第69話 うっかり、正体を看破してしまった

 しかし、わずか1分後。赤影は自分の認識が甘かったと後悔した。気が付くと赤影は一歩も動けず固まっている。


「うっ……」


 気配が全くしなかった。自分の首筋に小さなナイフが突きつけられている。


(いつの間に……)


 あのメイドかと思ったが、両手を上げて立ち上がった時に正面にそのメイドが立っていた。


(ということは……)


 赤影は自分の首筋にナイフを突きつけているのが、この屋敷の主であることを知った。ゆっくりと両手を上げる。抵抗しても仕方がないと悟った。


「君はスパイだね」


 そうセオドアは尋ねた。もうとっくの昔にばれているらしい。嘘をついても仕方がないと赤影はゆっくりと頷いた。


「あのお姫様も油断がならないけど……君はバーデン公爵様の手の者だろうね」


 セオドアは赤影の雇い主を看破した。正面に立っているエリカヴィータが短銃を構える。赤影は何も反応しない。それは肯定ということである。


「少佐、あの女の回し者なら、ここで始末してしまいましょう」


 恐ろしいことを言う。セオドアは笑みを浮かべた。


「それはやめておこう。エリカ、銃を降ろして」


 セオドアの命令に素直に従うエリカヴィータ。赤影は両手を上げたまま、動こうとはしない。命の危険は去ったと理解したのだ。それにここで行動を起こしても逃げきれないと感じていた。


「まあ、宰相家の姫様の傍らにいる男がただの地方貴族ではないのなら、その素性を確かめるのは当然だろう。君の名は?」

「あ……赤影」


 赤影は正直に答えた。別に偽名でもよかったが、赤影という名前自体が偽名みたいなものだ。それにセオドアとはこの先長く付き合う可能性がある。嘘を言って印象を悪くするのはマイナスだ。


「君たちのことだから、きっと僕のことも明らかにするだろう。ここで話しておくよ。ただ、クロア様には話さない方がいいと思う」


 セオドアは自分のことを話し始めた。表向きはへき地のラット島の領主。6歳の時にエルトラン陸軍に従卒として従軍。11年の戦場を駆け回り。手柄を立てて立身出世。少佐まで上り詰めた。

 普通なら、こんな立身物語は王国で有名になるはずだ。膠着状態に陥った戦争で若き英雄のニュースは国民の厭戦気分を打ち払うのだから。

 しかし、セオドアのことは極秘であった。それはセオドアの任務が神出鬼没の暗殺部隊であったからだ。

 赤影は思わず唾液を飲み込んだ。飄々とした青年が暗殺のプロ。大陸の大国フランドル王国やネシア帝国では『死神』とも言われた男なのだ。


(どうりで俺ごときでは、歯が立たないはずだ)


 赤影はバーデン家の腕利きの諜報員であるが、戦場の経験はない。暗殺技術ではセオドアはおろか、目の前のメイドにすら敵わない。

 メイドもセオドアの部隊の出身。赤影を上回る戦闘力があることは間違いがない。


(しかし、こんなことは姫様には話せない……)


 赤影が見たところ、クローディアはセオドアに惹かれている。その男が大陸で死神と恐れられていたと知れば心穏やかではないだろう。


「赤影くん、いずれ僕からクロア様に話す。だから、君は言葉を濁してよ。もちろん、バーデン家のご当主には報告しないといけないだろうけどね」


 クローディアの父は王国宰相だ。暗殺部隊については当然ながら知っている。しかし、暗殺部隊の存在は秘密でなければいけない。その運用や構成員のような詳細まではさすがの宰相でも知らされていない。


「分かりました。クローディア様には話しません。バーデン公爵もしばらくは、彼女には話さないでしょう」

「そうだね」


 セオドアは少し寂しそうにそう答えた。もし、クローディアが自分の裏の顔を知ったなら、きっと気味悪がって距離を置くだろう。

 今までも散々振り回されてきたのだから、距離を置かれるのは歓迎ではあるが、一抹の寂しさは今まで感じたことがない気持ちだ。

 それにクローディアが距離を置かなくても父であるバーデン公爵は、娘にセオドアが近づくことを恐れるだろう。


(それでいい。所詮、あのお姫様とは住む世界が違う……)


 セオドアはそう自分に言い聞かせた。

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