第1章 悪徳令嬢とのなれそめ 編

第6話 うっかり、女侯爵のエスコートをしてしまった

(やっとここまで来た……)


 優雅な音楽と静かな談笑。王国の中でも最高の紳士淑女が集う夜会。

 セオドアは招待状をベルボーイに手渡し、大きなホールの中へと進む。ここはクレッシェンド侯爵の館である。クレッシェンド侯爵は宮廷侍従長官。現在のエルトラン王国の礼儀作法の番人と言われる権力者である。


 その侯爵が主催する夜会であるから、格は最上級である。多くの有力貴族が招かれており、セオドアが参加して人脈を広げるにはこれ以上ない機会である。

 セオドアは妹の社交界デビューのために貴族主催の夜会を渡り歩いている。夜会で知己を得ながら、その伝手で妹の社交界デビューする機会をうかがっていたのだ。


(今晩、クレッシェンド侯爵に取り入り、後ろ盾になってもらうきっかけをつくる。然るべき夜会でシャルロッテのデビューを支援してもらう)


 セオドアはそんなことを計算していた。正直、こういう場は嫌いである。人と話すことが本当は苦手でエネルギーを消耗し、酷く疲れるからだ。


「あら、ウォール伯爵、今晩もなかなかの男前ぶり」


 少々太り気味の中年夫人が話しかけてきた。今は体形がマイナスであるが、昔はさぞかし美人であっただろうという容貌である。


「これはダイス女侯爵様」


 セオドアは頭を少しだけ下げた。このクレッシェンド侯爵の夜会に推薦してくれた恩人である。先日、この女侯爵主催の夜会で気に入られ、ここへの招待状を手に入れたのだ。


「いえ、私も推薦したかいがあるというものよ。セオドア伯爵と言えば、黒の貴公子と令嬢たちだけではなく、マダムたちにも評判ですからね。私も鼻が高いわ」


 ダイス女侯爵はそういうと手を出した。セオドアはそれをうやうやしく手を取った。今日の夜会のエスコートをするのだ。ダイス女侯爵はセオドアをアクセサリーのように他の婦人方に見せびらかす。セオドアにもメリットがある。彼女の紹介でより権力のある貴族と知り合いになる機会を得るのだ。


「こちらはこの夜会の主催者、クレッシェンド侯爵閣下よ」


 まずダイス女侯爵がセオドアに引き合わせたのは、今回の夜会でセオドアがまず知己になりたいと思っていた人物である。

 背筋の伸びた長身の老人である。白い口とあごひげが上品で、片眼鏡を愛用している。エレガントなたたずまいが絵になる。


「初めてお目にかかります、クレッシェンド侯爵閣下」


 セオドアは丁寧に礼をする。この老人は宮廷儀定の生き字引と言われる男で、少し前まで宮廷長の地位にあった。宮廷長は王宮でのマナーや習慣について監督するのが仕事だ。仕事柄、王宮内では人脈が多く、王族とも親交が深い。


「ウォール伯爵、よく来てくれた。君のおかげで夜会が華やぐよ」


 お堅い仕事をしているので、さぞかし頭の固いじいさんかと先入観をもっていたセオドアは、意外と気さくな言葉かけに返って緊張した。


「クレッシェンド侯爵閣下の夜会に出席できて、やっと一人前の貴族と言われるほど、この夜会は格式があります。伯爵位に過ぎぬ私が招待されたことを名誉に思います」

「うむ。若いのにしっかりした青年じゃの」

「この夜会で学ばせていただきます」

「うむ。よく学び、妹の社交界デビューに役立てるとよい」


 クレッシェンド侯爵はそう言ってあごひげを撫でた。セオドアの目的を知っているのだ。恐らく、友人でもあるダイス女侯爵から聞いているのであろう。

 セオドアはありがたいと頭を下げた。ただ、妹の後見人になるとは言わない。クレッシェンド侯爵もダイス女公爵も今の社交界における自分たちの立ち位置を理解しているのだ。セオドアのために今、影響力のある人間に貢献してもらった方がよいという考えだ。これにはセオドアも納得している。

 後見はしてもらえないが、これで次の夜会につながる推薦を得ることができる。

 クレッシェンド侯爵の紹介があれば、王国の大きな公式夜会への出席も可能だ。妹の晴れ舞台はかなり格の高いものになる。妹を後見してくれる貴族もそれなりに力のある人間がなってくれるであろう。


(ああ……あと少しのところまで来た。シャルロッテのデビューさえ決まれば、こんな夜会に来るものか……)


 正直なところ、このような華やかな雰囲気は好きではない。自分を偽っての会話も疲れるし、令嬢たちが自分を見てこそこそと噂話をしているのも愉快ではない。そのうち、それらの令嬢たちが自分を囲うように話をしに来るのもうっとうしい。


「あら、あそこにいるのはバーデン公爵令嬢のクローディア姫よ。紹介してあげるから、行きましょう」


 主催者のクレッシェンド侯爵との挨拶を終えたセオドアは、ダイス女侯爵と客たちにあいさつ回りをしていたが、ひと際華やかな令嬢が到着したようだ。先に来ていた令嬢たちがこぞって集まる。


(あれがバーデン公爵令嬢のクローディア姫……)


 セオドアは噂で聞いている。王国貴族の宰相バーデン公爵の令嬢であり、王太子エルトリンゲンの婚約者である。つまり、将来の王妃様になる令嬢である。


(確かにすごい美人だな。目が少しきつい感じもあるが、それが気品と威厳を作り出している……)


 噂では生まれた時から王妃になるよう教育されてきたという。王妃にふさわしくなるよう、礼儀作法に教養、そして様々な芸妓、武芸まで納めているという。性格もさぞかしよいのであろう。


「クローディア様、ご機嫌麗しゅうございます」


 ダイス女侯爵は取り囲む令嬢たちをかき分けて、セオドアをクローディアに引き合わせる。この公爵令嬢もセオドアが知己になりたい人脈に名前を連ねる人間だ。将来、王妃になるのだから当然だ。妹の名前を知ってもらえれば、これほど強力なコネはない。


(なにしろ、将来の王妃様だからな……)


 セオドアは先ほどから人に酔って気分が悪くなっていたが、それを顔出さないよう作り笑いをした。


「あらダイス女侯爵、久しぶりね。相変わらず、お元気そうですわね」

「クローディア様もいつも美しく輝かしいばかりで、年老いたわたしくしはうらやましいばかり……。ところで、クローディア様。ご紹介したい者がおります」


 ダイス女侯爵は社交辞令の挨拶の後に後ろに控えているセオドアを紹介する。


「こちらはセオドア・ウォール伯爵です。彼はラット島の領主です」

「セオドアです。公爵令嬢にはお初にお目にかかります」

「そう……。伯爵ですか……。クローディアです。よろしく」


 クローディアはそう形ばかりの言葉を発してセオドアを見る。その目つきがなんだか見下すような感じがして、セオドアはますます気分が悪くなった。公爵令嬢から見れば伯爵など家来同然であろう。

 それでもセオドアはクローディアに対して悪感情はない。この令嬢に紹介される男など、日に何十人といるだろうからいちいち丁寧な対応ができないだけだろうと思っている。

 すぐに他の者が割って入り、セオドアとダイス女侯爵は輪の中から追いだされる格好になったのも当然の成り行きであった。

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