第3章 キャビネット選挙戦 編
第33話 うっかり、女子学生との会話を勧めてしまった
ボニファティウス王立大学には学生による自治組織がある。『ポリス』と呼ばれるものだ。大学の民主的運営を目的に作られた伝統ある組織で、そのリーダーたる会長は全学生の投票で選ばれる。
選ばれた会長は副会長と書記、会計などの役職を任意で任命する。このメンバーはキャビネットと言われていた。
ポリスのキャビネットは学生代表として、教授や出資者、OB代表者や政府代表からなる理事会にも出席し、意見を述べることができる。全学生の支持をバックにしているのでその影響は大きい。
そのポリスの会長を決める選挙が行われる。立候補者は主に3年生と2年生である。4年生は就職や進学で忙しく、そんな自治活動はできないからだ。
「テディ、ハンス、アラン、ボリス」
「何でしょうか、姉さん」×3
セオドア以外の男子が目を輝かせてクローディアの指示を待つ。セオドアはクローディアが何を言い出すのか、あらかじめ予想はしていたが、それが自分にとって面倒なことになると思って心の中でため息をついた。
「我はこの選挙に出馬する」
拳を握りしめ、今にも演説を始めそうな勢いでクローディアは胸を張る。もう会長の風格さえ漂う。
「さすが、姉さん」
「当選確実」
「未来の王妃として箔が付きます」
ハンス、アラン、ボリスはそう称える。もうこの3人は完全にクローディアの親衛隊である。
「はあ……」
セオドアは思わずため息が声に出てしまった。すかさずクローディアはセオドアを問い正す。
「何だ、テディ。そのため息は?」
「クロア様が出ても当選はできませんよ」
セオドアはそう断言した。はっきり言ったのは、最初からクローディアに分からせてやった方がよいという彼なりの判断からだ。
「理由を述べよ」
セオドアの取り付く島もない言い方に、クローディアは気を悪くした様子はない。むしろ、セオドアの考えが聞きたいようだ。
「まずクロア様は1年生。上級生が下級生を支持することはありません。2つ目、クロア様は女性。女性の票が期待されますが、残念なことにこの大学の女子学生は少数です。男尊女卑が抜けない社会ですから、男子学生が女子を推すことは少ないです。3つ目はこれまで女子学生が当選した例はなく、選挙に出た例もありません。この大学は伝統校らしく保守的な考えが強いです。4つ目……これは言いにくいのですが……」
「ここまでズケズケ言っておいてそれはないだろう。言ってみよ」
セオドアは一つ呼吸をした。そしてこれまたズバリ言い放った。
「クロア様に人気がありません」
ズドーンとクローディアは腰が砕けたように両手と両膝をついた。慌ててハンスたちが駆け寄る。畳みかけるようにセオドアはクローディアに問いかける。
「クロア様はこの3か月間、女子の友達はできましたか?」
「うううう……いない」
「さらに男子学生は?」
「ここにいるテディとハンスとボリスとアラン……」
「我々は下僕だといつもクロア様は言っていますね。都合の良い時だけ友達と言わないでください」
「うううう……いない……なぜだ?」
「理由が分からないから、友達ができないのです」
クローディアはさっぱり理由が分からないようだ。セオドアはこの公爵令嬢には意識改革が必要だと考えた。
「まず自分から話しかけないと友達はできません。特に同性はそうです」
「サロンなら向こうから声をかけてくるぞ?」
「貴族令嬢はクロア様と知己になりたいのです。それは個人的な思いではなく、バーデン家とつながりたい実家の圧力からです。そしてこの大学に来ている女子学生はそういう圧力はないのです」
「……ならば、我から声をかけてみよう」
セオドアは(ちっ、ちっ……)と人差し指を左右に動かし否定する。
「それも今のままではダメです」
「なぜだ?」
「論より証拠でしょう。あそこにいる女子学生に話しかけてみてください。たぶん、先輩のようですから、クロア様のことはあまり知らないはずです」
そうセオドアは少し離れたベンチでおしゃべりをしている女子学生を指さした。クローディアはむっとしている。
「我が人に話しかけられないほど小心のコミュ障と思っているのか!」
セオドアに命じられたまま、クローディアは女子学生たちに近づく。
「お前たち、一体何を話しているのだ。我にも聞かせるがよい」
突然話しかけられて、きょとんとした顔でクローディアの顔を見る2人の女子学生。通りすがりのネコがしゃべったくらいの意外な表情だ。
「はあ?」
「一体何ですか?」
女子学生たちはクローディアのことを知らないらしい。突然やって来て、話に加わってきたため口のおかしな女子に怪訝な顔をしている。
「申し遅れた。我はクローディア・バーデンだ」
2人の表情に慌てて自己紹介をするクローディア。その名を聞いて2人の女子学生は凍り付く。
「ク、クローディア様」
「ご無礼をいたしました」
そう言いながら慌てて去ろうとするので、セオドアが助け船を出した。
「君たち、ごめんね。クロア様が君たちと会話がしたいとおっしゃたんだよ。少しだけ、相手をしてあげてくれないかな?」
セオドアを見た2人は頭が真っ白になっている。この大学の少ない女子学生の中でセオドアは有名なのだ。
本人が目立たないように行動しているので、女子学生も静かに接しているが、みんな「黒髪の騎士様」と読んで密かに愛でていたのだ。そんな憧れの黒髪の騎士様からのお願いだ。
「は、はい、セオドア君」
「私たちでよければ……」
2人は医学部看護科に通う2年生。セオドアの見立て通り、先輩であった。名前はクロエとカミーユ。二人とも地方の裕福な家庭の娘である。クロエもカミーユもセオドアの大ファンなのだ。
そのセオドアの頼みなので2人は喜んでクローディアと会話をする。
「クローディア様のご趣味はなんですか?」
「普段は何されているのですか?」
「うむ……趣味は乗馬だな。普段は読書をしたり、体を鍛えたり、夜は人脈を広げるために夜会によく行く」
さすが公爵令嬢である。乗馬は庶民の趣味ではない。だが、2人ともさすがに裕福な出なので乗馬体験はしたことがあった。
「乗馬ですか。私たちも実家ではたまに乗ることがあります」
「そうか。それなら今度、我がバーデン家の鹿狩りに招待しよう」
クローディアは当然のようにそう誘った。2人の女子学生は思わず目を見合わせる。セオドアは聞いていて話がかみ合わないはずだと思った。
クロエもカミーユも乗馬といってもせいぜい、牧場で走らせる程度である。森の中を馬で駆け抜け、しかも銃を持って獲物を狩るようなレベルではない。
それに大貴族や王族でもない限り、そのような狩りの催しに招待されることもない。
「あ、あの……クローディア様」
「わたしたちはそこまでは馬に乗れないので……」
「そうなのか……では、キングダム競馬場でレース観戦をしよう。あそこには我がバーデン家の専用席がある。美味しいものでも食べながら馬が走るのを見よう」
「え、ええっと……」
上級貴族の遊びとして競馬観戦は普通だ。もっともよいロイヤルボックスと呼ばれる専用席の権利を年間で借りて観戦するのだ。そんなことができるのは王国では王族や上級貴族。そして巨万の富をもつ者だけだ。
平民や下級貴族は立見席で賭け事をするくらいで、女子学生には近寄り難い場所であるのだ。
「クロア様、馬は忘れてください。2人とも困っています」
セオドアは助けに入ったが、あまりの価値観のズレにクロエもカミーユも腰が引けており、そそくさと授業があるからと立ち去った。
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