第2話 うっかり、押し掛けられてしまった

(あああああああああっ……。なんで声をかけたあの時の俺!)

(あの時に戻ってあの時の俺を殺したい~)

(王妃にしてやるってなんだよ。俺が王になるってことじゃないか~)

 

 部屋のベッドでゴロゴロと転がる一人の青年。

 やがて開かれた2階の窓から大勢の人間が移動してくる音が聞こえて来た。それは遠くの方からだが静かなこの島なら十分に伝わってくる。

 青年はベッドから起きあがり、そして質素な屋敷の窓から外を見た。海風が建付けの悪い窓ガラスを小刻みに振動させている。小さく連続する軋み音が窓から見える景色と重なってセオドアの心を乱す。

 陸からこの小島に向かって伸びる唯一細長い橋を300名ほどの集団がゆっくりと近づいて来ている。

主人が乗っていると思われる豪奢なキャリッジ式の馬車が太陽の光を受けて光っている。その後に続く荷馬車の列。

 調度品や衣装等を詰め込んだ荷馬車だろう。仕える侍女と使用人を乗せた馬車が続く。馬に乗った騎兵がそれを護衛している。恐らく護衛兵は歩兵もいるであろう。軍用の馬車も数台続いている。

 先導する騎兵が掲げている旗を見れば、どこの貴族か分かる。赤と青が半分に染められた地に剣をもった獅子のデザイン。王国の中でも有力な貴族、バーデン公爵家のものである。


(ああ~。ほんとに来ちゃったよ、あのお姫様!)


 心の中で声を上げた青年はセオドア・ウォール伯爵。このラット島と呼ばれる島の若き領主である。爵位は伯爵。伯爵とはいっても辺境伯なので中央貴族に比べると格は数段落ちる。しかし、辺境伯とはいえ、ウォール家自体は歴史のある名家である。

 ウォール家はこのラットと呼ばれる島の王として250年もの歴史がある王家であった。曾祖父の代に対岸のエルトラン王国との長い戦争を終え、和平交渉に応じてエルトラン王国に併合された。その時より、ウォール家はエルトラン王国の貴族に任じられ従属することになったのだ。

 

 いくつかの中小国を従えて統一を果たしたエルトラン王国では、めずらしくない辺境伯という奴だ。その辺境伯の中でもウォール家は唯一、武力で屈服されたのではなく、外交交渉によってエルトラン王国に併合されたという経緯をもつ。領地がへき地の島ではあるが、田舎貴族と謗られる家柄ではない。

 ラット島は人口8万人。島とはいえ、その領土は広い。しかし地形は丘陵地帯と山、森林で囲まれ、耕作する土地が少ない。また激しい海流が島の周辺を流れており、海は常に荒れており、小さな船では外洋に出ることができず、島にも関わらず、水産業も振るわない貧しい土地である。

 

 そんな島の領主が若干22歳の青年領主であるセオドアなのである。そして、そのセオドアの目に映る行列の主がエルトラン王国の重鎮、バーデン公爵家の姫である。


「セオドア様、バーデン公爵令嬢がご到着しました」


 そう息を切って屋敷の家令が報告した。祖父の代から代々仕える家令は70歳を越える老人。彼の長い人生に中でもこのようなことは初めてであった。

 併合されたとはいえ自治は保障され、これまでエルトラン兵が足を踏み入れたことはなかったために、家令だけでなく島の住民も心穏やかではないだろう。このようなことはラット島始まって以来の出来事である。


 貧しい領主であるウォール伯爵家の使用人は4人である。今、報告に来た家令のベンジャミン。自分付きの侍女マーベルと妹付きの侍女セレス。料理人のアウグスタだけである。侍女のマーベルとセレスは姉妹で年齢は22歳と18歳。マーベルは料理人のアウグスタと夫婦である。


 アウグスタは父の代から仕える料理人で、都で修行をしてきた経験もある男だ。年齢は30歳。ラット島の伝統料理と王都の洗練された料理を融合させ、質素な材料でいつも工夫して昼と夜の食事を用意している。

 広いとも言えない屋敷であるから、この人数でなんとか回せる。庭の手入れや屋敷の修繕となれば、島の住人が手伝ってくれるので普段の生活だけなら十分なのだ。というよりもこれ以上使用人を雇う金銭的な余裕がないのだ。


 一応、島を守る私兵がおり、その数は100人。これは曾祖父の代から雇っている譜代の家臣たちだ。独立国家であった頃は3千人を超える兵であったが今はこれだけになった。薄給にも関わらず仕えてくれている。常備軍を抱えているのは大貴族や国王だけだが、ウォール家は元王族ということもあり、苦しい財政事情でもこの規模の私兵を雇っているのだ。

 今のところ戦争はないが、島の治安や災害時の対応で有効に活動しているので、何とか解雇しないよう財政のやりくりに四苦八苦していた。

 

 常時、20名ほどが交代で大陸と島を唯一繋ぐ細長い道路と橋を守備している。ここで島への入国を管理しているのだ。道路はラット島と5つの小島を橋で結んでできている。幅は20mほどで統一されている。橋は木製や石造りでできた立派なものだが、これまで戦争の度に壊されてきた。

 この橋を壊せば外部と遮断できる。昔、島を征服しようとやってきたエルトラン王国軍は、この橋で食い止められ多くの犠牲を出したと言い伝えられている。そんな歴史ある古戦場をきらびやかな一行が優雅に移動しているのだ。


「俺が出迎えないと失礼にあたるだろうなあ……」


 そうセオドアは呟いた。正直、この展開は4年前には予想すらしていなかった。まだ後戻りはできるかもしれないと考えると、出迎えたくはなかったが、出迎えなくても向こうは会いに来るだろう。


「テディ兄さま。バーデン公爵令嬢様の一行がなぜ、この島に来るのですか?」


 今度は妹のシャルロッテが駆け込んで来た。先ほど、セオドアに報告に来た兵士から、行列の主人のことを聞いたのだろう。

 そして窓から華やかな行列がやって来るのを興味深そうに見ている。妹は普段は王都にあるお嬢様学校に通っているから、都でも権勢を誇るバーデン家の旗印を知っている。


「ああ……あれはちょっと訳ありでね」

「訳ありって、あの荷物の多さ。ただの訪問客ではないですよね。まるでテディお兄さまのところへお嫁に来たみたいじゃないですか!」


 妹はセオドアのことを愛称で呼ぶ。親しい友人や領民はみんな愛称で呼んでいるのだ。(テディ様)(テディ伯爵様)である。

 シャルロッテは窓から視線を外し、兄であるセオドアを黒い瞳に映す。瞳の色は黒で大きく、輝くような黒髪も手伝って可愛らしく見える。

 セオドアの自慢の妹、シャルロッテである。島始まって以来の美少女と言われ、恐らく王都の社交界でも評判になるだろう。これは兄としての贔屓目を割り引いたとしてもである。

 

 今年16歳になるシャルロッテは、貴族令嬢として社交界にデビューを控えている。貴族令嬢にとって社交界デビューは重要な行事であった。そこで将来性のある貴族の男と出会うことで、将来安泰の結婚につながるからだ。

 それだけではない。美しく成長するだろうシャルロッテに言い寄る貴族は、数多くなると思われる。中には権力や財力を使って強引に嫁にしようという者も出てくるだろう。

 そういう悪意から大切な妹を守るには、しっかりとした後ろ盾が必要だ。後見役は、肉親の他にも有力貴族にすることもしばしば行われていた。そういう後見役を見付けるのが社交界である。

 より力のある後見人と出会うために、デビューする夜会は出来る限り格の高いものが求められる。そしてそういう夜会に参加するには招待されなくてはいけないのだ。

 招待されるには知己を得て紹介という形を取らないといけない。そのためには、まずは自分が参加できる夜会に出席し、そこで有力者に顔と名前を売る。その紹介を利用して次々と夜会のランクを上げて行くのだ。

 セオドアのウォール家はかつての王族という名家ではあるが、辺境伯なのでもっとも格調の高い夜会に招待されるには、いくつもの関門を通らなくてはいけなかった。

 それはセオドア自身にとっては、好ましいものではなかった。何しろ、セオドアはとあることから、若干18歳の時に新しい人間関係を絶ち、領地に引きこもってのんびりライフを過ごそうと計画していたからだ。

 しかし、妹のシャルロッテのことは大切にしたい。貴族の令嬢にとって格式の高い夜会でのデビューは、その後の伴侶の選択において重要なイベントであるし、後見役になる貴族を見付けるために必要なのだ。兄として大切な妹をしょぼい夜会でデビューさせるわけにはいかなかった。


「テディ兄さま、バーデン公爵令嬢って、都で一度お会いしたクローディア様ですよね」


 まだ妹は現実を受け止められていないようだ。到着を知らせる白馬の騎兵が、到着を告げる言上をしていてもそれが頭に入らないようだ。


「ああ、あの有名なクローディア様だ。出迎えるぞ」


 玄関の車寄せで軽く頭を下げて、近づく馬車を待つ兄妹。

 シャルロッテは都のお嬢様学校へ通っている。セントアリーナ女学校である。貴族の令嬢や商人、地主などの上流階級の令嬢はみんなそこに通う。

 クローディア姫はそこのOGであり、有名人であった。シャルロッテは直接クローディア姫に会ったことはないが、友人やら先輩やらから仕入れた様々な噂を知っている。


「テディ兄さま……まさかとは思いますが……。大学生時代にクローディア様に仕えていたことは知っていましたが、そんな仲になっていたなんて!」


 シャルロッテはまだ信じられないといった口調でセオドアに繰り返し聞く。頭の中を整理しきれていないようだ。都で過ごした学生時代。クローディアはちょくちょくセオドアの住む屋敷にやって来てはいた。一度、屋敷に訪ねて来たクローディアとも会ったことがある。

 妹のシャルロッテは、兄の元へよくやってくる彼女がいる程度の情報は使用人から聞いていたのだ。自分の兄は女性にはもてると思っていたから、あまり気にはしていなかった。しかし、まさかその彼女が有名人だったとは。


「そうだ、シャルよ。あれが将来のお前の義姉になるそうだ」


 そうセオドアは機械的に話した。(なるそうだ……)という表現にセオドアの置かれた立場を象徴している。そこに嬉しさとか、悲しさとかの感情は一切ない。


「テディ兄さま……。それはクローディア様とご結婚なさるということですよね?」

『義姉』という回りくどい表現を直接的な表現に言い換える妹。セオドアは遠くに目をやる。悟りきった目だ。

「向こうはそのつもりだそうだ。俺には拒否権がないらしい」

 

 セオドアはこの後に及んでそうこの状況をクローディアのせいにした。きっかけは勢いでついプロポーズもどきの行為をしてしまった自分のせいであることは知っている。励ますつもりが暴走してしまった。

 しかし、まさか「即受諾」とは思わなかった。そういった意味ではクローディアの押しかけ女房とも言えなくはない。


「……テディ兄さまは、わたしのために苦手な夜会を渡り歩き、ついには人脈を得るために王立大学まで入学なさった結果があの行列ですか?」

「不本意ながら……」

「お兄様……マジですか!」


 妹のシャルロッテはこれまで浮かんだ疑問が全てつながり、驚いた表情で兄を見た。いつも上品な言葉使いだが、驚いたり、焦ったりすると島の民の砕けた言葉が出てしまう。


「シャル、言葉遣いが悪いぞ。それにはるばるここまでやって来たお姫様に無礼だ。お前も田舎貴族とはいえ、伯爵令嬢。もっと上品な言葉遣いをしないと恥をかくぞ」


 一応そのように注意したセオドアであったが、自分も島言葉はよく使う。また庶民と話すことが貴族と話すよりも気が楽だと思っているセオドアだから、妹に対する忠告は説得力に欠けている。


「……テディ兄さま、わたしは妹としてこの結婚には反対です。あえて言いますわ。あの方は有名な悪役令嬢様ですよ!」


 シャルロッテはそう兄に諫言した。どうやら兄はとんでもないお姫様を嫁にするのだと分かり、相当混乱しているようだ。

『悪役令嬢』という単語は、今の貴族社会でトレンドになっている言葉だ。それは『ハーレムプリンセスロマンス』と呼ばれる恋愛小説の中で、主人公を苦しめるライバルの一般的な肩書なのだ。

 最近のベストセラー小説では、欠かせない役柄であり、その酷いいじめの手口と悪行。そして物語後半に必ずある見事な落ちっぷりが読者の溜飲を下げてスカッとさせる重要な役柄なのだ。

 そして妹は噂で知っている。このクローディア公爵令嬢はその恋愛小説に出て来る悪役令嬢と全くイメージが被るということを。

 悪役令嬢とは、恋愛小説を読んだことがなかったセオドアでも知っているくらい、知名度が高い役柄なのだ。

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