Ⅲ 楽章



 私には生存した者の最期の瞬間が見える。


 生々しく残酷な惨状、切り裂くように目の前を走る光、血走った猟奇的な瞳。私の瞳の奥には命を手放すその瞬間の、つめたく、あるいは残虐な―― これらは私があらゆる専門書を読み漁って学んだ由々しき言い回しの数々である。こんな理由を述べるためだけに背伸びして、こんな痛みを得る為に学びたかったんじゃなかったのに。


 あいうえおから学んで、アナログ時計の読み方を知って、漢字ドリルを夏休みの狭間に解くような、そんなカンタンな経験さえ得ることが出来れば私は良かった。


 買ってもらったランドセルを背負って、お気に入りの文房具を広げて、学校に行くとクラスメイトがそこそこのルックスで誰かを虐めて、先生の言うことをそれなりに聞いて、たまに蔑んだりして、それらは大人からしてみれば一連の流れとして馬鹿馬鹿しいと唾を吐かれるような程度のものであるのだけど、彼女たちにとっては今相応の感情でぶつけるしかないらしいこと。ウラヤマシイ。ワイドショーの物騒な事件を目にしても危ないから早く帰ってくることを勧められるような平々凡々な小学生の生活が。


 事件の現場が映ろうものなら私の瞳の奥には見知らぬ被害者の悲劇の視点が映し出されるのだ。たかが十年少々の人生を送った程度の私にとって、他人の苦しみが脳裏を支配してゆくことが小さな脳みそを巣食っていく後悔にしかなり得ないのだということ。人間は命そのものを狙われるのと同等に、生活を奪われることで簡単に消える。


 


× × ×


 

 私が彼を知ったのは、ある夏の日のことだった。


 校庭の片隅で好奇の対象とされた雀の死体があったあの夏の日。おかっぱ頭が時代から逸脱したクラス委員の女子生徒が悲鳴をあげた拍子に担任教師が驚いて引き寄せられ、彼女の指差す先にある冷えきった雀の亡骸に目をやった。


 担任教師も怯える生徒に続くようにして小さな悲鳴をあげ、「老衰だわ、」と呟いた。だがそれは見当違いだと私は即座に理解した。この雀は人間によって殺されたのだと。雀は命が遮断される直前、細い注射器を視界に認めたらしかったようで、雀が見た世界が私の脳内を焼き尽くしていったからである。人間よりも広い視野を持つ鳥には背の方に針を刺す直前の様子まで確認することが出来、細い針を最後に視界を覆った刹那、静かに消えていく世界の光とともに目を瞑ったのだ。二十代後半もしくは三十代前半の女。頬の三点ホクロ。私は一人きりでこの惨状を知り、哀しみと強い不快感で胃のあたりから喉にかけての気道が塞がれるような心地になり、保健室への道も脳内で想起する必要があると考えた時、ある男子生徒が呟いたのだ。「その鳥、殺されたんじゃないの」と。彼はこの雀が命を絶たれる瞬間、鳴いていたのだと訴え、老衰である事実は考えにくいと分析した。


 私は彼に興味を持った。


 生き物の息絶える瞬間の映像が見える私に対して、彼は同一の瞬間の音が聞こえるらしかった。そんなこと断じて有り得ないと私は自戒したが、無情にも事実で、幾度となく私の能力を彼にカミングアウトしようと試みたのだけれども、なぜかそれだけが出来なかった。


 彼と同じ立場に並びたくなかったのか、いわゆる同業者だと思われることが嫌だったのか、本当のところ分からない。他人に対しては適当な推察がいくらでもできる世の中だが、自分自身の仮定を立てることが実質もっともな無理難題だ。同志。仲間、戦友。どの関係にも当てはまるようでそうとも言い得ない名前のない糸が紡がれていくまでに時間はかからなかった。


 休日どこかに出かけるようなことは無かったけれど、校内で私と彼は常に行動を共にしていた。休み時間、放課後、授業のペア、等等。たった数ヶ月でも楽しかった。たった十二年程度しか生きてないこの世も、捨てたものでは無いと思えた。もしかしたら彼に出会わなければ私は新しい世界を欲することなく生きられたのではないだろうか。これを良とするか否かは、留めておくべき事象であろうかと思う。サヨナラを告げる必要性というものを、ここで今、私は悟ったのだから。


 

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