過去編 第三話

魔王領を抜け峠を越えた。

平地に降り立てば、もうそろそろネイ=ダタンの領内である。

にも関わらず、サクアは不機嫌だった。不機嫌の理由は彼女の背後に付き従う少年にある。


「…待ってくださいよ~」


ジーンの声に、昨日のような疲労は少ない。それもそうだろう。今の彼のもつ荷物は背負った大きな鞄が一つのみ。


「不本意だわ…」


サクアは口中で弱々しく呟く。

今朝、目を覚ましたとき、既にジーンは朝食の準備に取り掛かっていた。

昨晩と違い、鉄製の鍋が焚き火に掛けられていた。

一晩中とろ火にかざしていたからだろう、じっくり煮込まれた山鳥のシチューは、サクアが国元でも食べたことがないほど美味だった。

お腹いっぱいになるまで食べてついつい幸せな気分になってしまう彼女に、ジーンはいった。


「もう少しで峠も終わりでしょう? 平地につけば街もあるだろうし」


「ふんふん、それで?」


「もう鍋とか食材とか、いらないと思うんだ。だから置いて行こうよ」


…どうしてあのとき、自分は素直に頷いてしまったのだろう?


ジーンの主張自体は正しいと思う。

傷んだ食材は確かに持っているだけで無駄だし、街に入れば使う機会のない鉄鍋を後生大事に抱えているというのもおかしな話だ。


お金がないわけでもないし、まいっか。


その時は単純にそう思ったんのだが、今となっては彼の説得に簡単に応じてしまった自分が不甲斐なかった。

主導権を握られたみたいで気に喰わない。

これは自分の旅だ。自分で決めて、切り開くと決めた。

やや大それたことをいえば世界を救う旅だと思っている。


そんな道程に、ひょっこりあらわれたこのキリア・ジーンと名乗る少年。

素性も知れぬ彼に荷物を運ばせ、料理を作らせた。

なんだ案外使えるじゃない?

新たな従者。精々それだけのつもりだったのに。


サクアは妙に意識してしまう。

ジーンは決して馴れ馴れしい態度を取っているわけでもないのに、彼の言動が気にかかってしようがないのだ。

そして気にかけてしまう自分自身に腹が立っている。

結果として、ジーンに対する風当たりが強くなっている次第だった。


「ふん」


鼻を鳴らしてサクアは進む。

街道に出たのでぐっと歩きやすくなる。道脇に一定距離で植えられたナカングの樹には、小粒だが実が鈴生りになっている。

紫の果実は酸っぱい果汁に富んでいて、これでもう水の心配をする必要はない。

空には厚い雲が立ち込めてはいたが、まだ雨の降りそうな気配はなかった。

このまま調子が崩れなければ明後日にでもネイ=ダタンの首都へ到着できるだろう。


「だから待って…!」


追いすがってくるジーンはかなり息を乱している。

自分の着替えやらが入った荷物を一手に引き受けさていることを無視し、男のクセに軟弱なやつ! と侮蔑の視線を一つ送って、サクアは益々足を速めた。

おかげで距離はみるみる稼げ、日暮れ前に寂れた寒村の前に到着。

もう少し進むべきかどうか迷って、空模様も勘案し、サクアはこの村への投宿を決めた。

村人の姿もろくに見かけない閑静な広場へ歩き、宿屋らしき一軒に目星をつけ、扉を開く。


「…四ガウムだね」


「一人で?」


「そう」


暴利である。

やたら顔の幅が大きい店主を、サクアは睨みつけた。

都会の、ちょっと気の利いた宿に泊まっても、高くて精々金貨一枚。一ガウムで済む。


「食事は朝晩二食、別途で四ファルセン」


銀貨四枚! これも暴利だ。


「嫌なら泊まらなくていいよ。まあ、ここらに他に宿はないけどね」


サクアは考え込む。

村に入る前からずっとフードは被りっぱなしだから、外見で舐められているわけではなさそうだ。

むしろ時世的に足元を見られているのかも知れない。

比較的、ここは魔王領の近辺と言える。

そんな場所を旅するのは、よほどの物好きか、理由わけありか。

相手の後ろめたさに付け込んでふっかけているに違いない。

いや、それとも…?


「泊まるわ。でも、食事はいらない。それと二人で一部屋で十分」


店主はちょっと驚いたように目を丸くしたが、


「六ガウムだね」


「冗談。一部屋なんだから四ガウムでしょ?」


「あいにくとベッドが一つしかなくてね。別のを準備してやるから…」


「そんなの藁でも運んで来てくれればいいわよ。四ガウム三ファルセン」


「よし、五ガウム七ファルセンでどうだ?」


「四ガウム五ファルセン」


「…五ガウムだ」


これ以上負けられんぞ、という店主の顔つきに、サクアはあっさり承諾。


「さあ、部屋に案内して」


いきなりカウンターの上に輝く金貨を五枚も並べたのだから豪気なものだ。

目を見張り、金貨を噛んで確かめたとたん急に愛想が良くなった店主に導かれ、二人は二階の奥まった部屋へ。


「ちっとばかり埃っぽいですが、ここでは一番上等の部屋でさあ」


媚びへつらう表情で店主がランプを置いて立ち去ったあと。

さっそくジーンはフードを跳ね上げ窓を開けた。

雨が降る直前の生ぬるい微風が吹き込み、煽られた埃が宙に舞う。


「…ここって、ろくろく掃除もしてないんじゃ?」


それなりに広い部屋の隅にはあからさまな綿埃。置かれていた机の表面を指先でなぞれば真っ黒に汚れた。


「それよりジーン。この部屋から出るときは、出来るだけフードを被ったままにしなさい」


「え?」


思わず見返せば、サクアはなおフードを目深に被ったままだった。

ほっそりとした口元と形の良い鼻はともかく、青い瞳までは伺えない。


「…どうしてそんなことを?」


「いいから分かった!?」


「は、はい!」


紫ネギのように萎縮するジーンの姿が目に心地良かった。


ああ、やっぱり分かっていないのね、コイツは。鈍いったらありゃしない。


軽蔑は、まあしようがないかという妥協を経て、優越感へと姿を変える。


しょせん踏んできた場数が違うのよ。

魔法も剣も使えない。

せいぜい飯炊きの才能しかないんでしょ、どうせ。

だったら、このあたしと比べることこそ可哀想というものじゃない?


「今日の夜、何か起こるかも」


ポツリと呟けば、


「へ?」


目を白黒させるジーンに、サクアは嬉しくてしようがない。

先ほどの不機嫌もどこへやら、余裕たっぷりの態度でジーンに命令を下す。


「それよりお腹減っちゃった。早くご飯作ってよ」


「って言われても…」

もともと村へと急いだのは食材を補充するためでもある。

しかし折から降ってきた強い雨に、買出しは中止せざるをえない。

結局、荷物の中から残ったパンと干し肉をジーンは引っ張り出すしかなかった。

一階に降りると暖炉は赤々と燃えさかっている。


「誰かいませんかー?」


返事はない。

一言断りたかったのだが、少し迷ってから、暖炉の前でパンと干し肉を火で炙った。

部屋まで持ち帰ったそれと街道を歩きながら集めたナカングの実がその日の夕食となる。


「ごちそうさま」


貧相な食事に顔つきを歪めはしたものの、サクアは完食して手で小さな三角を作る。


「それにしても、ここに泊まるのを決めて丁度良かったね。もし先に進んでいたら、いまごろ…」


雨の中の野宿は、上手く場所さえ確保できればどうにか凌げるが、下手をすれば命に関わる。


「…当ったり前でしょ? 天気を読むくらい、旅の初歩の初歩なんだから」


「さすがだね」


感心してふむふむと頷くジーンに、いまさらここに投宿する気になったのは気まぐれだ、などとは言えない。


「ねえ、天気を読むって僕にも出来る? 天気の神様とかに伺いをたてるとかするのかな?」


「天気の神様ってのは少し違うわね。どちらかといえば大気に満ちる精霊の数を…」


サクアはおもむろに口を噤む。

部屋のドアがノックされて、干し藁を抱えた店主が現れた。


「うひひ、どうぞごゆっくり」


そういって店主は消えた。

そうか、さっき階下に行ったとき誰もいなかったのは藁を探しにいってくれたからか、なんて納得しているジーンに、サクアは優しい声を投げる。


「ほら、アンタはベッドを使って」


「…え? い、いいの?」


「いいのいいの。ほら、ジーンにはずっと荷物運んでもらったじゃない。疲れてるでしょ?」


言いながらも、サクア自身ベッドで眠ることが羨ましくないかといわれれば、それは嘘。

それなりに疲れている。広いベッドの上で手足を伸ばして眠るという誘惑は魅力的だったが、サクアはさっさ視線を藁の上に転じ、手持ちの毛布を敷いた。それにもう一枚毛布をかければ寝床の出来上がり。

ちらりと横目で疑えば、ベッドを前にジーンはまだ迷っている様子。


「でも、サクア、君は女の子じゃないか…」


消え入りそうなその声は、妙に耳に新鮮に響く。

本当にこちらのことを案じている気持ちが伝わってきたから。

仮に、貴族のお嬢様なんだから、などといわれていたら、有無を言わさずジーンを引っ叩いていたかも。

この少年に敬われたいとは思うけど、媚びたりへりくだられたりするのは真っ平ごめん。


「おやすみ」


フードも外さずサクアは勢いよく毛布をかぶった。


「う、うん、おやすみ」


おどおどとした返事の後も、ジーンはしばらくベッドの上に寝転がるかどうか躊躇している様子。

それでも意を決したのだろう。ベッドに潜り込んだ気配。


「じゃあランプを消すよ?」


サクアはわざと返事をしない。

灯りは落とされ、部屋は闇に包まれる。

ジッと目が闇に慣れるのを待つサクアの耳に響くのは、窓を叩く雨の音だけ。

間もなく安らかな寝息が聞こえてくる。

そこでようやくサクアも瞼を閉じた。胸にワンドをしっかり抱きかかえるのを忘れない。


やはり疲労が蓄積していたのだろう。藁の中に身体が埋れていく感覚がある。

同時に、不思議な感情が胸の中を滑り落ちていくのを感じた。

それはさざなみのように緩やかに心を揺らす。

酷く鮮烈なようで、どこかくすぐったくなるような懐かしいような。


なんなんだろう、この気持ち?

その正体を見極める前に、サクアは眠りに落ちていた。


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双剣記 鳥なんこつ @kamonohasi007

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