフアップをしている少年。アップした髪は片側だけ灰色のメッシュが入っており、ブレザーの前ボタンを外してネクタイを少し弛めている。赤い縁のメガネの奥にある切れ長な目で、チラッとだけ紙を見る。
「何番?」
「一番……お前は?」
「トーゼン、一番に決まってるっしょ」
テノールの声に答えるのは一人。肩甲骨を少し過ぎたあたりの黒髪を三つ編みにし、制服をきっちりと着こなしている少年。表情は乏しいが、もう一人の少年にへの問いは気安いものだった。
「あと誰?」
「知らん」
「知らんって……オメーの目なら見えるだろ、
不満げな少年——立花
「知らんもんは知らん。
——空白なんだからな」
「は?」
「三人目は居ないようだな」
「っんだよ、ソレ。俺らだけ二人でやれってか?」
「さぁな。学園の考えることなど分からん」
舌打ちを零す友紀を止めもせず、蒼生も読めない目で紙を見続けるだけだった。
「部屋割りは終わった。荷物を運ぶぞ」
「へいへい」
やる気のない返事をし、友紀はその場を去る。それを追いながら、蒼生は最後にもう一度紙を見たが、やはりそこにあるのは空白だけだった。
『冴木坂学園』
そこは、選ばれし者のみが通うことの出来る学園。四方は三メートルを超える塀で囲まれ、巡回の警備員も配備されているそこは、パッと見『牢獄』だった。
それも当然。ここは、全国から集められた『召喚士』の卵の学び舎なのだから。
政府の方針により、中学入学と共に専門のテストをし、入試資格を有する者の所にのみ中学三年の夏頃入試の通知が届く。受けるも受けないも本人の自由だが、卒業後の就職先が他の高校よりはるかに待遇が良いため、入試する者がほとんどだ。
『召喚士』とは、カードに封じた魔物を召喚できる者を指す。カードの精製方法は古代に失われており、現代ではもはや作ることは出来ない。
『冴木坂学園』では、力の強さ順に三人一組のチームを組み、そのまま三年間を共にする決まりだ。全寮制であり、部屋割りはチームごとの三人一部屋となっている。警備は厳重だが、買い物、帰省は自由であり、申請を出せば家族や友人、寮生同士の長期旅行も可能なので不満を漏らす者はほとんど居ない。
授業は主に召喚のことだが、他の普通校と同じ授業をすることもある。これも成績順にクラス分けがされており、クラスごとに授業の難易度が異なる仕組みとなっている。
「よっと」
部屋に自分の荷物を入れ、始めに蒼生と決めていた自分用の机に教科書の類いを置いた。明日は、チーム内の実力を測るための模擬戦がある。授業を開始するのは来週だと聞いていた。少し予習をしておこう、と思い、隣の机に同じく教科書の類いを置いた蒼生を見やる。
「なぁ、マジで俺らだけなのかなァ」
「だとしたらどうする?」
「明日の模擬戦、惨敗するだろなァ、ってだけ」
「その代わり、次の模擬戦はお前の圧勝だろ」
「まァね〜」
冴木坂学園の模擬戦は二度行われる。
一度目はチームの『肉弾戦』の強さを測るため。
もう一度はチームの『召喚力』の強さを測るため。
友紀も蒼生も入試では一、二であった。冴木坂学園の入試は特殊で、体育も試験科目に含まれる。それは、召喚に耐えうる『精神力』と、戦闘における『体力』があるかと言う二つの意味をもつのだ。その試験で一、二を競うということは、それだけの『知識』『体力』『精神力』を持っているということと同義だ。
友紀は、体力は人並みであったが、その代わり精神力が秀でており、蒼生は、精神力は人並みではあるが体力が秀でている。この二人が争うのなら、確かに勝負は五分五分だろう。
しかし
ドアをノックする音に、友紀は反射的に声をあげた。
ドアを開けると、そこに居たのは若い青年だった。入学式の時に挨拶していた、
「学園長?!」
友紀の声を聞き、蒼生も荷解きしていた手を止めすぐ部屋の入口に向かい、執事のような礼する。
「良い。ここに来たのは君たちに『三人目』を紹介するためだ」
「三人目?」
訝しげな友紀の視線が学園長の後ろに行く。そこには学園長の腰にしがみついている、友紀の腰ほどの少年が怯えた様子で立っていた。身長は恐らく百三十から百四十センチと言ったところか。
「青木
「恐れながら学園長、彼の名は掲示板に無かったように思いますが……」
「特例の別試験を受けたからな。実力は
それだけ言い、学園長は去っていった。残されたのは『青木歩未』と言う得体の知れない少年だけ。服は
この空気に、友紀は耐えきれなかった。
「オメー……風呂入ってねーの?」
友紀の言葉に、歩未は警戒で逆立てていたのを収め、キョトンと首を傾げた。
「ふろ……って何だ?」
「……は?」
歩未の疑問に、思わず蒼生と友紀の声が重なる。今日日、赤子ですら知っている『風呂』を知らない? 入学したということは中学を卒業しているというのに? どういう家庭環境で育てばそうなるのか。まさか、虐待されて育ったのだろうか。なのだとしたら、特例の入試にも、初めの警戒心の高さにも納得する。
盛大にため息をついて、友紀は歩未の手を引く。驚いて若干脚に力が入ったが、グイッと引くとまろびながら後ろを着いてきた。
「蒼生、俺の荷物からTシャツ持って来といて」
「開けていいのか?」
「別に。オメー何も取んねーだろ」
ケロッとそう言い、友紀は歩未を部屋備え付けの風呂場に連れて行った。
「おら、服脱げ」
「え?」
「服を脱げ」
「ふく……これか?」
歩未は襤褸を引っ張る。認めたくないが、とても認めたくないが、友紀は頷いた。
襤褸を脱ぎ、歩未は次の動作指示を待つように直立していた。立ち姿だけなら自衛隊員みたいだな、とふと友紀は思う。しかしながら、中学を卒業したばかりとは思えない背の低さに、それを打ち消す。あまりに馬鹿げた発想だ。
「コレ捨ててくっから、先に中入っとけ」
襤褸は触った端から破れていきそうだったが、ゴミ袋に詰め込み口をキツく縛る。
「友紀」
蒼生の声に、友紀は視線をそちらに向けた。
「っんだよ」
「あの少年のことだが……」
「……ああ、青木のこと?」
「違和感があってな」
「違和感?」
蒼生の発言の意図が分からず、友紀は首を傾げる。あの少年の無知さは確かに大きな違和感だが、それ以外に何があると言うのか。
「あの少年……足音が無いぞ」
「え?」
「俺の家が名家なのはお前も知っていると思うが、護衛が何人もいた。彼らの動きに非常に似ている」
「おいおい。んなバカな話あるわけねーじゃん。気のせいだよ」
友紀は笑うが、蒼生の顔は渋いままだ。
「とりま、俺、青木風呂に入れっから」
「ああ、引き止めて悪かった」
風呂場に戻ると、全裸の歩未が、所在なさげに佇んでいた。相変わらず直立だ。
「中入っとけっつったろ?!」
慌てて近寄ると、歩未は困ったように眉を八の字にした。
「どうやって入るんだ?」
「…………は?」
友紀は一瞬、自分の耳を疑った。今この少年は何と言ったか。まさかドアの開け方すら知らないと?
やはり虐待家庭の子供なのか。虐待家庭なら、足音がしないのも納得だ。蒼生の言う『護衛の動きに似ている』という感想は引っかかるが、見る限り『無害』な少年だ。
小さくため息をつき、友紀はドアノブを指した。
「……ここ、持て」
言われた通り、不思議そうにドアノブを掴んだ歩未は、動いたことにビクッと驚いた。
「下ろして、押せ」
「え? え? 大丈夫なのか?」
「いいから、やれ」
額に手を当て友紀はため息をつく。これではまるで、大きな赤ん坊を育てているようなものだ。言葉が通じるだけ幸せと思うべきか否か。
恐る恐る中に入る歩未の背を「おせー」と肩を押して進め、バスチェアに無理やり座らせる。
「ちょっと待っとけ」
歩未のことにばかり気を取られ、自分が濡れてもいい格好に変えるのを忘れていた。
「友紀。青木に着せる服はコレでいいか?」
「ああ、蒼生、サンキュ。俺も服着替えねーと」
「洗ってやるのか?」
「ドアの開け方すら知らなかったヤツだぞ?」
「……マジか」
「大マジ。多分、虐待家庭の子じゃねーかと思ってんだよ」
「なるほど」
「じゃ、風呂入れてくるわ」
バスタオルを持ち、友紀は風呂場に戻る。歩未は相変わらず、言われた通りバスチェアに腰掛けたままだった。
「待たせたな」
「いや、問題ない」
淡々と言い切るところは良いのだが、今の歩未の格好は全裸である。全裸でキメ顔……あまりの間抜けな字ズラに、友紀は本日幾度目か分からないため息をついた。
「シャワー出すぞー」
「しゃわー?」
問いに対する答えを返さないまま、友紀は湯に設定したシャワーを出す。音と熱さに歩未は驚いた様子だったが、もうこの子は何をしても驚くんだろうと諦めた。
「ほら、体洗うから手ェ出せ」
「手?」
何でも言われた通りにする歩未に、一抹の不安を覚える。この子は、一体どういう環境で過ごしてきたのだろう。体を洗うと「くすぐったいな、コレ」と困惑するこの少年は。
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