第4話 うっかり、いちゃついてしまった

「クロア、入っていいか?」

 

 セオドアはクローディア姫のために用意した客室を訪れた。屋敷が狭いのでクローディア付きの侍女以外は、屋敷の外の町に用意した宿舎に移動してもらっている。

 クローディア姫が持ってきた荷物はとりあえず、中庭の倉庫に運び入れているが、入りきらないので馬車に乗せたままのもある。

 もうすぐ夕暮れ時なので本格的な荷解きは明日以降になる。


「ああ……入るがよい」


 クローディアはそう答えた。セオドアが入ると気を利かせたのか、クローディア姫付きの侍女は部屋の外へと出ていった。


「本当に来るとは思っていなかった」


 そうセオドアは窓越しにこっちを見ているクローディアに投げかけた。クローディアの顔がみるみる赤くなっていく。


(やばい……。超可愛いじゃないか……)


 セオドアは自分に後退や旋回のスイッチがないことを知った。あるのは前進のスイッチだけである。そしてスイッチは『カチリ』と音を立てた。


「い、一度、伯爵の領地を見たくなっただけだ!」

「このバーデン公爵令嬢がこんな田舎に足を運んだのだ。感謝をするがよい!」

「か、勘違いするな。我がここに来たのは、伯爵があの約束を果たせるかどうか確かめるためだ!」


 畳みこむようにそう言うクローディアに向かって、セオドアは歩みを進め、そしてガラスに手をついてクローディアを囲い込んだ。


「それだけかい?」

「ち、ち、近いぞ、伯爵!」

「じゃあ、離れるけど……」


 セオドアはそう言って窓ガラスに付けた手のひらをゆっくりと離そうとした。

が、その動きは中断された。離そうとした右手の手首をクローディアが掴んだのだ。


「は、離れなくてもよい……。というか、伯爵とは1か月も会っていないからな。あ、あの……さ、寂しくはないぞ。伯爵……テディが我と会えなかったから寂しいのだと思うだけだ」


 セオドアは(ぷっ)と思わず笑った。その顔を見てぷくっと頬を膨らませるクローディア。


「ああ、そう。じゃあ、離れない」


 再び、セオドアは右手をガラスに付けてクローディアを囲う。恥ずかしそうにうつむくクローディア。


「は、離れなくてもよいが、これ以上は近づくな。公爵令嬢に向かって不謹慎だぞ」

「ということは……この距離はよいということかな?」


 セオドアはクローディアの顔を見つめる。すでにクローディアのパーソナルスペースに入っているが、もうお互いの息がかかるくらい顔と顔が近づいている。


「あ、当たり前だ。このくらいは問題ない……」

「そうなの?」


 とぼけるセオドア。だが、からかうのはここまでだとセオドアはクローディアから離れた。


「それでエルトリンゲン王太子殿下とは、やっぱり正式に婚約破棄したの?」


 セオドアは王太子が居並ぶ貴族たちの中で、クローディアに婚約破棄を表明した場にいた。思い出すだけでもクローディアには酷い仕打ちであった。しかし本人同士の関係はともかく、婚約破棄は王家ホルディーア家とバーデン公爵家との関係まで影響を及ぼすことだ。


「……ああ。王家から我の家に正式な使者が来た。婚約は破棄だそうだ」

「君の父上は怒っているだろうなあ……」

「もちろんだ。父上も兄上も怒っている。激怒だ。激熱オコ、鬼アツオコだ!」


 拳を握りしめているクローディア。ただ、それは激高して机をドンドン叩いていた父のバーデン公爵の姿を思い出しただけで、クローディア自身の怒りはもう鎮火してしまっている。

 セオドアはクローディアの胸中の複雑さを思わなくはない。生まれた時からクローディアは王太子の妃候補として厳しい教育を受けてきたはずだ。エルトリンゲン王太子との結婚のためにすべてを犠牲にし、唯一の価値観として心に刻み付けられてきたのだ。それが突然なくなったのなら、普通の人間ならおかしくなってしまうだろう。


「ただ、あんな顔が良いだけの無能な王太子の妃にならなくてよかったという点においては父も兄も納得している」


 そうクローディアは言った。バーデン公爵家はこの婚約破棄事件に対して、正式な抗議はしたが王太子についてはその能力を見限っており、大事な娘を妃に差し出さずによかったとさえ思っているのだろう。

 なにしろ、王太子は幼馴染の婚約者を捨てて、ぽっと出の平民の娘を自分の婚約者にしたのだ。そのことで多くの貴族から反感を買っている。

 セオドアはエルトリンゲン王太子が平民の娘を自分の妃候補に選んだことについては、特に反対する気はない。身分とは関係なく、平等に接する気持ちは悪いわけではない。

 しかし、選んだ女については王国の将来を考えると適切であるとは思わない。セオドアが見たところ、将来の王妃の器ではない女だ。


(あの娘が王妃になったら、それこそ国の未来は暗いだろう……)


 そう思わざるを得ない。見た目は可憐ではあるが贅沢好きで物事を深く考えない性格。そして民衆への愛情など一切ない女である。


(それにあの娘はどうも気になるのだよな……なにかを隠しているような)


 セオドアはエルトリンゲン王太子が選んだ娘にそんな感想を抱いていた。初めて見た時から感じていたことだ。

 それはともかく、クローディアはそんな平民の女に自分の婚約者を略奪されたことになる。貴族社会では名誉は地に落ち、誰もがクローディアに同情ではなく、平民に負けた『間抜けな令嬢』と陰口を言っている。 

 それでもバーデン家としては、婚約を破棄され、悪役令嬢の悪評があるとはいえ、身分違いのセオドアとの結婚はさすがにいい顔はしないだろう。クローディアなら他にもいい縁談は引く手あまたのあるのだ。ほとぼりさけ冷ませば、バーデン家の財力と政治力。クローディア自身のスペックを欲しがる男は数多いだろう。


「特に兄上はテディと我の結婚については賛成しているのだ」


 クローディアの兄はウォルト・バーデン。次期バーデン公爵となる男で、現在は27歳。英明高く、将来の王国の重鎮として期待される若手政治家であった。


「ほう……。こんな田舎伯爵に一体、何を期待しているのか……」


 セオドアは抜け目なさそうなクローディアの兄の顔を思い浮かべた。普通に考えて大事な妹を田舎の貴族に嫁に出すなんてありえないことだ。


(きっと俺のことを調べたに違いない。その上での判断だろうが……。クロアの兄貴はギャンブラーだよ)


 セオドアはそう思わざるを得ない。貴族は保守的だ。存在が保守なのだから仕方がない。だから冒険を伴う判断は普通しないものだ。

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