うっかり、悪役令嬢を落としてしまいました

九重七六八

第0章 悪役令嬢が押し掛けてきた件

第1話 うっかり、悪役令嬢に告白してしまった

一人の令嬢が床に崩れ落ち、そして涙を床にはらはらと落としている。

 それを冷たい目で見ている貴公子。貴公子の隣には勝ち誇ったように泣いている令嬢を見下ろしている若い女。

「哀れなものね~。悪役令嬢様……。これが数々の悪行の終着地点だわ。行きましょう、殿下。この女を見ると気分が悪くなります」

 そう見下ろしていた女がそう貴公子を促した。口角がわずかに上へ上がり、狡猾さの片鱗が垣間見えたが、それは女の完全勝利の自信の表れであろう。

(決着はついたわ。これで私は王太子妃。そして将来の王妃だわ。残念でしたね。悪役令嬢だなんて本当は濡れ衣なのに。でも、男なんて馬鹿だから嘘を信じ込ませた方が勝ち。あなたは身の潔白をはらせなかったのが敗因。それにこの時代、家柄だけでは勝てなくてよ……。ああ、そうだわ。能力においてもあなたはこのわたしをはるかに凌駕しておりましたわよね。それこそ未来の王妃に相応しい能力。けれど、重ね重ね残念だわ。どんなに能力や身分が高くて、本当は優しくて性格までよくても、男に選ばれなくては負けるのですからね~)

 女はそう心の中で本音を吐き、そして泣いている令嬢に向かって心の中で舌を出した。

 決別と勝利宣言をしたカップルは意気揚々と去っていく。

 後には泣いている令嬢が一人ポツンと取り残された。周りにいた野次馬の学生たちも興味を失い、後味の悪さを感じつつ潮が引くように消えていく。

 悪役令嬢の後ろの大きな柱で一部始終を見ていた黒髪の青年がいた。

(可哀そうに……)

 その青年は令嬢が王太子に捨てられた様子を見ていた周辺の人物と同じように、泣いている令嬢を哀れんでいた。ただ、その哀れみの感情は少々異なっていた。その青年は泣いている令嬢が本当に気の毒だと思っていたのだ。

 彼女は何も悪いことはしていない。ただ、家同士が決めた義務を果たそうと、一生懸命になっただけだ。人から指を指されるようなことはしていない。すべて誤解と勝利した女の罠にはまっただけだと知っている。

(やめろ!)

(面倒なことになるぞ!)

(お前は田舎でのんびりと暮らすのが夢じゃなかったのか?)

(声をかければ波乱に満ちた人生コース突入だぞ!)

 黒髪の青年の頭の中に何人もの青年が制止する。しかし、青年の行動は止まらなかった。声をかけねばならないと体が勝手に動く。

「クロア、泣くな」

 黒髪の青年はしゃがんで泣いている令嬢の手を取った。

「あんなクソ王太子のことは忘れろ……」

「えっ?」

 泣いていた悪役令嬢と黒髪の青年は顔見知りである。知り合ってからこの4年の間、悪役令嬢が王太子を振り向かせるために共に行動していた同志であった。

 同志というより、ほぼ悪役令嬢の家来扱いであった青年は、悪役令嬢の涙をハンカチで拭う。いつもとは違うアプローチに悪役令嬢もされるがままだ。

 そもそもいつもは『クロア様』と青年は悪役令嬢の事を呼んでいた。今は呼び捨てである。

「俺がお前を王妃にしてやる。俺の嫁になれよ」

 黒髪の青年の口が勝手に動いた。

 悪役令嬢は驚いたようにハンカチを奪うと口元にあてた。恐らく、驚きのあまり口がはしたなく開いたままなのだろう。

「よ、嫁に……って……我を嫁にって……。お前、いつからそんなことを……」

「さあな。そう思ったのはついさっきだけどな」

「ついさっき……だと……。それに公爵令嬢の我を嫁にだと……。バカも休み休みに言え。そして我を王妃にするだと……。テディ、お前は一体何を言っているのだ」

 令嬢はそう言ったが青年の上着の袖を軽く握っている。言葉とは違う反応。この令嬢も頭で考えていることと行動が一致していない。

「本当さ。あんな間抜けな王太子と欲にまみれた女より、お前と俺の方がこの国のリーダーにふさわしいと思わないか?」

 青年は言ってはならないことを口にしてしまった。

 話してから1秒で後悔した。自分で面倒な人生へ舵を切ってしまったかもしれないという後悔だ。

 だが、青年は心の中で首を振った。

(いや、大丈夫だ)

(この悪役令嬢様が受け入れるわけがない)

(言った以上は話しを続けるしかないが……)

 きょとんとした顔をした悪役令嬢は、かっきり3秒ほど沈黙してから小さな声で応えた。

「お前、本当に我を口説いているのか?」

「そういうことになるな」

「ほ、ほんとうに?」

「ああ、まじめに口説いている」

 冷静さを取り戻した青年は、この告白の成功確率を計算していた。

(まあ、成功率5%だな。このプライドの高い女が田舎貴族の求婚なんか受け入れるのは奇跡というものだ)

 別に拒絶でよいという心境である。この告白で少しでも傷ついた令嬢を元気づけられればそれでよいのだ。むしろそれが目的だと心の中で確認した。

 これまでこの令嬢を口説いた貴族の青年はたくさんいた。そしてその度にこの令嬢は毛虫でも見るような目つきで冷たく切り捨ててきたのだ。今回もそうなるはずだ。

「あなたのような貧乏貴族がこのわたくしを口説くなんて、100年早いわ!」

「獅子がネズミに恋をしますか!」

 辛辣な言葉で男どもを蹴散らし、山のようなその屍を乗り越えてきた令嬢なのだ。

 今回も同じことが繰り返されるに違いない。それでこの令嬢の悲しみはどこかに吹き飛ぶはずだ。この女はそういう奴なのだ。激しい罵声が浴びせられると覚悟した青年はそれを浴びる準備のために目を閉じた。

 しかし、瞬間に発せられるはずの罵声は一向に来ない。たっぷり10秒ほど数えて青年は目をゆっくりと開けた。

(え、ええええええええっ!)

 驚きの光景が目の前にあった。口説いた公爵令嬢は、顔をうっすらと赤めて目から大粒の涙がぽろぽろとこぼしている。

(こ、これは……完全に落ちた!)

 青年は確信した。悪役令嬢様は完全に恋に落ちた乙女の顔になっている。

(これはやっちまった……)

 一歩踏み出した以上は、黒髪の青年も責任をとらないといけないと思った。確率的にはほぼありえないと思ってはいたが、結果が分かるとそれは間違いであった。

 令嬢はゆっくりと頷いた。

 令嬢はこの4年間を共に過ごしたことで、青年の能力は分かっている。

「……お前の言うとおりだ。王妃の椅子は自分でつかみ取るものだ」

 こうなれば行く所までいくしかないと黒髪の青年は考えた。

「分かればもう泣くな。お前が泣くと俺もなんだか悲しくなる」

「……分かった。もう泣かない」

 悪役令嬢は立ち上がった。拳をギュッと握っている。

「そもそも我が涙したのは、この国の行く末が暗いことを嘆いての事だ。けっして我が惨めであることでの涙ではない」

 令嬢は強気である。少なくとも王太子への想いはこれっぽちもない。

「そうだろうね」

 黒髪の青年はそう答えた。泣いていたのは女の戦いに負けた悔しさもあるが、それより、国を思っての責任感から来ることを青年は知っていた。

 青年の受け答えに令嬢はハンカチで目を軽く押さえて一瞬だけ笑顔になった。そしてそっと青年の胸に体を預けた。

「ずるいぞ、テディ……。女が振られて弱った時に声をかけるのは反則だ」

「冗談言うなよ。今、声をかけても俺以外にお前は落ちないだろう?」

 黒髪の青年はそっと令嬢の腰と肩に手を回す。

「あたりまえだ。このクローディア・バーデン。能力のない男は願い下げだ。あんな馬鹿王太子、家同士の約束がなければ選ばない。ああ清々した」

「どうやらいつものクロアに戻ったようだな……」

 黒髪の青年の名前はセオドア・ウォール。

 小さな小島を領地とする田舎貴族だ。

 そして今、抱きしめているのがこの国で絶大な権力を握っているバーデン公爵家の令嬢だ。

 通称『悪役令嬢』。みんなが誤解してそう陰で呼んでいる令嬢だ。 

 しかし、セオドアは知っている。クローディアは悪役ではない。

「……強気なものか。約束だぞ、テディ……セオドア・ウォール伯爵」

 クローディアは続けた。そしてセオドアをまっすぐに見る。そして咳ばらいをして、妙に可愛らしい声を出した。気を張ってない地のクローディアになる。

「慎んでセオドア・ウォール伯爵の申し入れを受けます。ふつつかものですが、我を王妃にしてください……」

 セオドアはそれに答える。

「任せろよ。お前を歴史に残る王妃にしてやる」

「言ったな。嘘は許さないぞ」

「俺が嘘を言うものか」

 セオドアは自信たっぷりにそう答えた。クローディアはセオドアの胸に顔を埋める。

「テディ……好き……大好き!」

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