第70話 うっかり、恋愛というものに出会ってしまった
「赤影、報告せよ」
「はい、クローディア姫様。あの銀髪メイド自身はセオドア伯爵に気があるようですが、伯爵は全くそういう気にはなっていないようです。二人の関係は主従関係以上ではありません」
「うむ、そうか……。それはよかった。じゃない!」
クローディアはほっとした表情を浮かべたが、そんなを調べていたわけでないという建前を思い出した。あくまでも、セオドアの過去を調べるのが目的。彼がただの田舎貴族ではなく、王国軍で秘密の部隊に属していたらしいということで、そのことについて調べていたのだ。
「奴の過去についてはどうだ?」
「申し訳ございませんが、幼年学校を出て大陸派遣軍の司令官の侍従として従軍して以来、約10年のことは謎なのです」
「……なぞということ事態がそもそもおかしい」
普通の人間なら王国宰相バーデン家の調査で分からないことはない。政敵のスキャンダル、バーデン家を害する企みなど、全て事前に把握できる情報網を持っているのにもかかわらずだ。
「ただ、奴の両親は1年前に暗殺されています」
「キンシャサ事件か……」
エルトラン王国の南部にある地方都市キンシャサ。ラット島から近いところにある港湾都市である。
1年前、セオドアの両親はこの港湾都市に仕事で来ていたが、島への帰り道に強盗を装ったフランドル共和国の暗殺部隊に襲われたのだ。
ただの田舎貴族であったセオドアの両親が暗殺部隊に襲われる理由がないので、当初は強盗事件だと思われていた。しかし、その後に犯人全員が囚われて、拘束されたまま、惨たらしい姿で殺されているのが見つかったのだ。
警備隊の捜査でウォール伯爵夫妻の殺人に関わったことが証明され、彼らの雇い主がフランドル共和国であるらしいとまでは分かった。
(ただの地方領主であるテディの両親が殺される理由はない)
クローディアの知る限り、セオドアの両親は人違いで殺されたということ。当時、キンシャサに来る予定であった王国軍の第2軍司令官、ルードヴィッヒ将軍を狙った犯行に巻き込まれたというのだ。
(しかし、我が国まで潜入するほどの暗殺部隊がそんな間違いをするだろうか。どう考えてもありえない)
ルートヴィッヒ将軍は突然、予定を変えてキンシャサを訪れなかったとはいえ、将軍とセオドアの両親を間違えるようなまぬけな暗殺部隊があるとは思えない。
「テディが大陸派遣軍で何かをしていたのなら、彼の両親が殺されたのはそれと何か関係があるのかもしれない」
「……そう推測できます」
赤影はそう答えた。そしてそれは確信でもあった。セオドアがフランドルとの戦争でどんなことをしていたのかは分からない。しかし、仮に彼がフランドル共和国にとって不都合な人間であるならば、両親の暗殺はありえる。
(脅しか……報復か……)
そして犯行に及んだ暗殺者は、ことごとくその代償を払わされたと考えるべきだ。赤影は背中に冷たいものが走るのを感じた。これ以上、あの男に関わらない方が自分の寿命のためである。
「クローディア姫様。これ以上はあの男のことは調べない方がよいと考えます」
赤影はこのようなことを進言する男ではない。いつも寡黙でクローディアの命令を無言で聞く男である。
そんな諜報員の進言である。クローディアは気づいた。
「赤影、それはお前の考えか?」
「……はい。そして宰相閣下のお考えでもあります」
「父上か……」
「これまでどおり、姫様の下僕として付き合う限りは問題ないとのこと」
赤影はクローディアの諜報員でもあるが、父の部下でもある。この男は自分の行動も逐一、父に伝えていることは間違いがない。
「分かった。奴は優秀な我の下僕だ。我が将来、王妃になったあかつきには、奴を親衛隊長として遇する予定だ」
そう言ったクローディアはまた胸にチクリと痛みを感じた。エルトリンゲンが王になり、自分がその隣に立つ。そしてその後方に護衛としてセオドアが立つ光景。
(それで我は満足なのか……)
心がもやもやしてしまい、クローディアは軽く頭を振った。次に浮かんできたのは、王冠を被ったセオドアとその隣に立つ自分。
クローディアは急に顔が火照ってくるを感じた。それどころだけではない。全身がなんだか熱くなる。
(な、なんで奴が王なのだ。そしてなぜ、我が奴の隣に立つのだ。それでは我が奴の妻になるということではないか!)
(このバーデン公爵令嬢の我が、身分違いのあの男と!)
(ありえない、ありえない、ありえない。そんなことは現実ではない!)
(それにあんなやる気のない無気力な男に何を期待しているのだ……。でも、何だか気になってしまう)
クローディア・バーデン公爵令嬢、18歳女子。
これまで異性に恋愛感情を抱いたことはない。それどころか、恋愛という概念を理解できていなかった。
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