第3話 うっかり、妹と会わせてしまった
「悪役令嬢ね……」
セオドアはやれやれと両手を上げた。妹だけでなく、多くの人間がクローディアのことをそう呼ぶ。
しかし、それは誤解というものだ。
どう説明しようか考えたが、悪役令嬢というレッテルを貼られたクローディアの汚名返上を言葉だけで行うのは無理というものだ。
やがて美しい身なりの令嬢が、馬車から御者の手を借りて優雅に降りて来た。宝石が散りばめられた豪奢なドレスに身を包み、美しい白色の鳥の羽でできた扇で顔を隠した令嬢はそっと目をのぞかせた。
「セオドア伯爵。我、クローディア・バーデンはお前の領地の視察をしにはるばるやって来たぞ」
そうクローディアは言った。彼女は王都の別邸に住んでいるから、そこから来たとなるとここまで最寄りの駅まで列車で3日はかかる。
そしてそこから馬車を使って丸1日の旅程だ。旅行用のキャリッジ型とはいえ、長距離乗るのは疲れる。
「視察をしに……」とこのお姫様は話したが、荷物一式というか、ほぼ嫁入り道具と思しき量にそれが建前であることは一目瞭然だ。
「は、はあ……それはどうも……」
(ああ~。やっぱり来ちゃったよ。押しかけ女房って、本当にいるんだな。)
セオドアは半ば呆れて後に続く嫁入り道具を運ぶ馬車を見ている。
「なんだ伯爵。ちっとも嬉しくなさそうだな?」
少し不満げにクローディアは眉毛を動かした。にらみつけるその眼力で、出迎えた家令や侍女が固まる。まるで矢で心臓を射止められたようだ。
「いえ、クローディア様。王国随一の美姫と謳われる姫に我が領地に来ていただき、このセオドア、嬉しさに涙が出ます。領民もきっと喜ぶでしょう」
そうセオドアは答えた。思いっきりリップサービスだ。領民は喜ぶどころか唖然としているに違いないが。でもクローディアはその言葉に満足そうに頷く。
「うむ。よいよい……。それにしても伯爵。お前の屋敷はどこにある?」
不思議そうにクローディアはそう聞いた。もちろん、馬車が止まったのはセオドアの屋敷の前だ。小さいが門扉があり、20mほどの道と花壇が広がる。その道に入りきらない馬車が屋敷前の道で渋滞している。
この島では一番の豪邸なのであるが、王家と肩を並べるほどの権勢を誇るバーデン家の令嬢である。セオドアの屋敷が使用人の屋敷だと誤解したようである。
きょろきょろと自分が屋敷と認めるための建物を探している。手にしたセンスを額に当てて、はるか遠くに視線を送っている。残念ながら見えるのは森に囲まれた丘か山しかない。
「あの……クローディア様」
セオドアの背中に隠れていたシャルロッテが顔をひょっこり出した。そして後ろの建物を指さした。
「この建物が私たちウォール家の屋敷です」
「な、な、なんと!」
クローディアは手に持った扇を思わず落としてしまった。それを拾ったのはシャルロッテ。そっと両手で茫然としているクローディアに差し出す。
「この者は?」
扇を受け取ったクローディアは「はっ」と意識を取り戻し、シャルロッテを3秒ほど凝視すると、今度は鋭い目つきでセオドアをにらみつけた。
その圧にクローディアを護衛してきた兵士までもが直立不動になる。どうやら誤解をしているようだ。よくよく観察すればセオドアと同じ黒髪。顔つきもよく似ているのだから、セオドアに言い寄る女ではないことは分かる。
それに嫉妬する対象としは年齢が幼過ぎる。セオドアはやれやれとクローディアに軽く会釈をし、右手で軽く妹の背中に手を当てた。
「ご紹介が遅れました。こちらは妹のシャルロッテです。今年で15歳になります」
セオドアにそう紹介されて、シャルロッテはぺこりと頭を下げた。それが礼儀作法としては誤っているので、セオドアは妹の背中を人差し指でトントンと2回叩いた。
シャルロッテは慌ててクローディアの前に出て、スカートを軽く持ち上げ、ちょこんと膝を曲げて挨拶をした。宮廷作法に乗っ取った令嬢の挨拶である。
「シャルロッテ・ウォールです。クローディア姫様、お初にお目にかかります」
「ああ、あなたがテディの妹君か」
この2人が出会うのはこれが初めてだ。セオドアが大学に通っていた時、何度かクローディアがセオドアの借りた屋敷にやってきている。その時に会っていてもおかしくはないのであるが、シャルロッテは基本寮住まいであったから、タイミングが合わなかったのだ。
愛くるしい娘がセオドアの妹だと分かり、クローディアの先ほどの威圧するような目つきが急に優しいものに変わった。あまりの変わりように周りの者たちも思わず安堵する。
「クローディア・バーデンだ。シャルロッテ姫」
「シャルとお呼びください……あの……お姉さまとお呼びすればよいでしょうか?」
おずおずとシャルロッテはそう聞いた。(ぱあっ)っとクローディアの顔が笑顔になった。王国随一とまで称される美人の笑顔は輝かしい。
「あらまあ。お姉さまだと……伯爵。シャルは何か勘違いをしているようだ」
ウキウキの笑顔でそう言われてシャルロッテは真っ赤になった。てっきりクローディアが兄との結婚に前のめりであるとばかり思っていたのだ。
というか、義姉になると兄ははっきりと言ったはずだ。聞き間違いをしてしまったのかなと兄のセオドアを見ると兄は小さく首を振った。一体どういうことだとシャルロッテはますます混乱する。
「では、クローディア様は兄とはどんな関係なのですか?」
当然、シャルロッテとしてはそう聞くしかない。クローディアは王国の役人でもないから、地方貴族の領地を視察するような立場ではないはずだ。
「そ、それはだな……」
シャルロッテにずばりと聞かれてクローディアは急に言葉に詰まった。そんなことを聞いてきた者はいままでいなかったようだ。
「シャルの兄……テ、テディ……じゃなかったウォール伯爵とは大学の学友で……」
「ではただのお友達ということでしょうか?」
シャルロッテはますます混乱する。ただの友達関係でこんなに荷物をもって訪ねて来るものだろうかという疑問符が頭の周辺に10個も浮かんでいる。
「た、ただの友達じゃないのだ」
「それでは親しいガールフレンド……彼女ということでしょうか?」
シャルロッテは諦めない。セオドアは妹の質問攻めを止めさせようかと思ったが、追い詰められていくクローディアの表情が面白くて放置している。
「か、か、彼女!」
クローディアの顔がみるみる真っ赤になる。耳たぶまで赤い。お高く止まった感じの余裕の態度が、ただのウブな生娘みたいになっている。
(現実、ウブなお姫様だけどね……)
セオドアは面白くなったと妹とクローディアの会話を内心でニヤニヤしながら聞いている。シャルロッテの質問は緩むことがない。
「お兄さまは男。クローディア様は女。二人とも結婚できる年齢ですから、結婚前提のお付き合いをしている彼氏、彼女ということですよね」
「な、な、な……何をいっておるのだ。テ、テディ……じゃなかった、ウォール伯爵とこの我がか?」
「はい」
「それは誤解だ。そもそも我は、このエルトラン王国の重鎮。国の心臓とされるバーデン公爵家の姫だぞ。我と結婚を望む者は国内だけでなく外国の王家にも多数いる。そのような高貴な我がこの片田舎の貴族にどうして嫁がねばならぬのだ」
これは事実だ。事実だがシャルロッテは失礼だなと思う。兄のセオドアは確かに地位も低いし、裕福でもない。しかしその能力は妹のシャルロッテも驚くほどの高いものだ。やる気さえ出せば、この兄は一国の王も務まる英雄になれる器だと贔屓目抜きで思っている。そしてイケメンなのだ。
確かにクローディアは贔屓目に見なくても美しい。少々つり目気味の目が時折、悪人顔になるが、それは整った顔のなせる業。絶世の美女と言ってよい。
実家の財力と権力、彼女自身のポテンシャルの結果、外国の王家からも縁談の申し込みが後を絶たないとの噂はシャルロッテも聞いている。
だからと言って兄の嫁に相応しいかは別の話だ。それにしても行動と言動がともなっていない。
(はあ?)
シャルロッテは心の中で思わず聞き返してしまった。ますます混乱する。そうだとしたら一体この高貴なお姫様はなにをしに兄に会いに来たのであろう。嫁入り道具を大量に持参して意味が分からない。
セオドアの方を見ると先ほどまで無表情であったのに、にやにやと笑っている。それでやっとシャルロッテはクローディアの厄介な性格を理解した。
(あっ……理解したわ。この人、素直になれない人だ)
シャルロッテの頭に「?」の文字がいくつも出現したかのように沈黙の空気が流れだしたので慌ててクローディアが訂正をする。
「ま、まあ、ウォール伯爵がどうしても我を妻に欲しいと頭を下げるのならば、少しだけ考えなくはない」
「ということは、クローディア様はお兄さまのことが好きということでしょうか?」
このシャルロッテのこの切り替えしはこれまでとは違う。クローディアの本心が分かった上での敢えての攻め込みだ。
「す、す、好きだと……。シャル、勘違いするではない。獅子がネズミに恋をするはずがないだろう!」
シーンと空間に何だか静寂が訪れる。それでもシャルロッテは勇気をもって質問する。
「好きではないのにここまで来たと……。おかしいですわね。好きでもない男の実家に来るものでしょうか。本当は好きなのでしょう?」
もうシャルロッテは分かって追い詰めている。クローディアの顔はもう気の毒なくらい真っ赤である。
「好きなはずがない。好きではない。好きになるわけがない。この我は次期国王たるエルトリンゲン王太子の婚約者だぞ」
(元ね、元婚約者。1か月前に盛大に破棄されたけどね)
小さな声でセオドアは呟く。クローディアにもシャルロッテにも聞こえない。
「婚約者がいるのに好きでもないテディお兄様のところへ?」
「婚約はわけあって破棄した。今日はたまたま来ただけだ。好きとかじゃないからな。誤解しないでくれ」
ますますドツボにはまっていくクローディア。セオドアはもう笑いをこらえるのに必死だ。意味が分からないシャルロッテは追及の手を緩めない。
「ではテディ兄さまのことはお嫌いだと?」
「嫌いではない……どっちかというと好きというか、なんというか……」
「クローディア様、はっきりしてください。好きなのですか、嫌いなのですか。これはとっても大切なことです」
強い口調で迫るシャルロッテ。もう完全にマウントしている。そして最初はこの結婚は反対だとしていたが、もう心の中ではお似合い夫婦だと納得してしまっている。
「あ、あ、あ……あの……」
クローディアはそっと扇子で顔を隠し、下を向いた。もう恥ずかしさで言葉が出てこないようだ。そして目には涙まであふれている。先ほどの強気な発言から一転して乙女になっている。
「……好き……大好き……超好き……」
「え、聞こえません」
あまりに小さなつぶやきなのでシャルロッテは耳を傾けた。クローディアは目をつぶって叫んだ。
「激アツ大しゅき! 鬼アツで大しゅき。これでいいでしょうか!」
(ああ~開き直っちゃったよ、この人。しかも激熱、鬼アツってなんだよ!)
心の中で突っ込み、笑いをこらえるセオドア。シャルロッテの方はその答えで満足したようだ。
「その言葉を聞けてわたしは嬉しいです。ようこそ、ラット島へ」
シャルロットは天使の笑顔でクローディア姫の手を取った。セオドアは妹とクローディアは相性がよいと確信したのであった。
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