第5話 うっかり、約束をしてしまっていた

 クローディアはその美貌と知性で外国の王族からも縁談が申し込まれているのだ。セオドアと結婚することは、バーデン公爵家の勢力拡大を考えたら、政略結婚というカードを失うことになる。


「父上は大反対だった。兄上の手助けがなければ、ここには来られなかっただろう」

「ふ~ん。そうだろうね。それが普通だよ。バーデン公爵は正しい」


 セオドアの言葉にクローディアは(ぷう)と頬を膨らませた。不満なのだ。


「それはどういう意味だ。テディは我が別の男ところに嫁に行ってもよいのか?」

「……俺はこの通りの田舎貴族。裕福な暮らしも無理だ。王都で蝶よ、花よと育てられたクロアには、ここの暮らしは無理じゃないか?」

「無理じゃない!」


 間髪入れずに公爵令嬢は断言した。


「この島の地形を見て我は確信した。そしてテディの能力。そして我の知性と人脈があればこの島は豊かになる。そうすれば、あの約束は果たされるはずだ」


 クローディアはそう言って右手を握りしめた。

『あの約束』とは、セオドアが盛大に婚約破棄されて意気消沈したクローディアについ約束してしまったことだ。それが決め手になって、彼女はこうやって高貴な身分や裕福な生活を捨てて、セオドアの元に押しかけて来たのだ。

(ああ……やっぱり期待している。どうしよう……本当はこの平和な領地で楽隠居するはずだったのに……。この姫様があまりに気の毒なのでちょっと同情したせいで大波乱の人生になるじゃないか!)

 セオドアは少し後悔していた。当初目指していた平凡で平和な人生が大きく乱されることは間違いがない。


「なんだ伯爵。我と歩む人生に不安があるのか?」


 上目づかいでそんなことを聞いてきたクローディア。彼女自身も強がっているが、不安は隠せないようだ。セオドアはそんなクローディアがたまらなく愛おしくなる。


(ああ……これだ。この感情に負けてしまった)


 心の警鐘を無視して、セオドアの手が動く。クローディアの形のよい顎を持ち上げる。少しだけ後悔したが、クローディアと前へ進むと決めたことは揺るがない。その堅固な意思は勝手に口を勇ましい方向に動かす。


「クロア、不安などないさ。お前は黙って俺を支えろ。お前の望みは俺がかなえてやる!」

「テディ……やはりお前は頼りになる。大好き、激熱大しゅき、鬼アツ大しゅき!」


 クローディアはそう言ってセオドアの胸にしがみつく。長い手がセオドアの首に絡み、後ろ髪にうずまる。


「クロア、その激熱大しゅきとか、鬼アツ大しゅきという表現はどうかと思うぞ」

「なぜだ。お前に対する我の心の熱量を表現したまでだ」

「端から見たら俺たちは完全なバカップルだ」

「……バカップルとはどういうものだ?」


 目をぱちくりしているクローディア。そういう言葉は知らないらしい。


「人目をはばからず、いちゃいちゃするカップルの事だ」


(バカップル)などという庶民の単語は高貴なお姫様には理解できないのだろう。クローディアは頭の中でその言葉を咀嚼しているようだ。


「ああ……。エルトリンゲン王太子とナターシャのような関係ということか?」

「確かにそうだな」


 クローディアを捨てて、ナターシャという平民娘を選んだエルトリンゲンは、人目をはばからず、いちゃいちゃしていた。それが彼の評判を落とし、ナターシャの品格まで疑われることになったが、それに気づかないのが『バカップル』なのである。


「我は人前ではあのようなことはしない。あのようなことは陰でこっそりやることだ」

「ほう……。このお姫様は陰ならこっそりやるんだ?」


 意地悪な質問をセオドアはした。とたんにクローディアは顔が赤くなる。


「や、やるとは失礼だ」

「じゃあ……しないということだね」


 セオドアはゆっくりとクローディアから離れようとする。しかし、クローディがそれを許さない。シャツの襟もとを掴むとセオドアを引き寄せた。


「する……」


 2人の顔が近づく。クローディアは目を閉じた。唇と唇が触れ合う瞬間。


「テディ兄さま!」


 ドアが突然開いた。慌ててセオドアとクローディアは離れる。


「ど、ど、ど……どぅ……」


 胸に手を当てて変な息遣いをするクローディア。セオドアは何事もなかったように妹の方を向いた。


「どうしたのだ、シャル」


 シャルロッテは兄と公爵令嬢の間に流れる微妙な空気を全く感じる素振りなく、慌てて兄に報告した。


「第2ブリッジの支柱が折れて、崩壊しそうだそうです」


 ランド島は陸地と4kmほどの距離である。突き出た半島の道路でつながっているが、3か所に橋が渡されている。ランド島がランド半島ではなく、島と言われる理由だ。

 その3つの橋は木製であり、特に2番目の橋は老朽化が進んでいた。今日、クローディアが大人数で重い荷物を積んだ馬車を何台も通行させたのが、寿命を速めたのであろう。


「けが人は?」

「いないそうです。橋に駐在する兵が夕方の定期点検で見つけたそうで、現在は通行を止めています」

「うん。正しい判断だ。クロア、俺は現場に行ってくる。今日はここでくつろぎ、旅の疲れを癒せばいい」

「……わかった」


 クローディアはそう名残惜しそうな視線をわずかに送った。セオドアは急ぎ、部屋を出ていく。


「クロア様、残念でしたわね」


 部屋に残ったシャルロッテはにやにやしながら、クローディアの方を見る。クローディアは見透かしたようなこの義妹から視線を上に外した。


「な、何がだ、シャル」

「いえ、テディ兄さまといい雰囲気だったのに、わたしが邪魔をしてすみません」

「な、何をいっているのだ。我がお前の兄とよい雰囲気になるわけがない」

「でも好きなのでしょう?」

「違う!」

「ええっ……違うのですか?」

「違う、断じて違う。まあ、伯爵は我のことを好きなようだが」

「クロア様は先ほどテディ兄さまの事を好きとおっしゃっていたではありませんか?」

「そんなことは言ってない」


(はあ……)と心の中でため息をつくシャルロッテ。この後に及んで素直じゃない態度は何だかイライラしてしまう。


「そんなことを言っていますと、テディ兄さまはこのわたしが取ってしまいますわよ」

「な、何を言うか、シャルは伯爵の妹ではないか?」

「ふふふ……。妹とは仮の姿。実はわたしとテディ兄さまは実の兄妹ではありません。正確にはわたしは従姉妹にあたります。元々、わたしはテディ兄さまと将来結婚するためにこの本家に引き取られたのですよ。兄さまは忘れていますけれど……」


 くすくすと小悪魔のような表情でクローディアに近づく。クローディアはこの無邪気な妹が怖くなった。


「ど、どういうことだ?」

「つまり、クロア様はわたしにとってはライバルなのです」

「ラ、ライバルだと!」

「そうライバル。わたしはテディ兄さまのことが大好きです。クロア様は好きではないのですよね。それなら問題ありません。さっさと都にお帰りください。正直、クロア様は邪魔ですわ」

「こ、この……小姑め。本性を現したな!」

「だって、クロア様は先ほど、好きどころか、激熱好きとか言っていましたのに、もう否定されるのですから、正直なところライバルにもなりません。もう一度聞きますわ。テディ兄さまのこと、激熱好きで、鬼アツ好きなのですよね?」

「……うん」


 クローディアはそう小さく頷いた。あまりの落差にシャルロッテも3秒も沈黙してしまった。反応が予想外すぎる。3秒経つとシャルロッテの心の中に笑いがこみあげてくる。


「本当に素直になれない性格が続かない方ですね。面白過ぎます」


 そう言うとケラケラ笑ってシャルロッテは部屋を出ていく。ドアを閉めるとぺろりと舌を出した。


(テディ兄さまと結婚するのなら、これくらいの意地悪は許されますわよね?)


 従妹というのは全くの嘘だ。シャルロッテは正真正銘のセオドアの妹。もちろん、母も同じだ。嘘ではないところは兄であるセオドアのことが好きであるという点。だからシャルロッテはクローディアについては、素直に応援できないところもあるのだ。

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