第71話 うっかり、司令官は不幸の手紙をもらってしまった
エルトラン王国第1艦隊。旗艦ドゥラメンテを擁する王国最強の艦隊は、主力である1等戦列艦3隻、2等戦列艦2隻、3等戦列艦8隻で構成される。
戦列艦の等級はその船体の大きさと装備された大砲の数で決まる。エルトラン王国海軍の戦列艦は74門以上の砲を備えた船を1等戦列艦。30門までを2等戦列艦。30門以下を3等戦列艦としていた。
砲の数は攻撃力に直結するが、3等戦列艦は船体が小さい分、小回りやスピードに長けており、船を接触させての白兵戦では威力を発揮する。
エルトラン王国旗艦ドゥラメンテは、1等戦列艦の中でも大砲を142門装備する世界最大級の戦列艦であった。
その旗艦の艦長であり、第1艦隊総司令官でもあるデュワノマール将軍は、艦長室でイライラと歩き回っている。第1艦隊は1か月前に大陸での戦争のため、長い遠征を終えて帰国したばかりだ。
乗組員は久しぶりの休暇を楽しみ、傷ついた船は修繕に入ったばかりである。それなのに海軍司令部からは、隣国ロイッシュに圧力をかけるために出撃命令が下されたのだ。
急ぎ、招集命令が出され多くの将兵が不満を口にしながらもブレスト軍港に向かっているところであろう。
今年42歳になるデュワノマール少将は貴族出身ながらも、海軍士官学校からのたたき上げで第1艦隊司令官に上り詰めた男だ。戦列艦の運用に関しては王国随一と言っていい。
爵位は伯爵で都の屋敷に妻と娘がいた。家では平凡な父親である。帰港してから3日間だけ屋敷に滞在した。1年ぶりの家族との再会を楽しむ間もなく、次の作戦のために戻って来たのだ。
しかし、彼のいらだちは多くの将兵とは違っていた。副官が封を施された手紙を持参して艦長室へ来ると、それをひったくるようにして中身を読んだ。
「嘘だ、そんなことできるわけがない!」
思わず声を荒げてしまった司令官を驚いたように見る副官。彼の名はヴィトル・ハスカル。今年25歳になる中尉である。はちみつ色の癖毛が特徴で、均整のとれた体は船乗りにふさわしい。
海軍士官の多くがそうであるように、彼も貴族出身。ハスカル子爵家の次男であった。士官学校を優秀な成績で卒業。旗艦ドゥラメンテの次席副官として勤務していた。
主席副官の負傷で現在はその任にある。優秀なだけに、司令官兼艦長らしからぬ態度に怪訝な表情を浮かべる。それに気づいたデュワノマール将軍は慌てて平静を装った。
「海軍省からの命令でしょうか?」
そうヴィトル中尉の問いにデュワノマールはそうだと答えた。こめかみに汗が伝う。外は冬の到来で寒風が吹いているから、汗が出るのは感情の影響である。いつも冷静な司令官のただならぬ様子と、自分が持ってきた手紙が海軍省からのものではないのではと疑惑を抱いたヴィトル中尉は、嫌な予感がした。
「当艦以外の艦の準備は明日には整います。出航は明後日の14時ということで変わりませんか?」
副官はそう確認をした。デュワノマールは頷く。そして鍵のついた艦長室の机の引き出しを開け、封筒を取り出した。蝋で封をされたそれを開けて、中身を一瞥するとこうヴィトル中尉に命令をした。
「海軍省からの辞令だ。砲術士や航海士などの配置転換だ。20名ほど、新しい乗組員が乗り込む予定だ。これがそのリストだ」
「え、この作戦間際に人員の交代ですか……」
「ありえないことだが、これが現実だ」
先ほどの慌てた様子から一転してデュワノマール将軍は冷静な口調となった。どうやら辞令を見る前にこの異例な配置換えを知っていたようだ。
ヴィトル中尉はリストを受け取る。海軍大臣のサインが記された辞令伝達書である。昨日、それが届きデュワノマール将軍に手渡したものだ。本日付けで封を解くように命令されていたと記憶している。
戦列艦の主要な士官が交代となっている。攻撃を担当する砲術士、船を動かす航海士など重要な士官である。驚いたことに艦長を補佐する副長まで交代である。
(作戦直前に海軍省は何を考えているのだ。司令官のいらだちはこれが原因か?)
副長は長年、第1艦隊旗艦ドゥラメンテで活躍してきた人物であったので、この異動にヴィトル中尉は違和感を覚えた。
この船の指揮系統や攻撃の中枢が新しく来る士官にゆだねられるということだ。
(第1艦隊はこれからロイッシュとの戦闘になるかもしれない任務につくのに、生え抜きの士官を交代させるなんて……。王都で政変でもあったのか)
ヴィトル中尉はそう考えた。貴族の派閥同士のせめぎ合いは今に始まったものではなく、政治的な思惑で人が入れ替わることは珍しいことではない。
今回の任務もロイッシュに軍事的圧力をかけるものであるが、作戦自体は危険なものではない。ロイッシュにはろくな海軍がないから、海戦にはならない。貴族出身者が箔を付けるには好都合な作戦である。
今回もきっと戦争経験が浅い、貴族のボンボンが親のコネで配置されたと考えるべきであろう。
ヴィトル自身も似たようなものなので、これについては文句を言える立場ではない。ただ、指揮される乗組員たちの命を預かることになる。優秀な人間であると願いたい。
「新しく乗船する20名の部屋割は私の方でしておきます」
「頼む」
そうデュワノマールは答えると返事の手紙を書き、それに封をすると副官に手渡した。副官はそれを外で待っている伝令兵に渡す。海軍省から来たというその伝令兵は無言でそれを受け取り、艦から去って行った。
ヴィトル中尉が新しい乗組員の受け入れ準備と艦を去る士官への伝達をしている時に、デュワノマール将軍は一人、艦長室で頭を抱えていた。明後日には出航しなくてはならない。そしてその後に起こることは、彼のこれまでの栄光を無にしてしまうことになる。
(だが、これを受け入れなければ……私の愛する……ううう……。ここは奴らの指示通りにするしかない)
デュワノマール将軍は、先ほど届いた手紙を焼き捨てた。これが乗組員の誰かの手に渡ってしまったら、事は失敗し、デュワノマール将軍は不幸の損底に堕とされてしまう。
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