第8話 うっかり、修羅場に遭遇してしまった

「あら殿下。この夜会に来るなんて我は聞いていませんでした」


 扇をたたみ両手でそれを握りながら、笑顔で近づくクローディア。口角を上げてはいるが目が笑ってない。


「クローディアか……。お前もここに来ていたのか?」


 ちょっと気まずいといった感じで王太子は答えた。隣に平民娘が王太子の腕に絡みつく。


「殿下、この女は誰です?」


 平民娘は砕けた感じで王太子に質問する。かなり無礼な会話だ。それを聞いたクローディアは完全にブチ切れたようだ。


「殿下、婚約者の我を差し置いて、このような身分の低い女を同伴させるとは、殿下の格を落とします!」


 クローディア姫は甲高い声でそう言い放った。クローディア姫の勢いに若干たじろいだ王太子であったが、腕に絡みつく娘がひどく怯えているので、変な男気を出した。


「ナターシャは確かに平民であるが身分は関係ない。彼女は人間的によくできた素晴らしい女性だ。お前こそ、身分で差別するような封建的な古臭い考えを改めよ。これからは貴族だ、平民だと身分で区別する時代ではない」


(ほう……。王太子、いいことを言う)


 セオドアは王太子の考えには賛同する。身分など所詮は先祖が築いた財産みたいなものだ。能力のない子孫がそれを盾に既得権を主張し、不平等な社会をつくるのはセオドアもおかしいとは思う。


(但し……。王太子、説得力がなさすぎる)


 王太子の主張はともかく、隣にいる平民娘とデレデレの態度は、王太子が主張する崇高な社会を貶めるものであった。単に身分違いの女を好きになり、それを正当化するための主張としか思えないのだ。

 そしてナターシャと呼ばれた平民娘。噂では町の小さな穀物商の娘らしいが、この場違いな場で委縮することもなく、居並ぶ貴族令嬢たちを動物園のめずらしい動物を見るような目で眺めている。


「殿下、この人、怒ってる~。わたし、怖い~」


 そんなことを言って王太子にしなだれる。王太子はその態度に顔をだらしなく崩している。完全にこの平民娘にのぼせ上っているようだ。


(年齢はクローディア姫と同じくらいか……。年齢の割に度胸がある)


 セオドアはナターシャに若干の疑問を覚えた。普通、これくらいの年齢の女の子は、このような場違いな場所に連れて来られれば委縮してしまうものだ。それに動じない胆力の持ち主か、理解できないほど馬鹿なのかどちらかだろう。


(たぶん後者だろうとは思うけれど。顔は可愛いけれど、おつむが弱い女の子のようだ。なんで王太子があんな娘を侍らすのか……)


 王侯貴族の趣味はわからないものだ。どう考えても相対している婚約者のクローディア姫の方が美人で教養や気品もあり、王妃に相応しい。


(まあ目つきはきついし、恐ろしく美人だけど悪人顔とも言えなくはないし、性格に難もあるのかもしれないけど……)


 王太子が自分の婚約者に失礼な態度を取るのも、何か理由があってのことだろう。それもクローディアを見れば理解できなくはない。


「無礼者。次期国王陛下たるエルトリンゲン殿下にそのような失礼な態度、臣下として、殿下の婚約者として許せぬ!」


 右手で持った扇を自分の左手に打ち付け、クローディア姫は怒りを発した。


「殿下、やっぱり、この人怒ってるううう……。このおばさん、怖い~」


 ナターシャはさらに神経を逆なでるようなことをわざと聞こえるように言った。セオドアはますます面白くなったと思った。クローディア姫をおばさんなどとナターシャは言ったが、クローディアは18歳。恐らく、ナターシャとはほぼ同じくらいだろう。

 しかし、礼装のドレスを着こんだクローディア姫は年齢よりも落ち着いた感じで大人の女性のようであった。


(それをおばさんとは……やはり頭が弱い。いや、意外と狙っているかもな)


 セオドアはなんだかナターシャがただの平民娘とは思えなくなった。この度胸は買える。どうやって王太子をメロメロにしたのかは分からないが、この態度は天然ではないように思えた。何か魂胆があるように思えなくはない。


「重ね重ね、無礼な平民だ。我はバーデン公爵令嬢クローディアだ。年は18歳。お前におばさんなどと言われる筋合いはないぞ」

「あら私と同じ歳ですか。そんな姿ですから20後半かと思いましたわ」

「お、お、お、お……お前、無礼だぞ!」


 言われた瞬間数回口をパクパクさせたクローディア姫は、やっと言葉を発した。ナターシャにはその様子からこれは虎の尾を踏んだと察することもできない。


「はい、おばさんは失礼でした。それでは先輩と呼びましょう。同じ歳ですけど王太子殿下とは先に関係があったようですから。ねえ、殿下、この怖い先輩を追い払ってくださいな」


 ナターシャに委縮する様子はない。あまりの傍若無人さにクローディアは言葉を失う。セオドアは(これが庶民の強さか)と感心してしまった。

庶民は貴族の世界を知らない。しきたりも人間関係も知らない。だから、こんなことを言えばどうなるかも分からない。

 同じ貴族ならそれを考え、内心は違っても敬意をはらう。表面的には礼を尽くす。しかし、庶民は関係ない。失うものもない。無知の強さともいえる。


「せ、せ、先輩とはなんだ、馴れ馴れしいにもほどがある!」

「じゃあ、殿下の元カノ?」

「貴様!」


 クローディア姫が上品な貴婦人の仮面を脱いでナターシャに迫ろうとした。それを王太子が右手を突き出して制止させる。左手はナターシャの腰に回して彼女を守る。


「クローディア、余はナターシャとこの夜会を楽しみに来たのだ。お前は遠慮しろ」


 王太子はそう冷たく言った。ナターシャに向ける視線とは熱が違う。部屋に飾られた人形を見る目だ。


(無関心……これは厳しい)


 セオドアもクローディアのことが少し気の毒になった。クローディアも生まれてすぐに王太子の許嫁になったのだから、そのような態度で追い払われるのも理不尽というものだ。


「遠慮しろとは……。まさか、ダンスもその女と!」


 クローディア姫はそう金切り声を上げそうになり言葉を止めた。

 夜会ではダンスが行われる。その時の決まりがある。最初に踊るのは自分の妻、婚約者である。普通は妻や婚約者を夜会の同伴者として連れてくるから、この決まりはごく自然に行われる。

 しかし今は違う。エルトリンゲン王太子は婚約者とは違う女性とともに参加し、あろうことか婚約者の前で踊ろうというのだ。

 これは『婚約破棄』とも取れる行為と言われても仕方がない。公然とした浮気である。

 気配を感じて夜会の参加客はざわざわとしてきた。時間も来たので楽団がダンスの音楽を奏で始める。


「では、ナターシャ、踊ろうか?」

「はい、殿下」


 エルトリンゲン王太子はナターシャの手を取るとホールの中央へと進む。そして手を取り合って踊り始めた。その平然とした行動にクローディア姫は言葉を失う。そしてふらふらと長椅子に倒れ込むように座り込んだ。取り巻きの令嬢たちが心配そうに取り囲み、慰めの言葉をかけている。

 中には憎悪の視線をナターシャに送っているものもいる。これはいよいよ面白いことになりそうだとセオドアは思った。

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