第13話 うっかり、実力が伸びているふりをしてしまった

 セオドアはリビングのソファに腰かけ、過去の問題集と分厚いノートをパラパラとめくっている。これは受験勉強したことがないというセオドアのためにクローディアが貸してくれたものだ。

 全く勉強したことがないギリア語と神学については、ちんぷんかんぷんであったので、さすがのクローディアもセオドアの様子に顔を曇らせていたが、セオドアは何とかなると思っていた。


「お兄様、どうしたのですか。急にギリア語の本を持ち出して」


 妹のシャルロッテがそう声をかけてきた。

 いつもは王都のお嬢様学校に通っているのでシャルロッテは寮暮らしだ。今はセオドアが人脈作りのため王都に出てきているので、その拠点として家賃の安く古びた小さな屋敷を借りているのだ。屋敷は古いが手入れは行き届いていて、住むには快適である。

 セオドアが王都に滞在しているので、シャルロッテが滞在先の屋敷に泊まりに来ている。外泊許可が月に何度か出るのでそれを利用しているのだ。

屋敷には巡回で掃除と洗濯をしてくれる人は雇っているが、食事は自分で用意しないといけない。そこは節約しないといけないのがウォール家の経済状態だ。

 ウォール家が雇っている使用人は、ラット島の屋敷を維持するに精一杯である。それでもセオドアが王立大学に通うとなると、こちらの屋敷にも何人か雇うしかない。


「ああ……王立大学を受験することにした」


 セオドアはごく自然にそう答えた。


「ええ!」


 シャルロッテは驚いた。確かに兄の年齢は受験して入学するのに適したものであったが、もう兄は別のルートに進んでいたので今更という感じがしたからだ。


「お兄様が……。今更ですか?」

「ああ……」

(不本意ながら……)


 セオドアは心の中でそうつぶやいたが妹に詳細は話せない。話せば自分のためにそんなことになったなどと気にしてしまうだろうからだ。


「テディお兄様なら楽勝だとは思いますけれど……」


 王立大学が難関であることを知っているのか、知らないかは分からないが、セオドアの妹はいつもこう兄のことを超人だと思った発言をする。

 しかし、それはいくらなんでも身びいきというものだ。受験勉強をしないでいきなり受けて簡単に合格しては、他の受験者に申し訳ない。


「楽勝かどうかは分からないけれどね」


 セオドアはそう答えた。試験は試験だ。そしてクローディアはただの合格ではダメだと言う。目立ちたくないセオドアとしては、どう立ち回るか頭が痛いところだ。

 しかもギリア語はこれまで生きていくのに必要なかったので、セオドアは学ぶのは初めてである。それなのに大学の試験に臨むのは、普通に考えて無謀だ。

 セオドアはギリア語の参考書をパラパラめくって見る。文法もかなり違っており、単語も全く違う。母語であるエルトラン語と外国語であるフラン語が似ているから、まだ勉強しやすいがギリア語はなかなか難しい。


(なるほどね……)


 時折頷きながら、セオドアはクローディアの要点をまとめたノートを読んだ。このノートは実に分かりやすい。


「テディお兄様なら、上位合格者10位以内に入れると思いますわ」

「シャルロッテ、10位以内なんてそう簡単に入れるものではない」

「そうでしょうか」

「そうだ……」


 セオドアはクローディアの命令にどう対応するか悩んでいる。


(……合格しないとあのお姫様が逆上するだろうなあ。それは避けないといけない。だが、あまりよい成績だと入学後に目立ってしまう。それはいろいろと不都合だ。それにあのお姫様より上に行くのはまずいだろう……)


 ここ2週間、セオドアはクローディアに命じられて受験勉強を一緒にさせられている。そこで分かったことだが、クローディアは実力で王立大に合格すると宣言するだけあってかなり頭がいい。

 過去問題で模擬テストをしたが1000点中で934点を叩き出した。これは前年度の5位の成績にあたる。

 つまりクローディアは十分に上位10人を狙える実力があるのだ。女子で久方ぶりに10位以内合格。いや、もしかしたら主席合格もあるかもしれない。主席になるには例年960点ほど必要であり、クローディアはここから追い込みをかければ十分にそこに手が届くと思われる。

 彼女の実力。語学はほぼ満点が取れ、数学も化学も得意だ。あえて言うなら神学が7割程度。これは知識量が必要なので覚えるのに時間がかかる。


(クローディアは5位以上の成績を取るだろう。となると、こっちは5位以下の成績でよいことになる。)


 セオドアも10位合格を目指していた。合格するだけで十分なのであるが、クローディアの言うとおり、ある程度の実力は見せておいた方が返って目立たないと考えたのだ。


(10位なら実力を見せつつ、目立たない位置。そしてクロアの家の力を使ってないという証明にもなる。それはしておかないと彼女に迷惑がかかる)


 人間の嫉妬、悪意というのはどう影響するか分からない。一番よいのは目立たない。それでいて馬鹿にされないポジションに自分を置くことである。

ただ10位を取るというのは難しい。1位なら最高得点を取りに行けばよいだけだ。極端な話、1000点満点を取ればよい。そこでセオドアは綿密な作戦を立てていた。例年の10位は900点付近である。

 だからセオドアは合計点が900点付近になるようにしようと思っていた。全教科で90点。10科目で900点だ。あとは問題の何度によって多少加点したり、減点したりして調整しようと考えたのだ。

 また、毎日のクローディアとの勉強会も気を遣った。自分の実力が彼女にばれるのを防ぐためだ。いつもわざと間違え、彼女より少しだけ正解率を落とした。あまり落とすとクローディアに叱られるし、少しでも超えれば疑いの目を向けられる。


(ここで自分の力を知られるわけにはいかない……。面倒なことになる)


 セオドアは注意深くクローディアと勉強をした。そして少しずつ実力が上がっていくように見せたのだ。


「うむ。伯爵はやはり頭がよいようだ。この1か月で合格できるくらいの力がついておる」

「クロア様の教え方が上手なおかげです。さすがはクロア様。クロア様の実力なら10位以内合格も確実です」


 これはお世辞ではない。クローディアの学力はかなりのものだ。貴族の令嬢たちとは段違い。熱心に勉強するし、熱意も違う。エルトリンゲン王太子の側にいたいから勉強するとう動機だけでここまで努力するのは首を傾げたくはなる。きっと元の知力が高いのであろう。

 エルトラン王国は素晴らしい王妃候補を得ていることになる。この候補が全く虐げられているのは、間違いなく貴重になる宝石の原石を見捨てているということだ。


「伯爵もぎりぎりまで努力せよ。ただの合格だけではダメだぞ。私には勝てないと思うが、近いところまでは伸びるだけの力を感じるぞ」

「それはありがとうございます」


 どうやらセオドアの手抜きはばれていないようであった。

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